泣かないで・獣達の歩む・赤い月

由友ひろ

第1話 赤い満月

 赤い満月が光るこんな夜は、村人達は鎧戸を閉め、子供達を早く寝かしつける。


「いいかい、赤い満月の夜は、決して表に出てはいけないよ」

「どうして? 」


 いつもよりも早くにベッドに寝かしつけられた兄妹は、明らかに不満気に、絶叫眠れるものか! と訴える瞳を母親に向けていた


「赤い満月の夜は、金色の獣が現れるからだよ」

「金色の獣? それって凄く綺麗じゃない? 」

「断然かっこいいさ! 」

「お馬鹿だね、あんた達は。綺麗でもかっこよくもありゃしないよ。あれは、狂った獣だよ。赤い満月の夜だけは、獣人達は理性がきかなくなって、人間狩りが横行するんだ。あいつらは、人間の血が大好物だからね」

「人間を食べるの?! 」

「そうさ。だから、今日みたいな夜は決して出歩いたらいけない。獣人に近づいたら絶対ダメ」


 これは寝かしつけるための脅しではなく、この世界の真実である。


 知能を有する生物の約六割を人間が占め、残りの四割は人外の生物が占めていた。

 人間は力では獣人には敵わず、知能では妖精エルフには敵わず、技能では小人ドワーフには敵わなかった。また、その生命力も最弱で、寿命も一番短かった。ただ一つ、人間が優れていたのはその繁殖能力で、千年生きる中で一人子供をなせればよいとされるエルフに比べ、たった五~六十年しか生きないのに、三~四人子供をつくる人間は、人数の上で勢力を増し、世界を征服するに至った。


 その際、尽力したのが滅び行く種族と位置付けられていた獣人だった。彼等は人間の亜種、どういう経緯で生まれてくるかわからないが、獣人同士の交わりで子供ができることはなく、人間との間にたまに生まれることがあった。ただその確率は低く、ほとんどは人間の子供が生まれてきた。


 獣人の特徴としては、通常はその赤い瞳の色と金色の髪の毛だけで、見た目は人間そのもの。ただ、凄まじい身体能力を有し、赤い満月の夜だけその姿を人から獣にかえた。獣の姿に変化した獣人に理性はなく、本能のみのまさに獣になる。

 そしてその本能は、「人間を喰らえ!! 」と身体の奥底から突き上げるような衝動を与える……と人間達は考えていた。


 ゆえに獣人と人間の婚姻は成立は難しく、その人数は衰退の一途を辿っている。たまに成立したとしても悲劇が待っているだけだった。

 何せ、赤い満月の上がる夜は特定できなかったからだ。


 人間達は、赤い満月が上がるのを見ると、慌てて家に入り、頑丈に戸締まりをするのであった。


 ★★★


 赤い満月が上がり、星の瞬きのみが鬱蒼とした木々の間から漏れ、人間の目には漆黒の闇夜に見える……そんな夜、エルザは血の匂いを嗅ぎ付けて眉を寄せた。

 酷く魅力的な、甘い砂糖菓子を鼻先にぶら下げられたように、フラフラと足が引き寄せられる。しかし、最大限の理性を手繰り寄せ、本能を押さえ込んだ。


「どこのバカだ? こんな夜に自殺志願者か?! 」


 彼女はエルザ・オルコット。赤い満月の夜に、理性を保ったまま月明かりを浴びれる唯一の存在だ。

 金色の髪に赤い瞳は、獣人の特徴そのものだが、男女問わず逞しい体躯の獣人と違い、ほっそりと華奢なその身体は、猫科の動物を連想させるほどしなやかで柔軟だ。見た目は十代の乙女のようであるが、実年齢は三百八十八歳。獣人の寿命を軽く八十八もオーバーしている。

 その理由は、彼女の耳を見れば明らかで、彼女の耳は鋭く尖っていた。そう、この世でたった一人、獣人と妖精のハーフ。しかも、両方の特性を備えているのは稀少……というか前列がない存在だった。


