第3章 新たなヒロイン登場かと思ったら金融投資でした

第9話 ビジ研への来訪者

「聞いてくれ、サンクス。幸福のない人生に意味はないと思うんが、どうなんだろうな」

「突然そんな疑問を投げかけるお前は一体何なんだろうな」


 風に煽られた雲が、気分良さげにすいすいと泳ぐ窓の外をボーッと眺める昼休み。思ったままのことが口に出てしまったので、サンクスこと有賀ありが孝太郎こうたろうも驚いたに違いない。


 6月も末になり、傘が道路を埋め尽くす日も少しずつ減ってきた。梅雨明け宣言をそそのかすかのように、太陽が日射しを放って自己主張する。


「それにしてもチョイ、男子高校生にとって弁当箱ってのはこんなにも小さくて無力なものなんだな」

「お前はホント、色気より食い気って感じだな」


「おうおう、そんなことはないぞ! 俺だって彼女の手伝り料理なら胸いっぱいですぐに満腹になるってもんだ!」

「手作り料理が良いものとは限らない、かもしれないぞ……」


 蘇るあの教室の思い出。コイツなんかすぐにひっかかって鍋買いそうだな、と思いながら、弁当箱に残っている母特製の肉じゃがとご飯をかきこんだ。






「朱莉、なんだその箱は——」


 放課後、ビジネス研究部の部室に入ってすぐ、机に置かれた厚紙の箱が気になって訊いてしまい、すぐにしまったと後悔する。こんな分かりやすいトラップに……。



「そうよね、気になるわよね、チョイ! ついに来たわ! エタドリにも高校生が興味持てそうな商品がやってきたわよ!」


 やっぱりそうか……いっぱい話したいからって何でも口に出しちゃうのは今後控えよう……。


「ホントに俺でも興味持てそうなんだろうな」

「任せておいてよ。今回のテーマは健康じゃないの。さあ、ここで問題です。みんなが普段当たり前のようにやっていて、だけど誰もが上手にできないものってなーんだ?」


「みんなやってるけどうまくできない……? わかった、睡眠だ! 睡眠の質がどうこう言うだろ。あれ、でもそれは健康系か……」

「残念。正解はコミュニケーションでした!」

「辛辣!」

 ちょっとシニカルが過ぎませんか。


「まあ普通のコミュニケーションは問題ないとして、もうとっくに時代はグローバルよ。インタラクティブなコミュニケーションで新しいカルチャーをインプットしていくことがヒツヨウなの」

「思いっきりパンフレット読んでるけど意味分かってるのか」

 ヒツヨウ、のイントネーションおかしかったけどそれ外来語じゃないよ。


「つまり! 求められるのは、もはや全世界の公用語といっても過言ではない英語力! 今回は、簡単に英語が話せるようになる最高の教材、『スピード・イングリッシュ』の紹介よ!」


 眉をクッと上げ、漫画から出てきたキャラクターのように親指をグッと立てる朱莉。腕にYシャツが引っ張られ、胸元の真紅のリボンが無重力状態でふわりと揺れる。



 ああ、俺、朱莉のこういう仕草も可愛くて好きだな。まっすぐに商品に愛着持ってるところも好きだ。


 何だろう、昔女子に借りて読んだ少女漫画のヒロインになったみたいだ。この人の髪の色も、髪型も、目鼻立ちも、声のトーンも、喋り方も、性格も、笑い方も、みんな好きだ。



「で、ひょっとしてその教材ってアレか? 聞き流すだけで英語話せるようになる、みたいなヤツか?」

「お、チョイ、ご明察! まずは宣伝映像として、ワタシが撮って編集した体験者のインタビュー映像を見てもらうわ」

「へ? 朱莉が撮ってきたの?」


 聞けば、ちゃんと効果があることを示すためには自分で直接取材した方がいいと考えたらしい。なるほど、良いアイディアだな。


「それでは! ハーフの中学生、葛原グレース有美子ちゃんが英語を喋れるようになるまでの——」

「人選!」

 英語から距離の遠い人にしよ? 教材売りたいんでしょ?


「んもう、じゃあエタドリの公式宣伝映像見てもらうわ。70歳の加藤さんが使った感想と効果を話してるから」

 そして映像を見る。おじいさんが確かにペラペラに話している……けど。


「これ、本当に始めは喋れなかったのか? 喋れないフリしてるとかないのか?」

「ちょっとチョイ、ひどくない? そうやって全部疑って。見てよ、この顔と、この田舎訛り。絶対英語喋れなかったに決まってるでしょ」

「お前の方が30倍ひどいだろ」

 偏見の塊かよ。


「ね、見たでしょ、本当に『スピード・イングリッシュ』を聞き流すだけでいいの。ある日突然、英語が聞き取れて喋れるようになるんだから。ワタシも毎日聞いて、英語のシャワー浴びてるわよ。2週間に1枚、計24枚届けられるCDセットに、スピーカー付きのポータブルCDプレイヤーも付いてくるから、すぐに始められるわ。セットで8万円」

「さらっと高価格を披露したな!」

 8万あったらファミレスで高い順から頼んで豪遊するわ。


「だけどアピュイなら4割引きで5万切るのよ。これは買いよね!」

「いや……本当に効果あるなら高くはないんだろうけど……ちなみに朱莉は効果は——」

「でね! 今だけ、アピュイになった人にドリームポイント3000ポイントをプレゼントよ!」


 クレジットカードのCMかお前は。そして話の遮り方がわざとらしすぎるぞ……?


