第4話 夜の訪問者④

 その音は、まだまだ遠い。言えば、マンションの端にあるエレベーターを降りた所にいる感じだ。


ーーコツ コツ


 ゆっくりと、確実に福山の部屋に近づいてきている。


ーーコツコツコツコツ


 少しペースを上げたのか、足音は早く着実に近くなってくる。同時に福山の鼻息も荒くなる。


 これが、怪奇現象というやつか。


 初めて体験する事に、アルコールも一気に抜け、背中に冷たいものが流れてゆく。


ーーコツコツコツコツ


 とうとう音は共有スペースの廊下を超えてクローゼットの中から聞こえてきた。当然だが、道も無いはずのクローゼットの中から、誰かがここへ向かってきている。


 心拍数があがり、緊張から全身に力が入る。やばい。何かがクローゼットの扉のすぐ側にいる。


ーーコツ


 ピタリと音が止んだ。


 耳が痛くなるように静まり返った部屋の中で、俺も福山も息を殺して動かない、いや、動けなかった。


 でも。

 でも。ここで幽霊を見た方がネタになる。


 俺はポケットからスマホを取り出し、クローゼットに向かおうとした。が、福山が腕を掴んで離さない。


「ちょ、アキラ、離せよ」

「嫌ですよ!」

「目を瞑っとけ」


 無理矢理引き剥がし、俺はクローゼットの前に立つ。右手にはスマホをかかげ、撮影スタンバイだ。


 こんな事なら一眼レフを持ってくれば良かった。もとい、一眼レフだとピントを合わせる前に消えてしまうかもしれない。


 どうでもいい事が頭を過ぎる中、俺は思いっきりクローゼットの扉を開くと同時に連射モードの撮影ボタンを押した。


「カシャカシャカシャカシャ」

「ぎゃぁぁぁぁ!」


 これでもかという程のシャッター音と福山のハイトーンな叫び声をバックコーラスに、俺はクローゼットの中を凝視する。


「・・・」


 誰も・・・いない、だと?


 スマホのライトでクローゼットの中を照らし、隅々まで確認する。あるのは、スーツとワイシャツのみ、一体どうなってるんだ?


 ふと、ライトが天井を照らした時、隅の方に四角い枠組みがあるのが見えた。


「アキラ、梯子とかあるか?」


 返事が無いので振り返ると、福山は頭を抱えて丸まっている。どんだけビビりなんだ。


「アキラ、アキラ!なんもいないから安心しろ」


 恐々と顔を上げ大きく息を吐いた福山は、そそくさと踏み台を持ってきた。


「何か、あります?」

「天井のあそこ、開きそうじゃないか?」


 踏み台に乗り手を伸ばす。四角い枠組みの板がパカっと持ち上がる。どうやら上の部屋との間に空間があるようだ。


ーーカタカタ


 真っ暗な空間の中で、何かが動いているような音がする。まさか、幽霊がいるのか。


 思いきり手を伸ばすものの、天井裏までは届かない。どうしたものか、悩んでいた時だ。


ーーガタン


 大きな音と共に、天井の穴から何かが落ちてきた。


「うわっ」


 反射的に身をかがめた俺の前に、ポトリと落ちた塊がある。すかさずスマホで写真を撮影した。


 パシャリという音と共に光ったフラッシュが、それの姿を照らす。


「り、りす?!」


 茶色く小さな体を丸めて動かないが、大きな尻尾は、リスのそれだ。


「リス、ですね。うわぁ、初めて見た」


 福山は、躊躇せず両手でリスを包み込んだ。リスは怪我をしたのか動かない。


「もしかして、あの音って、リスの足音だったんですかね」


 可能性はある。もし、天井裏が広々としており、うっかり迷い込んだリスが縦横無尽に走り回っていたとしたら。たまたまクローゼットの上に巣を作ったりしているのかもしれない。ただ、うっかり迷い込んだリスは、どこから来たのかが疑問だ。


「なんだあ、良かった」


 リビングに戻ると、小さな箱を取り出し、福山はリスを入れた。


「カズさん、お願いがあるんですが」

「なに?」

「明日は朝から仕事なんです。もしお時間ありましたら、この子を病院に連れて行ってくれませんか」


 箱からは微かにカサカサと音がするが、弱っているようだ。出勤前に行けなくはないし、何より幽霊がいないのではネタもないので会社に行きづらい。


 俺は二つ返事で了承し、リスと共に帰路へとついた。


 「明日どうしよう」


 家に帰り、空いたまま放置していた水槽にリスを移し替える。食べられそうなのは、無塩ピーナツくらいか。それらを水槽に入れ、俺は布団に潜り込んだ。


 翌日、動物病院で診察してもらうと、やや衰弱しているものの、心配は無いと言われた。


 それはそれで良かったのだが、重たい気分のまま、リスと同伴で会社へと行く。


「どうだった?」

「それが・・・」


 言い淀んだ時、鐘江がブフッと吹き出した。


「まさか、廃墟から、逃げ出した、とか?」

「廃墟?」

「お前、鐘江から貰ったネタで、枷鎖の廃墟の取材に行ったんだろう?」


 ん?何を言ってる?


「俺が鐘江さんから貰ったのは、市内の事故物件の・・・」


 スマホを取り出し、転送されたメールを確認する。が、メールが無い。


「あれ?メールが・・・」

「事故物件?なんだ、それは?」


 俺は昨日の出来事を、細部に渡り説明した。福山にあった事、家に行った事、幽霊かと思ったら天井裏からリスが落ちてきた事。


 現に、大きな鞄に入れたリスは、元気に鞄をカリカリしている。


「お前の話が本当なら、少しおかしいだろう?」


 編集長は腕を組み、ニヤリとする。


「何でお前は、出会ったばかりの福山に、その場で詳しく話を聞かず、すぐ家に行く話をしたんだ?」


 言われてみれば、そうだ。


 取材の基本は、まず詳しく話を聞く事。それから現場を見て、話と照らし合わせてゆく。


 なのに、福山と会ってすぐ、俺は家に行きたいと言った。何が、どんな事が起きているかも知らないのに。


「それ、よばれた、かもね」


 ボソリと鐘江が呟いた。


「いや、でも、メールも来たし、家にも行って・・・」


 クローゼットの写真があるはずだ。しどろもどろになりながら、スマホの写真フォルダを開く。


 あった。真っ黒の写真が十数枚。何にも写ってないけど、連射したのは事実だ。


「ちょっと俺、行ってきます」


 リスの入った鞄を抱えて、俺はマンションに向かった。

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