お出口は左側 作・海魚
今回はこちら。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054891723325/episodes/1177354054892184417
詩集
『電車に揺られるサラリーマンの呟き』収録の作品です。作者から指定がなかったのでざっ、と読み最新作に絞らせて頂いた。全体的に散文が多く、それらは詩に至る一歩前だと感じた。呟きからの言葉にしか出来ない表現や展開がまだ見られない。能書きはこれぐらいにして、『お出口は左側』に入っていきたいと思う。
夜になると方向感覚が狂う、この書き出し。詩集全体を読んでいれば捉え方は様々だがここでは終日、働いて疲れた感覚の麻痺や電車内から見た外の景色が夜の闇に塗りつぶされて、心が移ろう方向に惑うことだと考えてみた。僕は詩を読むとき現実の肉体的な感覚がみえてくる詩句が重要だと思っている。それが詩を読む他者との普遍的な感覚の共有に繋がるからだ。この詩では例えば、
右と左はわかっても
北と南はわからない
この二行だ。自分を軸にして左右は簡単にわかる。しかし、電車という常に動く箱のなか、まして夜に視界が閉ざされたときランドマークもない状態で方角は見失われてしまう。自分という軸を基点にしてこの詩句は方向感覚が狂う、という一行をしっかりと処理して読み手を引き込んでいく。
だが電車に乗っているこの肉体は、自分の意思とは別に着実に運ばれていく。その先にあるのは、家族の暖かな笑顔とささやかな夕飯、という字面だけ呼べば悪くないと思える日常だ。しかし、書き手はそこに運ばれていくことに、まるで能動的ではない。僕らもそうだが学校であれ、職場に通うというルーティンワークのような日常からそうそう逃れられるものではない。この詩の倦怠感や窮屈な感覚はそこから来ているのだろう。
タイトルのお出口は左側、もそういった決まり決まったことへの窮屈さ、やどうしようもなさ、を表していると感じる。ささやかな食事や家族の暖かな笑顔があることの幸せのような押し付けがましさもなく、どう捉えるかは読み手次第だろう。また他の作品もじっくり読んでみると違う景色が見えそうな作品になっていると思う。
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