第16話 帰った後に
「なるほど、はーの先輩の質問ももっともですね!」
羽亜乃さんの質問に、感動したように目を見開く朱莉。ビジネスに本気になってくれる仲間を見つけたことが嬉しいんだろう。
「私はそんなに浄水器に明るくないから、性能については単純に気になるわ」
「ですよね、ちゃんと説明します。水道水にはカルキってのが含まれてて、これが塩素っぽい独特の匂いのものなんです。で。大抵の浄水器はこのカルキもちゃんと取り除いてくれるんですけど、水が自宅の蛇口に届くまでの給水管がサビたりカビたりしてる場合、安い浄水器だとそこまで除去してくれないのもあるんです」
「なるほど、完璧に美味しくて安心な水になりきらないかも、ってことね」
「2~3万の安価な浄水器もありますけど、差額がそんなにないとしたら、安全でしかも美味しい水を飲みたいですよね」
「ううん、まあ、確かにそれはそうかも」
両手を組みながら頷く羽亜乃さん。確かに、浄水器を使うって前提なら、ちょっと高くても良いもの選んだ方がいいかもな。
「それで、朱莉ちゃん、それ幾らなの?」
「ふっふっふ、はーの先輩。本当は水を飲んでもらってから値段発表といきたいんですけど、今日は特別に教えちゃいましょう。本体価格、16万です」
「高えよ!」
「さっきの差額の話は何だったの」
安い浄水器の追随を許さない!
「そりゃあ特注品だし、他の浄水器よりも0.999%も除去率が高いんだから仕方ないわよ。でも1回買えば、毎年のカートリッジ交換は3万で済むわ」
「さらに毎年かかるのかよ……」
いや、大事かもしれないけど、ここまでお金かけなくても健康で生きてる人いるんじゃ……
「羽亜乃さん、どう思います?」
彼女の横顔を覗くと、スマホで何か検索しながら唇を内側に押し込んで目を細めている。
「ううん……ずっと使えるものだし健康に関わるものだけど、やっぱり高いわよね。高校生がそんな大金ポンッて払うのは難しいから」
「はーの先輩、バイナリ・マックス42万しますよね……」
「あれはすぐ回収できるからいいのよ」
羽亜乃さん、自分のこと、棚どころか神棚に上げてるな。高くて手が届かないんですけど。
「それに、ちょっと今調べてみたけど、同じように高機能な浄水器、10万ちょっとで売ってるのもあるわよね? それとこの『Happiness Water』の一番の違いは何なの?」
「それはもちろん、『Happiness Water』なら他の人に売ることで利益を得られるってことですよ! 同じ製品なら安い方が、って時代は終わりました。これからは、同じ製品なら利益を得られる方、なんです!」
なるほど、巧い返しだ。たじろがずに自信持って答えられると、説得力でるなあ。
「どう、チョイ? ちょっと欲しくなったでしょ?」
「いや、でも……浄水器かあ……」
「あのね、チョイ。浄水器を買うんじゃないの。夢を叶えるためのツールを買うのよ」
「出たな、エタドリ理論」
でも実際手に入るのは浄水器だからさ。
「別に他の人をアピュイに勧誘しなくたっていいの。単純にチョイだけがアピュイになって、普通に売ったっていいんだから。4割引きで買って通常価格で売れば6万以上の儲けよ! 正月に親戚で集まるときに、『お年玉いらないから浄水器買わない?』『おう、いいぞ、
「お前は俺を正月に孤立させるつもりか」
一番イヤなタイプの親族だろそれ。
「とにかく、今のままじゃ俺はアピュイには入らない。入れる気なら本気で説得する材料を持ってこないと」
「じゃあもう一度、アナタの夢から聞かせてもらおうかな」
「なんでそこに戻るんだよ!」
夢は近いから! 目の前にいるから!
「あ、チョイ君、私にも聞かせて。夢によっては、バイナリオプションの方が良いかも」
「いや、だから俺は別にビジネスをしたいわけでは——」
大体この前、勧誘しないって言ってませんでしたっけ。
「ちょっとはーの先輩、チョイはワタシの顧客なんですよ? それに、夢のためならお金が稼げさえすればいいってわけでもないと思うんです。やっぱり誰かに良いものを提供して、幸せになってもらう。そこで本当の意味の『対価』が生まれると思うんですよね」
「朱莉ちゃん、その考え方はもう古いわ。これからは自分1人でも稼げるようにならないと。エタドリみたいに、毎回知り合いを巻き込んでお金を稼いでいくのは限界があるでしょ?」
ダメだ……完全に俺の存在はないものとして舌戦が始まっている……。
「巻き込むなんてネガティブに言わないでください。それに、バイナリだって結局AIシステムを他の人に買わせることが大きな目的なら、知り合いを巻き込むことになりませんか?」
「ううん、確かに買ってもらえれば大きな利益にはなるけど、自分で買って投資に使うだけでも利益は出るわ。そこがエタドリとの違いね」
「あの、2人とも、どのみち俺が買うことはないんで——」
「チョイ、ちょっと黙ってて」
「もうそういう次元の話じゃないの、チョイ君」
「はい……」
俺の夢、見つけました。この2人が俺の勧誘をかけて争わない平和な部活です。
「じゃあ、すみません。先に失礼します! はーの先輩もまた明後日!」
「うん。またね、朱莉ちゃん」
窓から見える校庭も明るい17時半。朱莉は用事があるらしく、スクールバックを肩に背負って颯爽と部室を出ていく。
あれから雑談しているうちに、いつの間にか羽亜乃さんとも仲直りしていた。女子ってその辺りの距離感がよく分からない。
羽亜乃さんは持ってきたノートパソコンを開いて、何か考え込みながらパチパチとキーを打っている。ビジネスの作業かな。
俺はなんとなく手持ち無沙汰で、明日の英語イディオムの小テスト範囲をパラパラと眺めていた。
朱莉ほど付き合いが長いわけでもなく、学園も上だし、何を話すか浮かんでこない。向こうに気を遣わせるのも悪くて、「やることがある」というポーズを取る。
「チョイ君」
パタン、とPCのディスプレイを閉じる音。
「2人になったね」
その言葉に、耳がドキリと熱を持った。
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