第31話 夢ってある?

「来ないわね……」

「……ですね」


 プログラムの翌日、予定通り部室に来た。

 もともとは明後日行われるプログラム後半戦に向けた作戦会議をするはずだったけど、その言い出しっぺである部長は来ていない。



 あれから朱莉を追いかけたものの、結局見つからずじまい。LIMEを送っても既読すらつかない、電話も出ない。ただただ、彼女のことが心配になる。



「昨日、結構ダメージくらってましたもんね……」


 四角いドーナツの形に配置された机。その端っこには、朱莉が置きっぱなしにしてあるエタドリの商品とパンフレットがある。「売り物、触るな 買うなら良し」と書かれた丸い文字が、とても朱莉らしかった。


「アイツ、このままエタドリやめるのかな……」


 自分でも分かるほど弱々しい声で呟く。羽亜乃さんは磨りガラスに映る人影を待っているのか、斜めの前の椅子に座ったまま廊下の窓を見ていた。


「どうかしらね。でも、別に借金に困ってるとかじゃないならいつでもやめていいわけだし、昨日のが引き金になってもおかしくはないわね」

「ですよね……」




 朱莉がビジネスをやめる? それはそれで、いいじゃないか。



 変な商品も勧められないし、他の人に勧誘しに行く時間も無くなるからデートだってたくさん行ける。エタドリのことがバレて、アイツが後ろ指差されることもなくなる。お金は普通のバイトをすればいい。俺だって働いて、誕生日やクリスマスにはプレゼントを贈るんだ。


 そうだよ、そっちの方がいいじゃないか。そんなのはずっと前から分かってたことなんだ。やるかやらないかでいったら、やらない方がいいに決まってるんだ。



 なのに、それなのに。なんでかなあ。

 心のどこかで、モヤモヤしてる俺がいるんだよな。




「羽亜乃、さん」

「どした?」

「つまんない悩み、聞いてもらっていいですか」


 そして、俺の今の気持ちを吐き出した。

 1人で解決できる気はしなくて、羽亜乃さんになら話せる気がして。


「やめれば良いことづくめなはずなのに、そう言い切れない自分がいて……ひょっとして、エタドリやめたら今までと違う朱莉になりそうで怖いのかな……あるいは、えっと、やめたら勧誘することもないから、その、俺に興味なくなるかな、とか……」


