第17話 来訪者の言うことには
「え、はい。そ、そうですね」
俺の返しに、羽亜乃さんはぷはっと吹き出す。
「ちょっと、そんなに緊張しないでよ。話しにくいじゃない」
「あ、そ、そうですよね! すみません、なんか先輩と話すって慣れてなくて。へへ……」
それも本当だったけど、ちゃんとした理由もあった。
『君をビジネスに誘うのは一旦やめるけど、別のところで狙っていくから』
あの意味を、俺は未だに図りかねている。
いや、真正面から受け取ればですよ、そういうことですよね。でも、まさか学校一の佳人と言われる羽亜乃さんがそんなわけ——
「私、結構本気よ」
勧誘用のパンフレットらしき冊子をパラパラと捲り見ながら、彼女は涼しげに、でもどこか嬉しげな口調で言った。
「えっ、とっ……」
「チョイ君のこと、狙ってるっていったら、困っちゃうよね。でも、急に変えられるものじゃないしね、ふふっ」
こんな風に、余裕のある接し方で距離を詰められたことがない。愛想笑いすら上手くできず、誤魔化しの効かない俺の顔が茹で上がったかのように赤くなる。
「いや、でも、羽亜乃さん、すっごい美人ですから!」
「あら? それと君を狙うことに関係があるの?」
言外に置いた「もっと良い人いるじゃないですか」は、彼女のまっすぐな正論に躱された。ぼんやりと輪郭を帯びてくる気恥ずかしさで、頭がボーッと湯気に包まれる。
「私がバイナリオプションの話をすると、反応は2パターンだったの。危険を察知して嫌悪するか、夢を追うことやお金を儲けることに興味を示すか。だからチョイ君が、真剣に止めようとしてくれて、ビックリした」
そして彼女は席を立つ。ドアに向かうのかと思いきや、その途中にいる俺の前でクッと腰を下げ耳元に顔を近づけた。
「あんなの、あなたが初めてよ」
「………………っ!」
事実を言われただけなのに、何やら色々想像が膨らんでしまう言い方に、心臓は急アクセルを踏んだ。
これは! こんなのは反則だよ! だってめちゃくちゃ綺麗なんだよ羽亜乃さん! 年上の余裕みたいな感じで迫られたらトキもメキもざわめくよ!
こうやって普通に接してるけど、本来同級生、なんなら同じクラスですら近づくのに抵抗がある人でしょ! なんだろう、構成する物質は俺達と何も変わらないのに、パーツの大小とレイアウトだけでこんなに人間の顔って変わるもんなの? もう光当てながら上目遣いな写真撮影したら「今度デビューするアイドル、ルックスやばくね?」ってSNSに投稿しても疑われないで賞賛とともに拡散されるレベル。学園のアイドルってのが比喩じゃなくなる。
マズい。朱莉だ、朱莉のことを思い出せ。最高に可愛いあの笑顔を脳内でヘビロテして、今目の前で軽く小首を傾げて「ダメ、かな」みたいな表情を浮かべている羽亜乃さんのことは視覚の埒外に置くん置けない置けない何その表情最高に可憐で可愛いずっと見てたい。
「まだ付き合ってない、んだよね?」
「え? や、はい、その、俺が言っただけで……はうっ!」
動揺のあまり、余計なことをカミングアウトしてしまった。
「そっか。じゃあ私にもまだチャンスがあるかな」
「ん、いや、でも——」
「いいのよ、私がそう言い聞かせたいだけだから。想うくらいは、私の自由だもんね。じゃ、またね、チョイ君」
いつの間にか帰り支度を終えていた羽亜乃さんがニコッと笑みを見せ、ドアの外へと消えていく。
耳元でリフレインする彼女のウィスパーを感じながら、俺は朱莉への想いを高め直そうと、急いでLIMEでスタンプを送りまくったのだった。
***
「いきなりあんなにスタンプ送ってきてどうしたのよ? びっくりしたんだから」
