第26話 ナイショの万能薬

「信じられるかどうか……?」

「そう」


 首を動かし、信者の集団に視線を促す朱莉。相変わらず多くの人が熱心にスマホをいじっている。


 さっきはSNSのチェックをしているのかと思ったけど違った。一心不乱に何かをメモしている。それがさっきの交霊の儀のメモだと推測できるまで、そう時間はかからなかった。


 数人で集まって楽しそうに写真を撮っている人達もいた。まるで老若男女入り混じる、年齢の歪な修学旅行のよう。そこにトテトテと牧野も混ざり、一緒に写っていた。



「ワタシだって正直この団体は変だと思う。はーの先輩だってきっとおかしいと思ってる。でもね、救われてるのよ、これで。だからいいの、それをワタシ達が否定する権利なんてないわ」

「あ……」


 そうか、そういうことか。「信じられるかどうか」って、そういうことなのか。



 いきなり来た俺からすれば違和感だらけで疑いたくなるようなことでも、彼らからしたらそれは教祖が交霊によって引き出したメッセージで、「ありがたいお言葉」で。

 信じられるなら、どんな儀式でも関係ない。ちゃんと、救われる。


 それは、形はどうであれ、「エルダン様」が彼らをこれまで救って、導いてきたからだ。学校で居場所のなかった牧野がそうであったように、他のみんなも、どこかで辛い思いをして、その逃げ道として「ながらの幸い」を見つけた。そこで救われた。似たような傷を持つ、仲間ができた。


 だからこそ、その経緯があるからこそ、牧野達は彼を信奉し、そして町を歩く同じような人々を誘って、仲間にしていく。




「ワタシも辛いときにエターナルドリーマーと出会ったからよく分かるの。結局手段の違いだけなんだよね。音楽、映画、漫画、宗教、ビジネス、何に救われるのも自由だし、それを勧めるのも自由だと思う。でも、押し付けはダメなのよ。『これにしなさい』って言うのも、『これはダメだ』っていうのも、違うのよ」


 昔の温かい記憶を思い出したかのように、朱莉の表情が柔和になる。その言葉を聞きながら、この状況にそぐわないくらい、耳の後ろが熱くなる。


「だから、ワタシはスズちゃんのことを認めてるの。理解できないところはあるけど、一緒にビジネスはできないかもしれないけど、彼女がしてることは真正面から認めてるんだ」



 ああ、コイツはこうして、周りの目なんか関係なく、夢中になれるものが欲しくてネットワークビジネスやって、それでも自分を客観視できて、相手をきちんと見てあげて。


 そうやっていつも自分を持ってる朱莉の自信や信念みたいなものに、きっと俺は惹かれたんだなあ。



「特に呼ばれてなかったみたいなのです」


 牧野が戻ってきた。羽亜乃さんがちらと朱莉を見て、何かを合意したようにお互いコクリと頷く。そして羽亜乃さんは赤衣の彼女に向き直った。


「鈴音ちゃん、あなたはビジ研に入らなくてもいいと思うわ」

「えっ……」


 驚嘆と戸惑いで、牧野は目を大きく見開く。そしてすぐに、悲しげに眉を下げた。


「余が入るのは、迷惑なのですか?」

「そうじゃないの。私とか朱莉ちゃんがやってるビジネスは、『ながらの幸い』ほど結束の固い組織でできてないわ。みんなが個々に活動してる。ビジネスの形が全然違うから、鈴音ちゃんが思ってるようには役に立てないと思うの。それに何よりね」

「何より?」


 羽亜乃さんは笑った。教祖じゃなくたって、見てる人みんなを幸せにする、天使のような麗しい笑顔。


「鈴音ちゃんには、こんなにたくさんの同じ目的を持つ仲間がいるんだもの。みんなで考えた方が、絆も深まるし、絶対良い案がでると思う。ビジ研に使う時間を、仲間との時間に使って。そうすれば、絶対にもっと拡大できるわ」


 その言葉に、牧野の顔はぱあっと輝く。会が終わって開け放した窓から弱まった日光が射し、紫の髪を輝かせた。


「ありがとうございます」


 そして何かを言い淀み、口をパクパクさせる。やがて、にへへと苦笑しながら、「ちなみに……」と俺達を見上げた。


「皆さん、やっぱりうちの宗教には入りませんか? 今日の交霊の儀を見てもらってエルダン様のすごさが分かったと思うのです。余は、皆さんも幸せに導きたいのです」

 小さな拳をぎゅっと握って、牧野は無垢にその目を見開いた。


 うん、朱莉の言った通りだ。自分が助けてあげられないことが歯痒かったけど、彼女はそんなこと求めていなかった。俺自身が「自分は正しい」って思ってる押し付けだったんだ。


 牧野を、牧野の想いを、傷つけないで良かった。



「ありがとう、スズちゃん。でも止めておくね。私達も、幸せになりたくて選んだものがあるから。お互い違う道だけど、みんなでそれぞれの形で、幸せになろうね」

「…………分かったのです。ありがとうなのです」


 赤衣を下にパンッと引っ張って皺を伸ばし、牧野は清々しいようにも見える笑顔を見せた。



「正直、悔しい気持ちもあるのです。余はもう、この教え無しには、エルダン様無しには生きられないから。だから『なんで分かってくれないの』『絶対入った方がいいのに』って思ってるのです。でも、そういうのも含めて、相手を尊重して、認めてあげなきゃなのですよね」


