帰って来た元勇者のRe:START

水穂 史

第1話 「全てが終わったら、元の世界に帰して欲しい」と勇者は告げた

「よくぞ参った、異世界の少年よ。我々の都合に巻き込んでしまい、申し訳ないが、そなたに頼みがある。この世界を救って欲しい」





 突如として足元に展開した魔方陣とそこから放たれる眩い光。

 あまりの出来事に身体が硬直して動けなくなり、気が付いた時には見知らぬ場所で知らない人間たちに囲まれるようにして立ち尽くしていた。

 そして、いかにも漫画で見るような「ザ・王様」というような風貌をした男性に、先の言葉を告げられた。

 異世界人の都合によって召喚された少年の名前は志藤怜士しどう れいじ。普通の日本人の高校生だ。


「何、これ……」


 初めは夢か冗談かと考えたが、時間が進むにつれ、その可能性がゼロに等しいことを理解した。

 この世界は今、魔物や魔族が蔓延り、人間を含めた動物たちの生命存亡の危機にある。その状況を打ち破り、世界に平和をもたらすために名だたる魔法使いたちが、この「グランリオン王国」に怜士を召喚したのだ。異世界から「勇者」としての能力を備えた人間を呼び出すために。


「ア、アハハ……」


 怜士は戸惑いこそしたが、「仕方なし」として、勇者としての責務を果たすことにした。世界の危機と惨状をその目で見たこと、断ったところで生きる術も日本へ帰る術も無いことが主な理由だった。





「何コレ!? 軽いパンチ一発で家が吹き飛ぶの!?」


「おおっ! これが火魔法か! えっ!? 何で山が一つ消し飛んでるの!?」


 幸いにも、勇者としての能力を備えているというのは本当であったようで、身体能力、魔力など、あらゆる能力が基準を大幅に超えていた。

 怜士は自分でも気味が悪いと思いながらも、その力を利用して世界を回り、魔王討伐へと乗り出した。早く、元の世界へ帰るために。





 怜士が旅立ってから二年の月日が流れていた。

 長い旅路と冒険の末、遂に魔王討伐を成し遂げたのだ。

 怜士は魔王討伐の旅の出発の際、異世界の王と一つだけ契約を交わしていた。その内容は至って簡単で、怜士でなくとも当然、選択するものだった。


—全てが終わったら、元の世界に帰して欲しい。


 ただ一つの願い。ただ一つの希望だった。それが遂に成就する。


 怜士は二年の間に多くの人と出会い、多くの経験をした。これらは、日本の生活では決して得られないものだったことは言うまでもない。

 楽しいこともあれば辛いこともあった。自分を慕ってくれる人間もいる。この世界に未練が無いと言えば嘘になるが、怜士の想いは揺らぐことなく、当初交わされた契約通り、元の世界へと帰還することとなった。





 怜士は二年前、召喚された時に身につけていた衣服を纏っている。その時は学校から帰宅する途中だったので、学生服だった。来るべき日のために保管していた学生服に二年振りに袖を通すと、懐かしさがおもむろに込み上げて来た。


(身長は少し伸びた程度だけど、少し筋肉がついたから胸周りや二の腕がちょっときついか……。それより、十九歳で学ランって、痛いコスプレ?)


 帰還後、この異世界の服装であれば異常なほどに目立つことは間違いない。そのため、恥を忍びつつ、学生服に着替えたのだ。


「勇者レイジよ、そなたは本当によくやってくれた。おかげで魔王は倒れ、この世界に平和が戻った。国を、世界を代表して改めて感謝の気持ちを伝えたい」


 王から伝えられたのは、紛れもない感謝の言葉で、そこに嘘偽りはない。


「頭を上げて下さい、王様。最初は戸惑いの連続で大変でしたけど、それでも、この世界の人たちの笑顔と平和を取り戻せて良かったです」


 怜士も同じく、素直な気持ちを述べた。強制的な成り行きで無茶もあったが、困っている人たちに手を差し伸べ、救うことができたのは心の底から嬉しく思う。


「名残惜しいですな。本当に残る気はないのですか?」


 一人の大剣を担いだ大男が言った。

 この男は、ゲイン・モルロック。怜士とともに旅をした仲間の剣士である。すると、彼の言葉を皮切りに、他の仲間たちも口々に言葉を発した。


「そうです! また一緒に冒険をしましょう!」

「勝ち逃げは許さんぞ、レイジ!」

「やはり、気持ちは変わりませんか……?」


 魔法使いのソーニャ・レインズ、武闘家のアルム・コーエン、僧侶のカタリーナ・クレンハル。ゲインも含めたこの四人は、怜士との別れを本当に惜しんでいるようだ。


「……ごめん、みんな。みんなと一緒にいたい気持ちだってあるけど、これは最初から決めていたことだから」

「……そう、ですか」

「残念だ、馬鹿垂れ」


 カタリーナとアルムは肩を下げ、怜士の強い意志を理解した。


「でも、みんなに出会えて本当に良かった! みんなと過ごした時間は宝物のようだった! みんなのこと、大切な仲間のことを、俺は絶対忘れない!!」

「ヴオオオオオオオンンン、レイジ殿オオォォ!!」

「最後の最後まで、貴方は……」


 怜士の言葉で涙腺が崩壊したゲインは人目も憚らず、号泣している。また、ソーニャも零れ落ちそうな涙を拭っている。


(本当に、良かった……)


