第29話 魂の解放
「なんか立派な施設ですね、羽亜乃さん」
「独立行政法人、だったっけ? ちゃんと政府が絡んで運営してるらしいわ」
プログラムの当日朝。案内された教室を探しながら、3人で施設内の廊下を歩く。
指定された場所は、やや田舎にある研修センター。運動場も併設されているこの施設には、合宿にも対応できるように宿泊棟も建っている。予約は激戦だけど、格安で使えるらしい。
「このプログラム、無料なんだろ?
「NPOとか言ってたから国から助成金みたいのあるんじゃない? ワタシその辺りはあんまり詳しくないけど」
4階建ての中には、大小さまざまな教室が配置されている。中にはマイクを使った講義ができる部屋もあるらしい。
「そういや、風鳴さんからLIMEで案内の後になんかメッセージ来てたな。『君はビジネスをやってるのかい? やってないならすぐに部を辞めるべきだ、取り返しのつかないことになるぞ』って」
「うははっ、ワタシ達は善良な市民を取って喰らう魔女かっての」
ヒッヒッヒ、と魔女笑いをしてみせる朱莉につられて笑ってしまう。
だぼっとしたやや厚手の白Tシャツに、薄いオレンジ地に小さなドットをあしらった丈の長いフレアスカート。スカートの前の飾りボタンも花になってるのが可愛い。というか、着ている人が可愛いから何でも可愛く見える。
「でもワタシのところにも風鳴さんから『僕達は何人もの相談に乗ってきた。
何それ、殺し文句が怖い。
「はーの先輩にも来てませんでした?」
「ああ、うん、似たようなの来てたわ。あと、『それとは別に今度お茶でもしましょう』って書いてあった。すぐ断ったけどね」
「さっすが! モテる!」
プログラムのビラを丸めながら囃し立てる朱莉。いや、そりゃそうだよ、見てごらんよ彼女の美貌を。
今日は、青に白い花柄のワンピースの上から白ブラウス。何が良いってスカートの一番下の部分。細かいメッシュ生地のチュール状になってるんですよ。
この、この透け感……! 何、俺透視能力持っちゃったの? その細い網目から見える脚たるや、もう犯罪的に俺の欲望を煽ってくるね! もっと! もっと俺に透視の力を! できたら全身覗きたいからさ! それもう犯罪的っていうか犯罪だぞ。
「あ、この教室ね!」
ようやく目的地に着き、中に入る。机が全て端次にどかされ、車座に置かれた9~10脚の椅子には、俺達2人を除く全員が既に座っていた。「私が売った人はいないわね」「ワタシも。良かったです」と隣で朱莉がボソリと呟く。
「3人とも待ってたよ。手ぶらでいいから、そこに座って」
LiSと書かれたバッヂをつけた風鳴さん。ネイビーのジャケットを袖捲りして着こなしている。
「じゃあ『魂の解放』プログラム、始めようか。進行は僕、
紙も見ずに話す風鳴さん。この進行をやり慣れてることが窺えた。
「自己紹介は無し。まずはみんな、目を瞑って深呼吸して」
お互いの顔も知らない中で、急に深呼吸。皆、動揺しながらも指示に従う。
十分に息を吐いたところで、風鳴さんがゆっくりと口を開いた。
「よし、これから魂を解放していくよ。みんなが疲弊しながらも、ビジネスを続けている理由って何だろう? 僕達Life is Sunshineはこう考えている。『過去のトラウマや辛かったことに原因があるんじゃないか』って。だから今日は、それを全員で曝け出していこう。そうすればきっと、人生は正しくなる。君達の人生は、太陽になる」
直感がゾクリと反応した。ああ、これはヤバい気がする。
この人達は心からの、真っ直ぐな善意で、純粋な純粋な「こういうビジネスはやめたほうがいい」という考えで、このプログラムをやっている。
うまく言えないけど、それがとても、危ういものに思える。
中学生から大学生くらいまでの皆が輪になった部屋で、風鳴さんの話は続く。1人の女子を手で指し、語りかけるように話した。
「じゃあまず、そこの君から。過去に辛いこととか経験しなかったかな? どんなことでもいい、みんなに話してみてくれないかな?」
中学生らしき彼女が困った表情を浮かべているうちに、彼は窓とドアにつけられていた暗幕を閉めていく。少しずつ、空間が薄暗くなっていった。
流れていたボサノバもフェードアウトし、パチパチと何かが弾けるBGM。これはおそらく、焚き火の音。
「もうお互いの顔も、そんなにはっきりは分からないよね? それに、僕達はお互いの名前も知らない。だから、隠さなきゃいけないことは何もないんだ。どう? これなら、話せるんじゃないかな」
そうか、このために自己紹介をしなかったのか。流石に練られたプログラムだ。
やがて、その女の子がゆっくりと口を開く。
「私の家……お父さんとお母さん、あんまり仲良くなくて……お互い、いつも機嫌悪かったんです。それで……それで…………少しずつ、私、顔色を見るようになって……」
はっきり分かるくらい、声が揺れる。鼻を啜る音も聞こえた。
「弟と一緒に、今日はこれ話しても大丈夫かな、今日はやめておこうかなって、自分を抑え込むようになって……寂、しくて……っ!」
声に力が入る彼女。続けて、小学校時代の、そして最近のやりきれなかったエピソードを幾つか語り出した。
誰も何も言わないこの空間で、彼女は思いの丈を響かせている。
「……そういうのが本当にしんどくて、気が付けば逃げるようにビジネスをやってました。どうせ逃げるなら、お金が手に入れば、外でパーッと遊べるようになるし。それが私の辛かったこと、です……」
発表が終わっても、拍手もない。
皆、次にどう振舞っていいか分からないまま、風鳴さんの方をチラチラ見ている。
「……ありがとう。いきなりで話しにくかったよね、本当にありがとう」
柔らかいトーンで呼びかける。泣いているその子に椅子ごと近づき、ワックスをつけている前髪を手櫛でグッと上げた。
「普段、誰にも話してなかったでしょ? 知らない人を前に、それを出せる。それってすごいことなんだ。魂を、解放している」
一呼吸置いて、彼は問いかける。
「君がビジネスをやってるのも、心の奥底では、今話してくれたようなことが原因になってるんじゃないかな?」
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