第3話 「あんな笑い方もできるのか」と大臣は言った
「もっと力を弱めて下さい!」
「魔法を撃つときは必ず上空に!!」
「なんで、すぐにできちゃうんですかぁ!?」
「なんですか、その魔法は!? 勝手に発明しないでください!!」
そこからはシルヴィアによる怜士のための魔法制御と魔法習得の特訓が始まった。コントロールとバリエーションさえ身につければ、怜士に敵はいないと考えたのだ。
しかし、膨大な魔力を持つ怜士はコントロールが不得手で、最も労力を費やした。一方で、現代日本で適度にゲームをし、漫画などを読んでいた怜士は魔法のイメージ力が卓越しており、あっという間に数々の魔法を習得した。その上、オリジナルの魔法まで作り出したのだから、聖女の立つ瀬がない。
事前に注意を促しても、やることなすことのほとんどが悪い方向を向き、シルヴィアを困らせる怜士。魔法を撃つときは上空へ向けるという約束があっても、シルヴィアの不安は尽きない。
「ごめんなさい、シルヴィアさん!!」
「シルヴィアさん、すみませんでしたぁ!!」
「つ、次から気を付けますです……」
「ちくしょう! もう謝罪の言葉が浮かばない!?」
自分では普通にやっているつもりが、どうしてもシルヴィアを驚かせ、怒らせてしまう。毎回、緊張に襲われながら怜士は訓練に臨んでいた。
(そう言えば、あんなに大きな声を出したことはありませんね)
聖女である以前に王女であるシルヴィアは、ある日、ふと思った。
怜士の魔法訓練をしているときは、王女としての振舞など二の次で、怜士の叱責ばかりだ。思い返せば、これまで同年代の子どもと遊んだ経験が無いシルヴィアは、大きな声を出す状況すら出会ったことは無い。
「きっと、普通の子どもたちはああやって騒いで、遊ぶのでしょうね……」
使命を受け入れ、幼少期の子どもらしい生活を失っていた、犠牲にしていたシルヴィアは呟いた。今まで封じ込めていたはずの願望が思わず出てしまった。
「友達と草原を走り回りたい」
「友達と川遊びをしたい」
「友達とままごとをして遊びたい」
「友達と一緒に悪戯をしてみたい」
与えられていた絵本などに書かれていた景色が、小説の登場人物がしていた行動が、シルヴィアにとっては憧れだった。
「あの人が来たせいなのかもしれません」
きっかけは間違いなく怜士の召喚だ。彼と接するようになってから一か月が経とうとしている。彼の起こすトラブルに対して、毎度声を張り上げて対応している。勇者という規格外の存在に振り回されていると言ってもいい。周囲から見れば、はた迷惑な話なのだが、今のシルヴィアにとってはかけがえのない、大切な時間になっていた。
「シルヴィアさん、何をそんなに怒って……」
「私は別に怒っていません! いくら実践演習で魔物と初めての戦闘だからといって、大出力の雷魔法で草原ごと焼き払って地形を変えたことなど、何も気にしていません!!」
「それを怒ってるって言うんじゃ……」
「何か?」
「何でもございません! 以後注意します!!」
ギロリという効果音がぴったり当てはまるような目つきで無茶をした怜士を叱り付けるシルヴィア。果たしてこれが聖女の表情だろうか。迫力に押され、怜士は押し黙っているが、この光景を見た護衛の兵士たちは目を丸くして驚いていた。勿論、怜士の馬鹿げた魔法にもだが、シルヴィアの変容に圧倒されたのだ。
「なあ、あれって、本当に聖女様だよな?」
「俺も疑ってる……」
「いつも、ああなのか?」
「いや、勇者様と接するときだけだぜ、あんな風になるのは」
聖女シルヴィアと言えば、その美貌に加え、清廉潔白を地で行くようなおしとやかな女性で、高嶺の花のような存在だった。しかし、目の間にいる今の聖女はどうだろうか。勇者の破天荒ぶりに頭を悩ませ、常に説教をしている。
若手の兵士よりも、生まれた頃からシルヴィアを知っている熟年の兵士たちの狼狽える様子は半端ではなかった。
「う、嘘だっ!! 姫が、あんなに声を荒げるなんて!?」
「これは何かの間違いだ。きっとそうだ……」
「お、王女様……」
シルヴィアが生を受けて十六年。彼らは初めて見る彼女の一面に驚きを隠せなかった。涙を流している者もいる。
だがここで、彼らは一つの事実に気付いた。
—課せられた聖女の使命と自分たちの期待の押し付けが、シルヴィアを抑圧していたのではないか。
当たり前だと思っていたシルヴィアの性格や振舞いは、彼女の素ではなく、作られたもの。本当のシルヴィアは、心の奥底で押さえつけられるようにして眠っていたのではないかと考えた。
