第3話 禿げは勘弁です
「シン、おまえに教え忘れていたことがある」
「なんでしょうか? 」
あくまで上から言い放つエルザであるが、すでに身長は僅かであるがシンが追い抜いていた。
「人間との接触の仕方だ。会話から買い物の仕方まで。昼間ならば獣人だって村に入り、仕事をしたり買い物をしたりできるようになった。ごく最近、決まった法律であるが、やっとこの国の建国に粉骨砕身努めた獣人の働きが認められたのだ」
乱世の時代、獣人達の存在は大きく、彼等の働きなくして国は成り立たなかったと言っても過言じゃない。けれど、獣人はある期間暴走状態になり、人間を襲う。どんなに愛している人間に対しても、牙を向き肉を喰らうのだ。故に人間は獣人を忌み嫌い、どんなに功績があっても、自分達の生活の場所に入り込むことを拒んだ。
肉食獣を草食動物の群れの中に放つことはしないのと同様だ。
しかし、それでは獣人は獣並の生活しか営めなくなる。獣人のみで生活をまわすには、絶対量が少ないのだ。
国が建って百年、やっと獣人が人間生活へ表だって進出できる環境が整ったのだ。例えそれが制限つきのものだとはいえ、大きな一歩になる。
「エルザは、人間の社会に詳しいの? 」
「そりゃあな、伊達に四百十八年も生きていない」
それだけ生きていれば、年齢を数えるのも鬱陶しくなりそうなものだが、エルザは一歳の違いも許しはしない。四百十八歳でも、見た目通りの乙女なのだ。
「でも、この見た目じゃ……」
いくら条例で決まったとはいえ、人間の獣人への嫌悪感が薄まった訳じゃない。
「まあな、では、こっちにきてみろ」
洞窟を抜けて、滝とは反対側の出入口から森へ出る。こちらはエルザの魔法がかかっており、出ることはできても入ることはできない出口になっていた。
それはエルザであっても同様だから、少々めんどくさかったりするのだが、防犯の面ではしょうがないのか……? いや、エルザの剣技と魔法の力があれば、たいていの暴漢は撃退できるし、獣人が相手でも負けることはないだろう。
なら、何でそこまで念を入れるのか?
シンには理解できなかった。
まず、こんな場所に隠れるように住まなければならない理由も分からなかった。
何かを恐れるような性格でもないだろうに。
「この薬草を覚えておけ。この薬草で髪を染めると、一ヶ月は黒い色が抜けない。黒……というか濃い紫なんだが、一見黒にしか見えないから問題ないだろう。この液をかなり薄めると、衣服とかの染料になる。おまえは、黒い瞳だから、この染料で染めれば、人間にしか見えなくなるだろう。ただし、まちがっても地肌にはつけるなよ。しばらく紫色に染まるからな。」
エルザは自分で言って、フフッと笑う。
「シンも、いづれ必要になるかもしれないからな。覚えておくといい。頭の薄くなったオヤジは、わざとこれを頭皮に塗るそうだ。頭皮を黒く染めて、髪の毛があるようにみせるそうだ」
「僕はそうなったら全部剃りますよ」
「フム……それは潔いかもしれないが、おまえにツルッ禿げは似合わないんじゃないか? 」
エルザの中ではいつまでもイメージは五歳の時のシンで、禿げオヤジになったシンの想像がつきにくいらしい。首を傾げ、目を細めてシンの顔を覗き込む。
獣人は人間の異性を引き寄せる必要があるためか、整った顔立ちの者が多い。自然淘汰……の産物なんだろうが、男なら目鼻立ちがくっきりとした逞しい肉体美の者が、女なら目がパッチリして唇が厚く胸の大きな肉感的な者がほとんどだ。
そんな獣人を父親に持つシンは、体格こそ人間並であるが、エルザに鍛えられたおかげで持久力重視のしなやかな筋肉がついた細マッチョの体格を有し、顔立ちは父親によく似た切れ長で涼しげな目元と、薄く引き締まった男らしい唇を持ち、細く高い鼻だけは母親から受け継いでいた。
つまりは、それなりに美少年に成長していたのだ。
ただ、それを本人もエルザも自覚はしていない。何せ、異性で比べるべきでもないのだろうが、正に美の象徴である妖精の血をひくエルザを常に見ていたからだ。
黄金比としか言い様のない、一ミリも狂いのないバランスに配置された目鼻口。個々をとっても大きさ形パーフェクトだ。肌は抜けるように白く、一点の染みもない。ただ一ヶ所、腕に赤い筋のような痕が残っているのを除けば。シンを助ける為につけた傷痕だ。
シンはエルザしか知らなかったから、自分の容姿は平凡でとるに足らないもの……と認識していた。
「最初はわたしが染めてやろう。いいか、よく擦り潰してだな、櫛を浸して髪をすくんだ」
小さい時はよくエルザに髪をとかしてもらったものだが、大きくなってからやってもらうのはくすぐったいような照れ臭いような……。
髪の毛はすぐに真っ黒に染まり、髪の色さえ変わってしまえば、見た目はまるっきりの人間そのものになる。
「エルザも染めるんですか? 」
黒髪のエルザも見てみたいものだが、その綺麗な金髪がしばらく見られなくなるのかと思うと、もったいないような気もする。