 困った顔を見せるのが少し気恥ずかしくて、目線を落とす。しばらくすると、羽亜乃さんの大きな溜息が聞こえた。


「まったく、君を好きだって言ってる人に彼女の相談なんかしないでよね」

「あ、す、すみません」


 顔を上げる。まるで映画の淡いワンシーンみたいに、羽亜乃さんが優しく微笑んでいた。


「多分、朱莉ちゃんがエターナルドリーマーをやめても、チョイ君は朱莉ちゃんを好きでいると思うよ。今までだって、ビジネス関係ない2人だけの時間だってあったでしょ?」

「そう、ですね」


「それに、朱莉ちゃんも大丈夫だと思う。チョイ君といるときの朱莉ちゃんは、すごくリラックスして笑ってるから」

 そして、左肩をポンと叩かれた。



「だから、考えるのは1つだけよ。ネットワークビジネスやってる朱莉ちゃんといるのが、楽しいかどうか」

「楽しいかどうか……」


 心を覆っていた積乱雲が、ゆっくりと散っていく。

 今日の日射しに負けない光が差し込み、やらなきゃいけないことが鮮やかに照らされた気がした。


「……ありがとうございます、羽亜乃さん」

「いいのよ、私なりの気持ちの示し方だから」

 そうやって照れも臆面もなく言われると、こっちが赤くなってしまう。


「でも……お礼くらいもらってもいいわよね」

「え……」


 彼女が椅子を離れ、3歩、俺に近づく。



 いつもブラウザやスクリーンで見ている女優もかくや、というほどの美しさを湛えた顔が、その弾力のありそうな唇が、近づいてきた。


 頭が真っ白になって、思わず目を閉じる。夏の花のような爽やかな香り。少し音を外したフルートが外で鳴り響き、それよりも大きな心音が聞こえる。



「…………冗談よ」

「……へ?」


 彼女はゆっくりと元の椅子に座った。腕の力がへなへなと抜ける。



「力ずくで奪う気なんかないの。でもいつか、奪うつもりよ。バイナリのお客さんとして」

「ビジネスの方ですか」

「あら、プライベートの方が良かった?」

「うっ、あっ、ちょっ」


 あーあ、この人にはしばらく弄ばれそうだ。


 でも、もう少しだけ、彼女に頼りたいことがあるんだ。



「ついでにもう一つだけ、ワガママ聞いてもらってもいいですか? 羽亜乃さんにしかお願いできなくて」

「ふふっ、そう言われたら断れないわね」


 頷いた彼女に、俺は頭を下げて、今日と明日頼みたいことを口にした。




 ***




「ごめんな、急に呼び出して。大事な話があってさ」


 あのプログラムから3日が経った朝10時。夏休みだというのにずっと練習している吹奏楽部の音出しを聞きながら、地学準備室に現れた朱莉に挨拶した。


「来てもらえないかと思ったよ」

「……そりゃ、あんだけLIMEで頼まれたら、行かないと悪人みたいだしね」


 俯き加減でそう返す彼女の目には、いつもの光がない。顔全体に疲れが見え、寝不足があることが見て取れた。


「羽亜乃さんは?」

「あの研修センター行ってるよ。今日が後半戦だから、どんなことやるのか一応見ておきたいって」

「ふうん……チョイは? 行かなくていいの?」

「ああ、この話終わったら行くよ」



 ゆっくりと座った朱莉は、「ワタシは行かないつもりだけどね」と力なく笑った。


 そして、ケンカ中かのような沈黙が2人を包む。ややあって、朱莉がゆっくりと口を開いた。



「昨日今日とずっと考えてたんだけどね。ワタシ、エタドリ——」

「朱莉さ……夢ってある?」


「…………え?」

「まあそんなに大それたものはなくても、小さいものなら誰にでもあると思うんだ。夢っていうほど大げさなものじゃなくてもいい。今日は寝るまでずっと漫画読んでたいとか、そういうのだって立派な夢だよね」



 一気に捲し立てる。大丈夫、全部頭に入ってる。



「夢にはもちろんお金が必要なときもあるかもしれない。でもさ、今俺が話した『漫画読みたい』とか、どうかな? お金必要? じゃないよね、むしろ時間がほしいんだ。高い店行かなくてもコスパの良い洋服やランチは幾らでもあるし、漫画は買わずにレンタル、映画は配信サイトで楽しむのが当たり前になってる。高校生とか大学生ってやりたいこといっぱいあるし、むしろそれを消費する時間の方がお金より価値が高いんだ」


 朱莉の目は、何この人、と言わんばかりに丸くなったり点になったりしている。

 気にするもんか。続けるよ。



「でも1日24時間っていうのは絶対に増やせないし、睡眠を削って寝込んだら元も子もない。だったらどうするか。何かを削るしかない。そこで一番削りやすいのが、実は食事の時間なんだ。朱莉もカップ麺とか卵かけご飯を5分で食べるような時もあるでしょ? だけどそれは往々にして栄養が偏りがち。じゃあどうするか、そこで出てくるのがこれ」


 俺は鞄に忍ばせておいたプラスチックの小瓶を机にトンっと置いた。


「完全食のコンプリートパウダー! まずはどんな食べ物なのか説明するね」




 君は笑うかな。少しでも君を分かろうとして、少しでも立ち直るきっかけになるかもと思って、一昨日も昨日も昼から夜まで、今朝もギリギリまで、羽亜乃さんと台本作って練習してたなんて。


 ずっとずっと、君に見せることだけ考えて、あんだけビジネス興味ないって言ってた俺が挑戦してみたんだぜ。




「……さて、成分も分かったところでもう1つ。実はこれ、もし朱莉が気に入ってくれて、他の人に勧めてくれると、ハッピーなことがある。その人が買ったら、なんと朱莉にもお金が入ってくるんだよ」




 君を支えてあげられるのは自分だけ、なんて驕るつもりはないんだ。

 単純に、俺が近くにいたいだけ。

 彼女である君のそばに。ネットワークビジネスを楽しそうにやっている、君のそばに。




「な、これは販売会社も、君が紹介した友達も、そしてもちろん君自身も、全員が幸せになれる。ハッピーのネットワークがどんどん広がっていくから、ネットワークビジネスっていうんだ。どうかな、興味持てたかな?」



 全ての話が終わり、パンフレットの最後のページを閉じた。彼女は、ジッと俺を見つめる。



 そして、ククッと口角を上げた。


「上手じゃん。アピュイにならないの、勿体ないよ」

「やめることないって。エタドリやってたから出来たことも、いっぱいあるだろ」


 ビジ研だって、羽亜乃さんと出会えたのだって、疑似通貨や新興宗教に巻き込まれかけたのだって、俺達が出会ったのだって。


「俺をアピュイにするんだろ? 周りに勧めたくなるような商品、早く探してくれよな」


 机を上に置いていた両手をグッと握る朱莉。俺が掌を近付けると、くらきねのあんみつ屋のときのように、「うりゃっ!」と弱パンチの連打を浴びせてきた。


「ありがと、チョイ。なんかゴチャゴチャ考えすぎてた」

「いいってことよ」


 よし、と言って両頬をパンパンと叩く、我が部長。その目は自信と闘志に溢れている。


 ああ、うん、もう大丈夫。やっぱりお前は、こうじゃないとな。



「ねえ、後半戦のプログラム、まだ間に合うかな?」

「もう始まってるけど、終了までには着けるはずだな」

「よし、すぐ行こう!」

「風鳴さんにやめないって宣言するのか?」



 部室のドアをガラガラと開けた彼女は、こちらを振り向いてニッと歯を見せた。



「もっと大事なことよ」

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