第5章 新入部員かと思ったら新興宗教でした
第22話 暗がりの中で
「はーの先輩、いきますよ! えいっ!」
「よっ、返すねっ!」
「チョイ、アタックを喰らえ!」
「ぶふっ!」
朱莉が力任せに打ったスイカのビーチボールが、見事に顔に当たる。変な方向に曲がったボールは、荷物を置いているパラソルの方へバウンドしていった。
「急いで取ってきて、チョイ!」
「わーったよ」
砂浜に足を取られながら走るしんどさも、全く気にならない。2人の水着を見られるのなら……!
「よし、俺から行くぞー! 羽亜乃さんっ!」
「はいっ!」
7月下旬、夏休み序盤。俺達ビジネス研究部は、「この世に存在する楽園」こと海に来ていた。
そんな幸せの塊みたいな状況になったきっかけはと言えば、少し前に遡る。
***
「聞いてくれ、サンクス。幸福とは何だろうか」
「チョイ、急に哲学を出す男はモテないぞ」
分かってる。分かってるけど口に出さざるを得ないんだ。
「今この瞬間を幸福と定義して良いなら、更なる幸福というのはこれ以上の精神状態になることなのだろうか。それとも、この感情が続くことだろうか」
「分かった、お前は幸せだということはよく分かった。クラスの皆に自慢するといい。恋バナなら女子も食いつくぞ、上原とか大野とか、高宮とかさ」
高宮、高宮朱莉! ああ、その名前を出されて動揺したらバレてしまう。でも聞きたい! その名前を聞いて、「クラスのみんなが知らない俺達だけの秘密」を噛み締めたいいいい!
「はあ、もう一押しなんだけどなあ」
期末テストも終わり、もはや夏休み前の消化試合と化した7月下旬。羽亜乃さんが長机に肘を押し付ける。
「どうしたんですか、はーの先輩。恋愛ですか?」
「バイナリよ」
こんな会話地球上に存在するんだな。
「もう少しで投資始めてもらえそうなんだけどね。なかなか決断までいってもらえなくて」
バイナリオプションのパンフレットでばさばさと仰ぐ羽亜乃さん。
暑さと湿気で汗ばみ、黒髪のカールがより強くなった彼女は、なんというか、目で楽しむ「艶っぽさ」って感じだ。
「男子なら、はーの先輩デートしてみたらどうです? 一緒に休日お茶するくらいの感じで」
「ううん、デートかあ。あんまり使いたくないけど仕方ないか……あと2人くらい勧誘すれば地域別の表彰載れそうだし」
「へえ、羽亜乃さんすごいですね!」
言いながら、朱莉に一瞬だけ視線を向けると、彼女と目が合った。
羽亜乃さんに気付かれないように、互いに口元だけ笑って見せる。「デートって良い響きだよな。今度行こうぜ」「いいね」なんて勝手にモノローグをアフレコしたりして。秘密の関係ってのはとても背徳的な感じで、興奮する。
「よし、ちょっと誠司君と会って成果見てくるね」
「あ、五葉も始めてるのか、バイナリ。投資うまくいってるといいですね」
「ううん、今は投資はお休み。『バイナリ・マックス』の勧誘をやってもらってるの。手っ取り早くお金が欲しいなら、細々と投資してないで誰かに42万買ってもらうのが一番早いわ。彼なら顔も良いし愛嬌もあるから、うまく女子誘えればすんなりいくと思う」
「羽亜乃さん軽くキャラ変わってませんか」
高校生感が薄れてる気がするんですけど。
「じゃあね、2人とも。今日はお先に」
「誠司君に、頑張って稼いでって伝えてください!」
返事の代わりに手をヒラヒラ振って、羽亜乃さんはビジ研の部室を出ていった。
来たよこれ……っ! 部室に2人きり。ラブラブチャンスじゃん!
初めてこのシチュエーションになったときは変なサプリを買わないか聞かれて終わったからな。あのときに「君が彼女になるか、俺が会員になるか」なんてジョークみたいな提案をして1ヶ月あまり。遂に目の前のこの可愛い人は俺の彼女になったのだ!
ぱっちりした目、自己主張控えめな鼻、ボリュームのある唇。もっと美人な人だっていっぱいいるのかもしれないけど、俺にとってはこの人が一番素敵だ。
声も好きだ、笑顔も好きだ、前髪を直す仕草も好きだ。なんかもう全部好きだ。盲目で結構、君だけは見える。
で、そんな朱莉と2人きりでしょ。これ絶対何かラブラブイベントあるでしょ。「放課後 教室 カップル 2人きり 夕焼け」で検索したらオラオラ系男子と普通の女子が恋に落ちるラブコメ映画のワンシーンとか30パターンくらい出てくるでしょ。
準備オッケーです。朱莉さん、俺、準備オッケーです!
