第30話 彼女の異変

「…………え?」

 ……は?


「それは、どういう……」

 女子中学生が困惑したように聞き返す。


「辛かったから、少しでも自分で自分を認められる部分を作りたかった。それに、ご両親に話せることを少しでも増やしたかった、とか。でも、そんな理由で始めたビジネスなら、うまくいかなくても仕方ないと思うんだ」

「そう……なんですかね……」


 答えに窮する女子中学生に、間髪入れずにフォローに入る。


「実際のところは僕達は分からない。本当のことは、君にしか分からないからね。でも、可能性の1つではあると思う。ビジネスをやることで、君には拠り所ができた。ご両親が機嫌が良いときに伝えたい話題を作って、且つ自分自身が気を遣わずにいられるコミュニティーができた。でも、今はどうかな? もう必要ないんじゃないかな? だって、僕達に話すことができた。もう君は、1人じゃないんだよ。ビジネスに頼らなくても、ありのままでいられる居場所がここにあるんだから」


 その言葉に、「そうか……そうですね」と彼女の返事が聞こえる。その声色は 表情は少し明るくなる。暗い中でも十分に分かるほどに。


「そうか……そうですね……うん、もう、必要ない気がしてきました。風鳴さん、ありがとうございます」

「お礼はいいんだ。これは、君が見つけたことなんだから。みんな、彼女に改めて拍手を!」


 これだけの人数しかいないのに、部屋が割れんばかりの拍手が鳴り響く。涙を袖で拭ってる人もいた。


「よし、じゃあこの調子で、順番に話していこう。大丈夫、僕達は誰も、みんなのことを否定しない。自分のペースでいいから、ゆっくり自分の魂を解放していこう。そうすれば、ひょっとしたらみんなにとってビジネスが必要なくなるかもしれない」


 こうして、プログラムは進んでいった。誰かが話し、周りはそれを黙って聞き、風鳴さんがそれを優しく受け入れる。そして対話することで、ビジネスの要らない自分に気付く。感謝と感動と、温かい拍手。


 俺はそれを、何とも形容しがたい気分で、まがい物を見る気分で眺めていた。



 別にLiSリスがダメなことをしているとは思ってない。それでも何かひっかかる、やり方に違和感を覚える。


 心を開かせて、パンドラを開けさせて、脆くなった剥き出しの本人に「もうビジネスは必要ないんじゃないかな」といさめる。強制的に救いを求める状態にして、手を差し伸べる。それは何か、ある種の洗脳に近いものを感じた。



「じゃあ次は君の番だよ」

 敢えて名前を知らないフリをして、風鳴さんが朱莉を指す。


「辛かったこと、あるかな?」

「えっと……」


 いつもよりずっと小さく、弱々しい声に驚き、羽亜乃さんと一緒に彼女の方を見る。そういえば、ずっと周りの様子に気を取られて、朱莉に注意を向けていなかった。


「大丈夫? 言えるかな? 無理しないでいい。僕達は仲間だから。ずっと待ってるから」


 風鳴さんの言葉にコクリと頷く。その不安や安堵の入り混じった表情は、これまでに「解放」された人たちが話す直前のそれによく似ていた。



「…………引っ越し、多かったんです、ワタシの家」



 以前、俺に聞かせてくれたその話。

 空気に呑まれたのか、心が染まったのか、これまでの人と同じように、虚ろにも見える目でポツリポツリと話し始めた。



「……そんな感じで、部活も習い事も、出来なくて。もし楽しくなったときに、引っ越しでやめなきゃいけなくなると悲しいから。だから、どこでも続けらそうなエターナルドリーマーを選んだんです…………でも!」


 絞り出すように、声を荒げる朱莉。それは、泣き声だった。


「ホントはやりたかった! 部活も! 習い事も! やりたかった!」


 立ち上がって叫んだ。真っ赤になったその目から頬まで、涙の跡が光る。


 いつもの朱莉じゃない。この場の雰囲気に侵食されて、自分の心の一番ザラついた部分を曝け出している。「やめろ」と風鳴さんに言いたかったけど、もし「今」の朱莉が望んでいることなら無碍むげにするわけにもいかなくて、どうにも動けずにいた。


「いいんだよ、やっても。今から始めていいんだ」


 ワックスで持ち上げている髪をサッと撫で、これまでと同じトーンで、風鳴さんが受け止める。


 馬鹿言うな、そんな耳障りの良い言葉だけ並べて何になる。始めた結果、うまくいかなくて傷付いたときの責任も取れないクセに。朱莉だってそれを分かってるからその道を選ばなかったのに。自由が聞いて呆れる。


「今から始めたっていい。後で後悔するよりずっといい。もうしばらく転校はないって言ってたよね。だったら今から始めればいいんだ。誰も君を笑わないよ。笑ったとしても、そんな人は気にしなければいい。だって、一番大事なのは君の気持ちだからね」


 俺がくらきねのカフェで綺麗事だと飲み込んだその言葉を、彼は遠慮なく朱莉に伝える。


「……そっか、ワタシも、始めていいんだ」


 朱莉は、ポツリと呟いた。

 そして風鳴さんが、あの問いを投げる。


「そしたらもう、君にビジネスは要らないんじゃないかな」

 その言葉に、朱莉はみるみる目を見開く。


「え……どうだろう……どうだろう……え、わかんない、わかんない……わかんない……」


 立ったまま頭を抱え、呼吸を浅くして、「わかんない」と繰り返す。

 完全に錯乱してる。ダメだ、もう止めないとダメだ。


「朱莉、しっかりしろ」

「朱莉ちゃん、落ち着いて」


 羽亜乃さんと一緒に声をかけたものの、過呼吸のようになっている彼女の耳には入っていないようだった。


「わかんないよ、わかんない! 何にもわかんない!」

「あっ、ちょっと!」

「朱莉、待てって!」


 彼女はこれまでで一番大きな声で怒鳴り、そのまま教室を出ていった。




「ちょっと荒療治だったかな。でも、だからこそこういう機会が必要だったってことだよ」

 よくあることなんだ、と言わんばかりに落ち着き払って口を開く風鳴さん。


「知尾井君、3日後の後半戦、できたら彼女もまた連れてきて来てほしいな」

「……どうですかね」


 吐き捨てるように言い、他の参加者には目もくれずに羽亜乃さんと2人で後を追った。

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