 怜士はこの時、ある言葉を思い出した。


—別れには笑顔を。


 大切な者との別れが避けられないこともある。しかし、その時、涙があってはならない。共有した時間と繋いだ絆を信じ、いつまでも相手を思いやること。その想いを、笑顔を通じて相手に伝えることが何よりも慈しむべきことだ。

 子どもの頃は意味が解らなかった怜士だが、この異世界の体験で漸くその意味が理解できた。問題は、誰が言った言葉なのか、覚えていないということくらいか。


 そして、もう一人。


「レイジ様……」

「シルヴィア……」


 存在するだけで華になる。そう言っても過言ではない、絶世の美女とも言うべき女性が、不安そうな眼差しで怜士を見つめている。


 彼女は、シルヴィア・グランリオン・マルテール。怜士が召喚されたグランリオン王国の王女であり、「聖女」と呼ばれている。彼女もゲインたちと同じく、魔王討伐のパーティーメンバーだ。


「シルヴィア、ありがとう。君がいてくれたおかげで俺は魔王討伐を成し遂げられたと思っている。君と一緒に過ごした日々は今でも鮮明に思い出せるよ。こっちに来てからずっと、俺のことを支えてくれて、本当にありがとう」

「レイジ様、私は!」

「寂しくなるけど、俺の心にはシルヴィアが。シルヴィアの心には俺がいる。世界が離れても、それは変わらない。そうでしょう?」

「ううっ、うう……レイジ、さまぁ……」


 たまらず、シルヴィアは涙を溢れさせた。王女としての尊厳や誇りはかなぐり捨てて、怜士との別れを惜しみ、精一杯の気持ちをのせて涙を流している。


「泣かないで、シルヴィア。君は誰もが笑って暮らせる平和な国と世界を造るんだから、立ち止まっちゃいけない。新しい世界を引っ張る者として、笑顔で俺を見送って欲しいな。俺、シルヴィアの笑った顔が大好きだから」

「ずるいです、レイジ様は本当にずるいです」

「うん、まあ、そうかもね」


 必死に溢れ出る涙を止め、拭い、怜士に言われたように笑顔を見せるシルヴィア。既に目の周りは微かに赤く腫れているが、その笑顔は太陽よりも眩しく、月のように煌びやかで、最高に美しい笑顔だった。


「心苦しいが、魔法使いたちの準備が整ったようです。レイジ殿、ご準備を」


 控えていた大臣に言われ、怜士は召喚の儀式が行われる祭壇の中央に立った。ここに立つのは、二年ぶりだ。


「それでは、皆の者! 送還転移魔法の詠唱と発動を!!」


 王の掛け声で、周囲に円を描くように配置されていた魔法使いたちが一斉に呪文を唱え、魔力を解放した。一分も経過しないうちに、怜士の足元に魔方陣が展開された。


(ああ、あの時の……)


 それは紛れもなく、あの時、日本にいた怜士を呼び出すために展開されたものと同じだった。二年という月日はあっという間だったが、妙に懐かしさを感じる。帰還への期待も混ざっているから当然だろう。

 魔方陣から眩い光が放たれた。これにも怜士は見覚えがある。この光が放たれたということは、転送は近い。最後に怜士は、様子を見守るシルヴィアに笑顔で手を振った。


—ありがとう!


 目一杯の感謝の気持ちを込めて。


「や、やっぱり嫌です! レイジ様ぁ!!」


 怜士が手を振る姿を見た瞬間、シルヴィアの理性の鎖は引きちぎられた。シルヴィアはいたたまれなくなり、魔方陣内部へ飛び出し、怜士に抱き着いた。

 怜士を含めた全ての人間は、シルヴィアの突飛な行動に虚を突かれ、動けずにいた。


「え!? ちょ!? シルヴィア!! 何を……」


 それが世界を救った勇者、レイジ・シドーの最後の言葉だった。




 グランリオン王はじめ、勇者パーティーのメンバー、大臣や魔法使いたちは、目を丸くし、口を大きく開き、二人がいたはずの魔方陣の中央を黙って見つめ続けていた。

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