「馬鹿か? 髪を染めても、赤い瞳は隠せないだろう」
本当に馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、エルザはゆっくりと呪文を詠唱した。
緩やかな風がエルザを包み、その風が落ち着いた時には、茶色の髪に茶色の瞳のエルザが立っていた。耳も人間のように丸くなっている。
「姿変えの魔法だ」
人買いが目をつけること間違いない、超絶美少女がそこには立っていた。
「僕も、それで良かったんじゃ……」
一ヶ月近くもとれない染料で染める必要がなかったことに気がつき、シンは自分の髪の毛を引っ張って頬を膨らます。
「いつまでも私がそばにいると思うな。おまえは魔法の素質はないんだから、地道な方法を覚えろ」
確かに、それはエルザの昔からの教育方針で、魔法ですぐに火もつけられるし、水もくんでくる必要がないのだが、シンには一から火のつけ方を教えたし、何往復もさせて水もくみに行かせた。
シンの為……なんだろうが、スパルタを楽しんでいた……そんな様子があったのは否めない。
妖精の長い人生、多少の遊びが必要なようだ。
「髪の毛がパサパサしますよ」
「そりゃそうだろう。だから頻繁に染めるなよ。本当に禿げるからな」
「マジですか?! 」
そんな物騒なもの教えてくれるなと思うが、それしかないのだから仕方がない。第一、使い続けて禿げるのか、元からの性質なのかは何の証明もない。
獣人の金髪を染めるための物ではなく、薄毛隠しに重宝されている物で、つけていた人が禿げあがった……といった文献しかないのだ。
魔法の素質は0だが、なんとしても姿変えの魔法だけは取得したい! と切望するシンだった。自分の見た目に頓着している訳じゃないが、誰だってツルッ禿げは回避したいだろう。
「一ヶ月に一回を守ることね」
「そうすれば禿げないですか? 」
「……さあ? 」
禿げ上がった自分が脳裏をよぎる。いや、そうすれば、見た目はまるっきりの人間だ。人間の世界に溶け込むことだって……シンの目に涙が浮かんでくる。
そうだ! 何も人間の世界に固執することはないんだ! 何せ、今までエルザと二人で生活して、何の不自由もなかったんだから。食べ物だって自力で調達できるし、火だっておこせる。飲める水の場所もバッチリだ。薬草の知識もエルザから教わっているから、ちょっとした病気くらい自分で何とかなる。
「あの……人間と接触する利点はなんですか? 」
「は? 」
「ですから、人間の世界を知らなければならない理由は? 」
エルザの蔑むような視線に負けず、シンは再度問いかける。髪の毛を失う危険を推してまで、人間と交わる理由があるのだろうか?
「おまえは一人で長い人生を生きていくつもりなのか? 第一、おまえは獣人の印である金髪を除けば、れっきとした人間だ。多少長生きで、身体能力が人間離れしたものの、獣に変化することはないのだから」
それは、赤い満月が上がった夜に立証済みだった。人間を目の前にした訳ではないから、もしかしたら「人を喰らえ! 」という獣人の本能に突き動かされることがあるのかもしれないが、とりあえずはエルザと対峙していても、何も感じることはなかった。
いや、「どうだ? 何も感じないか?! 」と詰め寄られ、その美しい顔を間近にし、甘い吐息を肌に感じて何も感じない訳がないが、エルザの問おうとしていることとは別の次元のことゆえ、「大丈夫です」と答えた。
「エルザがいるじゃないですか?」
シンが長生きになったとはいえ、たかだか三百年ほどだ。千年生きる妖精とは比べるまでもない。ならば、エルザがいる限り、シンは一人になることはないだろう。
「私がいつまでもいると思うな。というか、私に甘えるな。独り立ちしろ! いい大人が、いつまでも他人の庇護を受けようとするな! 」
「そうですね……。でも、僕が大人になるには、あと二十年くらいかかるんじゃないですか? ほら、見た目は十四~五くらいですし」
「実年齢三十五のオヤジのくせに十代ぶるんじゃない! 」
「それを言うなら、エルザは四百十八歳じゃないですか。エルザに比べたら僕なんか、ヒヨコどころか卵でしょ? 」
「当たり前だ! おまえなんかまだ生まれてすらいない卵同然だ! 」
「なら、やはりまだエルザの保護が必要ですよ。二~三百年くらい」
「そうしたらおまえはヨイヨイのクソジジイだ」
「エルザ、口が悪いですよ。そうですね、そうしたらエルザに介護をお願いしないとかもしれませんね」
「クソが! 」
美少女の口から洩れる罵声にゾクゾクするシンは、エルザの調教……もとい教育があってこそかもしれない。
「とにかくだ! おまえは人間なんだから、人間の世界を知る必要があるんだ! わかったな! 」
知るのはかまわないが、どこで生きるかはすでに定まっているシンであった。
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