 朱莉と羽亜乃さんが「そうね」と頷く。


鞘倉さやくらさんの言う通り、ここの皆さんと一緒に活動していきたいので、余はビジネス研究部の部員にはならないのです」

「そっか、仕方ないけど残念ね! でも、集客のこと困ったら、いつでもワタシ達のところ、相談しに来てね!」


「え……行ってもいいのですか?」

「もちろん。ね、はーの先輩!」

「ええ。宗教だって、広い目で見ればビジネスの1つだし」


 朱莉も羽亜乃さんもあっけらかんと答える。牧野は、これまで見たこともないような、安らいだ表情を浮かべた。


「もしかしたら、ひょっとしたら、ここに入る前にビジ研に入っていれば、ここには入ってなかったかもしれないのです」


 変わることのない、交わることのない現在地だけど、それはとても嬉しい言葉。

 別々の道にいる女子3人は楽しげに握手を交わし、俺達は懇親会の前に駅まで送ってもらえることになったのだった。




 ***




「うう、完全にやっちまったな……」


 牧野の件の2日後、夏休み中の部活。海ではしゃぎすぎたのか、髪を十分に拭かなかったのか、全身が風邪のひきはじめだと叫んでいる。まあ午前中だけの予定だし、そろそろ終わるからいっか。


「大丈夫、チョイ君?」

「ええ、なんとか……」

「海で遊んで体調崩すなんて、エタドリ会員、アピュイたるもの学生気分でいてもらっちゃ困るわよ」

「学生だっての」

 あと会員じゃないっての。


「ま、もうすぐお昼だし、ワタシもはーの先輩も勧誘のためのトークメモがまとまったからそろそろ終わりにしましょ」


 お手洗い行ってくる、と言って朱莉は部室を出ていった。


「チョイ君?」

 体が水分を欲しているので、スポーツドリンクをがぶ飲みしながら返事する。


「ぬん?」

「朱莉ちゃんと付き合ってるでしょ」

「ぶほっ!」

 あぶねえ! 噴き出すところだった!


「あ、いや、まあ、その……」

「いいのよ、隠さなくて。見てれば何となく分かるから」

「そ、そうですか……」

 女の勘、恐るべしだな……。



「でも、諦めないわよ、私」

 窓の外の晴れ間に目を遣りながら、羽亜乃さんは続ける。セミの声が、しばしの静寂を埋めていた。


「バイナリオプションだって、自分で見つけて、学んで勝ち取ったものだからね。恋愛も同じなの。私は私の幸せを自分で見つけて、手にいれる。負けるつもりないわ」

「あ、う、ありがとうございます……」


 いつどこでテレビの取材受けて「映っていた女子高生が美人過ぎたと話題に!」とネットニュースになってもおかしくないような美人な先輩が、俺を好きだと言ってくれている。こんな幸運があるだろうか。


「とりあえず、ケンカしたりして困ったらいつでも相談してね」


 二コリと微笑む。くそうっ、そんな先輩の余裕なんか見せてズルいぞ! 素敵だぞ!


「じゃあ私、バイナリを指導してあげてる人と会わないとだから、先に帰るね」



 頭がボーッとするような宣言だけ残して、羽亜乃さんは部室を出ていく。

 1人になって頭を冷やそうとしたものの、すぐに朱莉が帰ってきた。


「あれ、はーの先輩は?」

「ほへ! だっ、用っ、がっ、あってっ、先に帰った!」


 動揺のあまりスタッカートで話す俺に、「どしたの? 体調悪化したの?」と顔をしかめる。


「体調悪いときこそ、このガムよ! 『セカンドブラッドガム』、試供品噛んでみる?」

「いや、やめとくよ……効きすぎても怖いし……」


 ふう、なんとか上ずった声も誤魔化せたかな。スポーツドリンクを飲んで冷静になろう。


「ねえ」

「ぬん?」

「海行ったとき、はーの先輩、随分チョイと仲良さそうにしてたわね」

「ぶほっ!」

 さっきより危なかった! 霧状に噴くところだった!


「チョイが、っていうか、はーの先輩がチョイに迫ってた感じだった」

「そ、そうかなあ? どうかなあ?」

 もう無理だ。色々隠すにも限界が——


「誠司君のとき、チョイが嫉妬したようなこと言ってたじゃない? 気持ち分かったわ。イラっとしたもの。元気じゃなかったときあったと思う」

「……そか」


 確かに、トーンが低かったときあったな。そういうことだったのか。



「嫉妬なんて初めてかも。自分にもあるんだあ、ってビックリしちゃった」


 こめかみの辺りを掻きながら、ポツリと呟く。


「へへっ、そうだぞ。嫉妬は辛いもんだろ」


「……ううん、そうでもなかったかも」



 こっちを向く。俺の彼女が、俺に目を合わせる。



「チョイが大事なんだなって、ちゃんと感じられるから」




 返しに詰まる。言葉が嬉しくて、笑顔が愛おしくて、もう何にも要らない気がして。



「ふふっ、ちょっと恥ずかしいこと言っちゃった。帰ろっか」

「……だな」



 もうそれだけ言うのが精一杯。幸せで、幸せで、想いが満たされて。



「じゃあこのガム、あげるね。体調悪化したら食べてみて、一気に元気になるわ」

「要らないっての」



 箱に入った数粒の試供品を俺に渡し、鞄を肩から提げて部屋を出ていこうとする朱莉。



 その肩を、後ろからクッと掴んだ。



「何、ひょっとして買ってくれる気に——」

「あー……買うかどうかは別にしてさ」



 振り向いた彼女を、そのままドアに押し付ける。



「風邪は感染うつして治すことにするわ」

「……どうぞ」



 薬よりガムより、その唇が、俺の一番の万能薬だったりするんだぜ。

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