「朱莉、お前、英語話せるようになったのか」

「うがっ……いや、さすがにね、話せはしないけど、急に英語が『分かる』瞬間ってのはあるようなないような……」

「よし、じゃあちょっと待ってろ」


 スマホで動画サイトを開き、英語のニュースを流して彼女に見せる。

 キャスターが喋る横の画面にはどこかの国の紛争が映し出されていた。


「何話してるか分かるか?」

「クッ……意地悪! 底意地が悪いわ!」


 目をキュッと瞑って口を尖らせる朱莉。茶目っ気たっぷりの動きがコミカルで、思わず吹き出してしまう。


「えっと、待ってね、最初から聞くわ……うん……まあ、その……なんで争いが無くならないのかなあ、悲しいなあ、みたいなことよ」

「雑すぎるだろ」

 もう少しうまくごまかそうぜ。


「とにかく、ワタシはまだ効果が出てないけど、きっとすぐにリスニングもスピーキングもできるようになるわ。この部が日本語禁止になる日も近いわね」

「でもさ、こういうのって効果は人それぞれだろ? 俺が買って試してみても、うまくいかないかもしれないだろ」


「そうよ、だから逆にいいのよ。『自分はダメだったけど、効果は人それぞれです』って言って他の人に勧められるから」

 なるほど、確かに一理ある。


「さすがだな、勧誘慣れしてる」

「ふふっ、でしょー」


 彼女がそう笑うだけで、全身が出来たての綿菓子みたいな柔らかくて甘い熱に包まれる。英語の教材の話をしてるのに、言葉なんて要らない気にさえなる。




 今の関係だってそれなりに恵まれてるポジションだし楽しいけど、やっぱり彼女になってほしいなあ。付き合えたら、嬉しいなあ。


 朱莉の転校先の学校がちょっとズレたり、転校するクラスが1つ違ったりしたら、こんな風には出逢えなかったんだよな。そう思うと、陳腐な表現だけど、本当に、本当に奇跡だ。夢みたいだ。 


 こんな偶然の中にいるなら、少しくらいこの微炭酸の色恋に溺れたっていいだろう。




「どう、チョイ。今日はアピュイになる気になった?」

「ううん……」



 ふと、俺も「勧誘」をしたくなった。


 どんな言い方にするか、彼女が返答を待って黙っているのをいいことに、脳いっぱいに広げた恋文を推敲する。



「まあ、まだその気にはならないな」

「そっかあ、まだだめかあ」

「……その、話変わるんだけどさ、休日にどっか出かけないか? 料理教室とかじゃなくて2人で」


 ハリボテの余裕を演じる。心臓がうねる。パンフレットをパラパラと見ていた朱莉が、驚いてバッとこっちを向いた。


「わっ! へへ、デートのお誘い?」

「そりゃ、まあ、うん、好きだからさ」


「チョイ、積極的じゃん!」

「……今更隠し立てすることないからな」


 精一杯自然を装った結果、逆にそっけないニュアンスになる。うう、自然体って難しい。



「………………」



 どうかな、の一言。それが口から出てこない。彼女から返事がないことに心が焦り、俺のリードを待ってるかもしれないという期待も芽吹いて、緊張が口を覆う。いけ、いけ! 言ってしまえ!


「……ど、どうかな?」

 静寂。一呼吸ほどの時間が、1曲歌えるんじゃないかと思うくらい長い。


「ん、えへへ、な——」

「すみません」



 待ちに待っていた返事を部屋の外から妨げる、聞いたことのない女子の声。


 ドアの前に、誰か立っている。


「え、あ、はい!」


 気もそぞろに来訪者のもとに向かう。


 ガラガラと開けると、そこには朱莉よりも大分背の高い、カールした黒髪ロングの女子が立っていた。


「あ……」



 ネコ系なのにどこか優しい目、小さくて滑らかなカーブの鼻、ツヤのあるぷるんっとした唇。俺と同じ遺伝子とは思えない造形の美人。


 脳の神経が全部視神経にすり替わってしまったのか、言葉が出てこない。制服のリボンは朱莉のと違って緑、ってことは3年生か。



「ここって、ビジネス研究部、だよね? 職員室前の新設部活の貼り紙見て来たんだけど」

「は、はい。そうですけど」


「入部、できる? ちょっと様子見たいから仮入部から始めたいんだけど」

 えええ! 早速! しかもこんな見目麗しい人が!


「お待ちしてました! どうぞどうぞ!」


 入部希望者を喜んでいるのか、会員候補を待ち構えていたのか、後ろから朱莉が意気揚々と出てくる。おいバカ、スピード・イングリッシュのパンフレット持ってくるなよ。


「ワタシは部長の高宮たかみや朱莉あかりです! こっちはアピュ、部員の知尾井ちおいあきらおなクラなんです」


 今アピュイって言おうとしただろ。まだ未加入だからな。


「高宮さんに知尾井君ね。3年の鞘倉さやくらです。鞘倉さやくら羽亜乃はあの

羽亜乃はあの……ってええ! あの!」



 首を傾げる俺に「校内一の美女って言われてる人だよ、はーのさん!」と興奮気味に教えてくれる朱莉。羽亜乃さんは「そんなそんな」と言わんばかりに手を横に振る。なるほど、確かに規格外というか、芸能人的な正統派美人だもんな。



「ビジネスに興味があって、入部しようと思ったの。2人ともよろしくね」

「は、はい、よろしくお願いします」


 緊張のまま挨拶。狭い部屋に好きな人と学校トップの美女と3人。これ何、来たんじゃない? モテ期的なアレが来てるんじゃない?



「でさ」



 羽亜乃はあのさんが俺をじっと見る。そして、好奇心を含んだ声で、その質問を続けた。




「知尾井君、夢ってある?」




 ああ、これ、デジャブかな……。

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