第2話 「おかしな人……」と聖女は呟いた

シルヴィア・グランリオン・マルテールは、グランリオン王国の王女として、また、「聖女」として生を受けて育った。

 聖女とは、数世代に一人の確率で誕生する、類稀なる膨大な魔力と魔法を扱う才能を有した人間で、必ず王族の血筋に生まれる。そして、聖女は魔王に対抗する切り札として神が遣わした存在だともされている。

 まさにシルヴィアは人類の希望だった。


「シルヴィア。お前は世界の宝だ」


 シルヴィアは幼少期から他と隔絶された閉鎖空間で英才教育を受けて育った。会う人間は親兄弟と各分野の優秀な学者や講師に限られ、同世代の人間と接したことは極めて少なかった。

 シルヴィアは年齢を重ねるに連れて、少しずつ自分の生まれた意味と役割を理解した。また、自分が鳥かごのような場所で生活している意味も理解し、“聖女を確実に守り育てること”の重要性を察した。年頃の少女の夢や希望を捨ててまで。


「世界は魔族と魔物の進行により、危機に瀕しています。多くの人間の命が失われています」


 やがて、世界を取り巻く現状を理解し、課せられた役目や使命に関係なく、「人々を守り、救いたい」という気持ちがシルヴィアに芽生えた。そこからは毎日、来るべき日のために力を蓄え、自らを磨く努力をした。その甲斐あってか、歴史上最強とも言われる能力を身につけた聖女になった。


 しかし、ここで大きな問題が起こる。シルヴィアが歴史上最強の聖女であるのと同じく、魔王も“歴史上最強の魔王”だったのだ。想定よりも魔王と配下の魔族の力が強いことに疑問を感じた軍隊が決死の調査を行い、魔力計測をした結果、判明したのだ。


「聖女と魔王の力は拮抗している。天秤はどちらに傾くか分からない」


 グランリオン王国を中心に多くの国々の王族が頭を抱え、議論を続けたことで出された案は一つだった。


—異世界より勇者を召喚する。


 異世界より呼び出した人間は総じて強力な力を持つという伝承があり、過去に何度か召喚魔法を行使した記録と、その時に召喚された勇者の活躍が記された文献が発見された。信憑性は非常に高い。

 勇者召喚という解決策が世界を救うことに誰もが確信を持った。しかし、これが聖女シルヴィアの運命を変えることになるとは、誰も思わなかった。




 それから瞬く間に召喚の儀式の準備が進められ、遂に新たな切り札を異世界より召喚した。


「何、これ……」


 展開された魔法陣が消えた後、そこに現れた人間の一言は酷く間抜けで、普遍的なものだった。


(あれが、勇者様?)


 どこにでもいるような少年だった。

 この世界の成人男性と変わらない体格で、顔色も良く、健康そうだ。訓練をすれば戦闘に問題は無いと思われる。キョロキョロと辺りを見回しており、やや挙動は不審だが、突然見知らぬ場所に跳ばされたのだ。無理もない。

 シルヴィアは、王族として、聖女としてどう声を掛けて接しようかと悩んでいたところ、勇者は大臣たちに連れられていった。恐らく、別室で詳しい話が成されるのだろう。

 レイジ・シドーという勇者の名前をシルヴィアが知ったのは、二日後のことだった。




 怜士が勇者として召喚され、一週間が経過した。

 最初、怜士は驚きのあまり慌てる場面が多く、大臣たちはその様子に狼狽したらしい。しかし、時間を掛けて説明していくに従って、怜士は落ち着きを見せ始め、状況を理解した。彼は「仕方ない」と、一言告げると、勇者としての使命を受け入れ、訓練に励んだ。




 さらに三日が過ぎた。

 ここで漸く、聖女と勇者が面会することになった。裏では勇者の人格に問題が無いか調査をしており、無事に合格となったらしい。


「あなたが聖女のシルヴィアさん? レイジ・シドーです。えっと、ヨロシク!」


 そう言って笑顔で右手を差し出す怜士にシルヴィアは戸惑った。怜士が握手を求めたことは理解できる。勿論、それが友好の印だということも。しかし、シルヴィアはこの時、どうすればいいのか分からなかった。

 ほぼ初めて接する同年代の人間。それも男性だ。シルヴィアは妙に意識し、なかなか手を出せなかった。悪意がないことは承知している。オロオロしていると、怜士が口を開いた。