「悪いな、その、色々あってさ……」
「なになに! 面白そう! 聞かせて!」
「いや、お前にもちょっと関係する話だぞ……」
「いいから!」
翌日放課後。北校舎の地学準備室へと続く廊下を歩く。
さっきまで良い感じに雲が日射しを遮ってくれていたのに、暑さに根負けしたのかどこかに消えてしまい、太陽の逆襲がジリジリと始まっていた。
「というわけで、まあ、その、なんだ、羽亜乃さんからそんな感じになってるわけだ」
「へえ、羽亜乃さんがねえ」
驚いたように、そして突然のゴシップを楽しむように、朱莉が歯を見せて笑う。
「笑いごとじゃないっての」
「はいはい、そうよね」
嫉妬してくれないのかな、とか、モヤモヤしてくれないのかな、とか、そんな願いとも不満ともつかない感情を胸に渦巻かせる。
おそらくそれを朱莉は見抜いていて敢えて聞かず、そして俺もまたそう聞かれないことを見越してこちらからカードを切れずにいる。
恋愛の駆け引き、なんて言えば聞こえはいいけど、実際は脳内のたくさんの俺がどう振舞うのが正解か会議を繰り広げているだけの、緊張のひと時。
「羽亜乃さんも美人だしいいじゃない?」
意地悪げに笑う彼女。待っている。俺の言葉を、待っている。いいさ、乗ってやるよ。
「……俺は朱莉がいいんだよ」
すると朱莉は満足そうにむふーっと笑って「ありがと」と肩を叩いた。
この関係を何と呼ぶのだろうか。好きなのを知っていて遊ばれているような、でも望みがないわけでもないような。
甘い誘惑を断り切れずに、芝居交じりに想いを伝える。その反応が可愛くて、乗った直後の後悔は雲散霧消する。
「さあ、今日も元気に部活を——」
ガラッと部室の引き戸を開けた朱莉が沈黙する。頭の後ろから覗くと、1人の男子が座っていた。
「鍵、かけてないんだね。ごめん、開いてたから入らせてもらったよ。廊下にいたら目立つからね」
立ち上がって軽く一礼する。うん、それは確かに目立つだろう。
俺よりも大きい身長は、180いってるかもしれない。パーマをあてた茶髪、おでこの見えないマッシュショート。こういうスナップショットのモデルいるよな、というキレイな顔立ちと、かける人を選ぶオシャレな黒縁メガネ。そして何より、
「近くの
「で、この五葉君が急に来たってわけね」
俺達の少し後に到着した羽亜乃さんが、怪訝そうな顔で五葉を見る。
外で響くサッカー部のホイッスルが、彼女の警戒心を表現しているようだった。
「いやあ、この前ビジネス絡みでこの学校来たときに、ここの研究会のビラ見つけたんだよ。絶対興味持ってもらえると思ってさ」
胸ポケットから革小物を取り出す五葉。どうやら名刺を出そうとしているらしい。朱莉が彼を見ながら、小さく溜息をついた。
「ふうん、ちゃんとワタシ達が買いたくなる商品なんでしょうね? ビジネスって相手見て商売するのが基本中の基本よ」
昨日浄水器売ってたヤツの台詞かよ。
「大丈夫だって。あ、あったあった」
改まってピシッと背筋を伸ばし、3枚の名刺を俺達に次々と渡す。
「オレ達スマートヘヴンカンパニーでは疑似通貨、『ヘヴンコイン』を扱ってるんだ。本当の通貨みたいに使えるし、なんたってネット口座に預けて資産運用しておけば、めちゃくちゃ高い利子がつくんだぜ!」
名刺に描かれた、無料サイトから拝借したらしきコインのイラストを見ながら顔が強張る。
これ、エタドリやバイナリの比較にならないくらい怪しいヤツだ……っ!
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