つめたい夜風

「どうしたんですか?その…髪は」

彼女の結えた美髪に憧れを抱いていた身としては複雑な心境だった。

「そうね、まぁ、聞くよねそりゃあ」

「聞きますよ、そりゃあ」

半笑いの先輩に前のめりで接するわたしに、彼女は半笑いの上からばつが悪いような表情を薄らと浮かべた。


関係者入り口を入ってすぐに従業員の休憩スペースがある。ここのところ蛍光灯は切れていたが、日差しで部屋はあたたかく、まぶしかった。

「くだらない話なんだけどね、聞いてくれるかな」

彼女は部屋の窓脇に置かれたベンチに座るよう私に促すと、その横に立つ。そして返事を待たずに話し始めた。独り言のようだった。

ひとりでに話す彼女の顔を見つめるのがなんだか気まずくて、隣にすわった私は膝の頭を見つめた。

彼女には大切な恋人がいたこと。恋人は愛情表現が下手くそだったこと。綺麗な髪をつかまれ、罵声を浴びたこと。それでも好きだったこと。

「でもね、昨日別れてやったのよ。だからこの髪はなんというか、決別の気持ち」

彼女の独り言は突然に終わった。

続く沈黙は不快ではなかった。

「ありきたりかな。後悔はしてないけどちょっと恥ずかしいかも」

そんなことはないと思った

思ったから顔を上げて、彼女を見つめた

「そんなこと」

ないですよ と続く言葉は出てこなかった

彼女はついていない蛍光灯の方を見つめてタバコの煙を吐き出していた 逆光で顔はよく見えなかった。

「あぁ、ごめん。受動喫煙ってやつだ」

はっとしてタバコの火を捻り消し、彼女が窓を開けると春風がタバコの煙をさらっていった。

それからのことはよく覚えていない。

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