十六歳の女の子だ。王族や聖女という立場でなければ、国が運営する学校へ通い、同年代の友達と楽しく生活をしているはずだ。それを奪い、封じ込めたのは運命と大人の都合で、彼女を閉鎖的で隔離した場所で育ててしまったのではないかという疑念と後悔が浮かび上がった。
—でも、今の王女は何だか楽しそうだ。
「いいですか、勇者様! 次からは魔力を一定以上込めたら、お城の外壁の掃除をしてもらいますっ!」
「ええ? そんな! あんな大きな城を!?」
「問答無用です!!」
このやり取りを見ていたお目付け役の大臣、ユーグラム・ドーバンは、思わず笑みをこぼしていた。シルヴィアの教育係として、彼女が三歳の頃から面倒を見ている彼はシルヴィアを実の娘のように可愛がっていた。十年以上に渡って接してきた彼は、このとき、シルヴィアの本当の笑顔を見た気がした。
(今までに見たことのない表情だ。あんな笑い方もできるのか。いや、あれが本来の……)
「さあ、今日の実践演習はお終いです! お城へ戻りましょう、勇者様!」
「……」
「どうかされましたか?」
珍しくシルヴィアの言葉に反応しない怜士。そんな彼の様子を不思議に思ったシルヴィアはもう一度問い掛けた。
「いや、シルヴィアさん、いい顔で笑うなって思って」
「なっ!?」
シルヴィアの顔は一瞬で紅潮した。傍から見ていた他の兵士たちでも分かるほど、耳まで真っ赤に染まっている。
「ななな、にゃにを言ってるんですか!? ひゃ、早く戻りますよ!!」
そう言って速足で去って行くシルヴィア。怜士たちは慌てて追いかける。
この時、誰も彼女の表情を窺い知れなかったが、間違いなくその顔は、ほんの少しの羞恥と、喜びと嬉しさに満ちていた。
城に住まう多くの人々は、日頃から敬意を持ち、丁寧にシルヴィアに接する。これは、彼女が王女であり、聖女であるため、当然のことだ。そのため、シルヴィアもこれまで意識したことは欠片も無かった。
「聖女様、ご夕食の用意が整いました」
「王女様、隣国より使者が訪れております。至急、王とともに謁見を」
「明日は勇者様との最後の実践演習です、姫様」
今日もまた、いつもと同じようにメイドや大臣たちと会話をしているシルヴィア。この時、またも勇者によって心を乱される。
「あっ、お城の外壁の掃除、終わりましたよ。シルヴィアさん」
廊下の向こうからやって来た怜士は、魔力を込め過ぎたペナルティの清掃活動を終え、その報告にやって来た。
「……十一時間かけて、ピカピカにしましたよ。シルヴィアさん」
怜士はやや砕けた敬語を使用しているが、それでも他の者よりも率直な態度であることに違いは無い。ただし、決定的な違いは、聖女を名前で呼ぶことだ。
シルヴィアを名前で呼ぶのは、現国王である父と亡くなった母、妹。加えて大臣のユーグラムなど、限られた人物だけだ。他は、何処へ行くにも「王女様」、「聖女様」、「姫様」のどれかだ。年の近い異性に「シルヴィアさん」と呼ばれることは、とても新鮮で心が満たされるような感覚だった。
皇族という身分の人間はいるが、あくまで国の象徴であり、特に身分差はないらしく、人に「様」という敬称を付ける機会はほとんどないという話をシルヴィアは怜士から聞いた。だからこそ、怜士はシルヴィアを名前で呼ぶことに抵抗が無く、自然だったのだ。
「ふふふっ」
「ん? どうしたんですか? 俺の顔に泥でも付いてます?」
「いいえ、何も!」
「ええ~」
身分や役職ではなく、「シルヴィア・グランリオン・マルテール」として見て接してくれるレイジ・シドーという異世界人の存在は、知らぬ間にシルヴィアにとって無くてはならない、稀有で大切なものになった。
—もっと、親しみを込めて、近い存在として見て欲しい。
「そうです! これからは、わ、私のことは“シルヴィア”と呼んでください。私も、その、“レイジ様”と呼ぶことにします」
「いいんですか!? 不敬罪とかにはならないんですか?」
「王女である私が決めたのです。いいんです!」
怜士は職権乱用だと感じ、呆れるばかりだが、堅苦しくないのは彼にとっても良いことだった。
「それと、私には敬語も不要です。普通に喋ってください」
「いくら何でもそれは……」
「……言うことを聞かなければ、相応の罰を与えますよ?」
「笑顔で言うと怖いっ!! これこそ職権乱用だ!?」
自分を特別な存在として見ない、勇者らしくない勇者。人はそれを変わった存在だと言うかもしれない。しかし、シルヴィアにとっては、彼こそが自分が求めていたものを持つ人間だった。
怜士の存在が、彼に抱く気持ちが次第に変化していくが、シルヴィアがそれに気付くのはもっと先の話である。
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