 エルフの特徴である高い知能と、自然を操る魔法を使い、その知能ゆえか理性を留める術を知り、獣化することなく獣人の高い身体能力を有していた。


「……た……すけて」


 エルザが駆けつけた先には、今にも獣の牙にかかりそうになっている若い女がいた。何かをしっかりと抱きしめ、背中と腕に致命傷と思われる程の深い傷をおっていた。

 女は、信じられない面持ちでエルザを見つめると、肩を獣に引き裂かれながらもエルザに向かって胸に抱いていた者の背中を押した。


「行きなさい! この子をお願い!! 」


 獣の手が走り出した子供に伸びるのを防ぐように、女は獣に抱きつくと、その牙の前に首筋をさらした。


「あなた! 愛しています」


 獣は女の首に牙を沈みこませ、骨を噛む音がゴリゴリと響いた。

 子供は四~五歳だろうか? 黒髪のところを見ると、人間の血をひいたのだろう。背中には母親同様の鋭い爪痕が三本ついていた。

 よろけてエルザの胸の中に沈みこみ、そのまま意識を失ってしまったようだ。

 その強い血の匂いがエルザの鼻腔をくすぐり、耐えられないほどの欲求に襲われ、身体の細胞が変化していくような感覚がした。

 しかし、エルザは目の前で行われている蛮行から目を背けず、睨み付けるように見ることにより理性の糸をつなぐ。



 妖精は美を愛し、醜を嫌悪した。

 人間を食い散らかすその様は、明らかに醜悪であり、エルザが憎む獣人の最たる姿だった。


 もう、あの女は救えない。しかし、この子供はまだかろうじてその生命を繋いでいるようだ。

 そう判断したエルザは、子供を抱えその駿足で森を駆けた。風の助力を得て、獣人さえも追い付けない速度で走り、風の守りを張ることで匂いの拡散を防ぐ。


 森の奥にある滝の前までくると、手をかざしてその水の流れを分けて滝の奥に入る。エルザが入った途端、凄い量の水がドドーッと音をたてて落ちた。

 奥は洞窟のようになっており、何故か壁から青白い光が出ていてホンノリ明るかった。苔が光っているのだが、その光を増幅させる鉱石のせいでもあった。


 曲がりくねった迷路のような通路を悩むことなく歩くと、エルザはある岩の前で立ち止まった。一見行き止まりのようであるが、エルザが呪文を唱えると、岩が揺らいでさらに先の通路が現れた。その先を進むと、暖かい明るい部屋にたどり着いた。そこは光苔ではなく火が灯っており、どこからか空気の流れがあるのか、ほどよい気温が保たれ、新鮮な空気が満ちていた。


「さてと、この血を拭って傷口を見ないとなんだが……」


 エルザは血に触ることを疎んじていた。血を嫌う妖精と、血を好む獣人の特性が混じり合った故に、必要以上に近寄らないようにしていたのもあった。

 だが、そんなことを言っていたら、この子供は死んでしまいそうだ。エルザは呪文を唱えて水を操り子供の血を洗い流した。ついでに自分についた子供の血も洗い流す。血の匂いをが消え、エルザの頭に染み付いたモヤのようなものもスッキリする。


 傷口の止血を行ったが、その傷は内臓に達するほど深く、このままでは止血できても命はないだろう。

 エルザは、迷うことなく腕にナイフを当てるとザックリと引いた。赤い血が滴り、その血を子供の口の上に垂らした。


 しかし、子供の顔を汚すだけで、子供の口には入らない。


 エルザは傷口に口を寄せると、自分の血を口に含み、そのまま子供の口に注ぎ込む。

 エルザの唾液の混じった血液が子供の口に入り、ゴクリと音をたてて飲み込んだ。

 その途端子供の青白かった顔に赤みがさし、 身体に体温が戻ってくる。

 妖精の血は万能薬とされ、死さえ遠ざけると言われていたために行ったのであるが、確かに万能薬だったらしい。子供は呼吸まで落ち着き、健やかな寝息をたて始めていた。


 エルザは口をすすぎ、呪文で松明の明かりを消した。

 明日の朝になってから、この子供をどうするべきか考えればいいだろう。

 エルザは子供の横に身体を横たえた。

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