「そう、聞いてチョイ! 今度のエタドリの新商品、結構すごいの!」
「台無しだな!」
もうわざとでしょ。わざとやってるでしょ。
「ちょっと待てよ朱莉。俺達、その、付き合い始めたんだから、アピュイはもういいだろ!」
「あら、確かにどっちが先に相手を口説けるか、なんて話はしてたけど、彼女になったら会員に勧誘するのをやめるとは言ってないわ」
それは屁理屈というのでは。
「いいじゃない、ペアルックみたいなものよ。ペアアピュイ」
「他の物でお揃いしようよ!」
あんまり嬉しくないからさ!
「じゃあ説明始めるわね、ふっふっふ」
「ホントにやるんだな……」
相当自信があるのか、「ドゥルルルルル……」と口でドラムロールをやりながら鞄を漁る。なかなか見つからなくて1回息継ぎしてるのが可愛い。
「はい、これ! 栄養ドリンクに代わる栄養ガム、『セカンドブラッドガム』です! 人類にとって第2の血になり得るってことで命名されたのよ」
壮大なテーマを掲げられたその食べ物は、一見すると普通の粒ガム。細長い紙製のパッケージに入っている。
「でもなんかガムっていうと俺達にも手が出しやすい商品だな」
「そうでしょ? でね、よく栄養ドリンクでタウリン1000mg配合、とか謳ってるわよね。このガムにもタウリンが入ってるの! 我が社は世界で初めて、タウリンの練り込み商品の開発に成功したのです! もっとも、成功したのは提携先のメーカーだけどね」
「タウリン配合のガム……?」
気になって個別包装の紙をシャラシャラと開け、粒を出してみる。セカンドブラッドの名前に相応しい、濃い血の色のようなクリムゾンカラーのガム。
「そう! 『あー、栄養ドリンク飲んで気合い入れたいけど自転車乗ってるから飲めないな』みたいなシーンってよくあるでしょ?」
「いや、ないと思うけど……」
お前その勧誘トーク納得して喋ってるの?
「そんなときにこのガムよ。一度止まって、ポケットから一粒取り出せば、アナタもすぐにエナジーチャージ!」
「いや、一度止まるなら栄養ドリンク飲んでもいいんじゃ……」
「んもう、さっきから揚げ足とってばっかり!」
ヒマワリの種を頬袋に詰めたハムスターのように膨れる朱莉。揚げ足じゃないだろ。
「かなりの量のタウリンが入ってるからね。1粒噛むだけですごい効き目よ。で、お値段は——」
「早い早い早い!」
商品の説明が怖いよ! それ大丈夫なの!
「でも12粒入って1つ5400円よ? これまでの商品に比べたら大分安いでしょ?」
「まあ、浄水器とかに比べたら……って待って、高っ!」
1粒で450円もするじゃん!
「あのね、これはホントに尋常じゃない効き目だから、ここぞというときにとんでもない効果が期待できるの。コンビニでも高い栄養ドリンクって結構な値段するでしょ? だから全然高くない」
いや、もうそれは劇薬なのでは……
「ワタシは一昨日試しに2粒一気に噛んでみたわ」
「……で、どうだった?」
「そこから寝てない」
「絶対買わない!」
もっと買いたくなるようなレポートしてくれよ!
「ちなみにダース売りだからね。1ダースで64,800円」
「結局メチャクチャ高いじゃん!」
そんなもの144粒も使うことがない人生を送りたい!
「あー、この部ももう少し部員増えてほしいわね。賑やかで楽しそう」
夜の足音に部室を追い出され、2人でスクールバッグを背負って部屋を出たタイミングで、朱莉がドアに貼られた貼り紙を見た。
彼女が書いた部員募集のお知らせ、「ビジネスとは想像力だ! 想像力とは愛だ!」という救いがたいキャッチコピーがカラフルな文字で踊っている。
「俺は今の人数でもいいけどな」
「まあ、3人も楽しいしね。それに人増えたら」
15cm小さい朱莉がクッと首を上げ、俺の方を向いた。
「チョイと2人の時間も少なくなるだろうし」
目と目が合う。お互い視線をズラすことなく、静寂の廊下で時間は進むことを忘れ、俺の顔だけが、彼女の顔へと近づく。
「じゃあ、今のうちだな」
「ん、そかもね」
夕日の中で、校舎で、なんて
暗がりで、電気の消えた廊下で、なんならムードより不気味さの方が強くて。
それでも、目を瞑った彼女に見蕩れながら重ねた唇は、今月の気候よりよっぽど熱を持っていた。
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