「ああ、ごめんなさい。突然で驚いたのかな? 大丈夫ですよ」


 怜士は文化の相違があると勘違いしたのだろう。手を引っ込めながら「そうか、こっちの世界は握手の文化が無いのか……」と、ぼやいている。

 シルヴィアは後悔した。善意で差し伸べてくれた怜士の手を、結果的に払ってしまったのだから。礼を欠くことは王族としての誇りが許さず、恥ずべきことだった。ただ、それよりも、彼女の心は寂寥感に包まれていた。何故、そのような気持ちになるのか自分でも分からない。

 その後、今後の訓練の予定と魔王討伐の旅の打ち合わせを行ったが、シルヴィアの耳には何も入ってこなかった。




 さらに二日後。

 この日、シルヴィアは、怜士に魔法の訓練を施すことになっている。シルヴィアが魔法の才に秀でていることが大きいが、一番の理由は“男性である勇者をつなぎとめるため”というのがあるらしい。

 昨日、戦闘訓練と称して身体能力の確認を行った際、伝承通りのとんでもない力を秘めていたということは、シルヴィアも既知のことだった。


「では、勇者様。魔法の訓練を行います。聞けば、勇者様の世界には魔法が無かったそうで……」

「ああ、そうなんです。空想の物語の中ではあったんですど、現実には一切無かったので、何をどうしたらいいのか……」

「では、私が見本を見せますね。魔法は、体内に循環する魔力を操作して集め、それを一気に解き放つことで発現します。また、その際は詠唱を組み合わせて使いたい魔法の性質を明確にする必要があります」


「『万物を燃やせ ファイアーボール』!」


 右手をかざしたシルヴィアが魔力を集め、詠唱を行うと前方に野球ボール大の火球が放たれた。


「おおっ!! 魔法だ、凄い!!」


 子どものように目を輝かせてシルヴィアの出したファイアーボールを見ている怜士。彼は魔法の無い世界から来たのだ。実物を見ればはしゃぐのも理解できる。


「訓練次第では大きさや発射速度、火球の数も変更できます。それに、さらに上のレベルの火魔法に昇華させることもできますよ」

「へえ、凄いなぁ。流石は異世界だ」


 怜士は感心しながら、自身の掌を見つめている。


「まずは魔力を掴み、操作することから始めましょう。恐らく、勇者様ならきっと———」

「えいっ!『万物を燃やせ ファイアーボール』!」


 シルヴィアが訓練の手順を説明している途中で怜士は彼女を真似て詠唱しながらファイアーボールを放つポーズを取った。


ブオオオオオオン!!


「え?」


 シルヴィアは思わず声に出して驚いた。見様見真似で怜士が容易く魔法を使ってしまったのだ。質、大きさ、射出速度、どれをとっても完璧だった。これから練習を繰り返し行うつもりでいたシルヴィアは、どういたらいいのか分からず、ただ固まっている。この硬直からは、怜士の叫び声で解放された。


「おおっ! これが火魔法か! えっ!? 何で山が一つ消し飛んでるの!?」


 驚いたシルヴィアは、怜士の放ったファイアーボールが飛んで行った方向を見ると、これまで存在していたはずの山が無い。大きな大きな山が無くなっているのだ。まるで、そこだけ手で掴み取ったように。


「な、何をしているのですか!! いくら何でも山を消し飛ばすなんて!!」

「ごごご、ごめんなさい、ごめんなさい。シルヴィアさんの真似をしてみたらできちゃって、思いの外、強かったみたいですぅ!!」

「あ、あの山は王国管理の山で、険しさ故に人間の立ち入りは禁止しています。恐らく、人的被害はありません。しかし……!!」


 城中の人間が出てきて大騒ぎになった。怜士はシルヴィアだけでなく、王や大臣たちにも大目玉をくらったらしい。ひたすら謝り続ける彼の姿は滑稽で、とても勇者には見えなかったが、たかがファイアーボールで山一つを消し飛ばすという驚異的な力は、誰もが知ることとなり、勇者としての実力を証明することになった。


(おかしな人……)


 シルヴィアが心の中で呟いたこの言葉。紛れもなく、怜士のことを指すが、そのおかしな人に自分の価値観や気持ち、人生を大きく変えられることになるとは、未だ聖女は知らなかった。

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