第8話 助ける? 助けない?

「ね、すごいでしょ、チョイ!」


 箸とお茶を用意し終わり、朱莉がパンッと両手を鳴らした。


「サラダ油も使ってないからヘルシーよね。それに野菜に含まれてる水分だけで肉じゃがが出来ちゃうの。ビタミンとかミネラルとかって水加えるとそこに溶けやすいんだけど、その水を使わない。つまり、栄養価をほとんど失われずに作れるってことよ!」


 出来上がった料理を前に、氷が溶けると水になるという世紀の大発見をした子どものようにトーンの高い声で自慢げに話す。


「ああ、うん、それはすごいな……」


 部屋をあちこち見渡してみると、どのテーブルでもアピュイらしき人たちが付き合いで来た人に全力でアピールしている。3人テーブルに到っては、2対1で過半数の議席を取られて猛攻を受けていた。


「どう、チョイ? もうこの鍋無しじゃ生きていけないんじゃない?」

「飛躍の度合いがもう」

 肉じゃがにクスリでも入ってんのかよ。


「というか朱莉、急にここに連れてこられるって、騙し討ちだろ」

「騙すなんてひどいなぁ。手料理振る舞うってのは本当でしょ?」

 楽しそうに肉じゃがの皿を持ち上げ、目をクッと見開く朱莉。


「勧誘はフェアにやるべきだろ」

「あら、色恋に関してはワタシもフェアに選んだわよ。他にも連れてこれる人いたけど、チョイのお誘いを受けたんだもの」

「え……」



 ほら、やっぱり片思いは弱くて、こんな一言で足先からとぷんと嬉しさに浸かってしまう。それはあっという間に全身を満たして、期待で潤った喉からお礼が飛び出そうだった。


「そ、そんなこと言われると、俺は——」

「あ、見て! 麗子さんが話すわ! あの人、かなりランク高いアピュイなんだからしっかり聞きましょ」


 美人講師が前に出てきたので、朱莉が話を打ち切る。俺の存在が軽い。鍋より軽い。


「全テーブル、無事に出来上がりましたね。皆さんお疲れさまでした。どうでしょう、自宅でもこんな簡単に、ヘルシーな料理を作れたら嬉しいですよね? これが『キング・クック』のスゴさなんです」


 そこから彼女は、朱莉がこの前俺に話してくれた鍋の素晴らしい性能の話をこんこんと語り始めた。アピュイ以外の人は初めて説明を受ける人が大半らしく、興味半分、不安半分で話を聞いている。



 大丈夫かよこの料理教室、先生もグルの完全な密室勧誘じゃないか。宣伝の映像流したりしないだろうな。


「そしてこのお鍋はなんと、料理ができるだけじゃないんですね。お友達に紹介すると、皆さんにも紹介料が入るんです。では食べながら、その仕組みについてまとめた映像を見て頂きましょう」


 ボタン1つで窓のブラインドが降り、天井に吊られていたプロジェクターから「あなたの夢は何ですか?」というタイトルの映像が流れ始めた。もうこの現実が夢であってほしい。



 アピュイらしき男子のインタビューが流れる。大学生くらいだろうか。


『あれですね、高校ずっとバス通学だったんですけど、今は採算取れなくて廃止かもって話になってるみたいなんですよね。思い入れあるし、地元支援にもなると思うんで、ネーミングライツ買い取って名前変えたりできないかなぁって。トレインバスって名前とか面白くないすか? 電車かバスかどっちやねん、みたいな!』


 その後も次々と、嬉々として夢を語る人々が登場する。その顔はとても輝いていて、「この人はどんな夢があるんだろう」と多少の好奇心で見られたけど、紹介料の説明になった途端に無数の無料イラストが登場し、心が無になった。



 肉じゃがを食べる。確かに美味しい、気がする。というか味の違いがよく分からない。

 男子高校生の基準なんて概ね、「量が多いか」「お替り自由か」「授業中に隠れて食べられるか」ぐらいしかないと思ってるんだけど。


 健康にはいいのかもしれないけど、これに4万円払うかというと、買う気にはならなかった。



「はい、ご覧頂きありがとうございました。それではこれから片付けタイム、続いて勧誘・説得タイムです」

 何そのタイム。宇宙一不安になる時間帯でしょ。


「今日アピュイなって頂いた方にはドリームポイントが多めにもらえる特典もありますからね。ぜひぜひ前向きに検討してみてください」


 そう言って、麗子さんと呼ばれる女性がゆっくりとテーブルを回り始めた。ときどき会話に混ざっては「今50万あったら何してみたいですか?」と夢トークを挟んでいく。


 あーあ、ダメだよそこの気弱そうなお姉さん。何か具体的な答えを口にしたら「それ、エターナルドリーマーに入れば1年後には叶いますよ」って返されちゃう。ほら、言った通りでしょ。俺なんか毎日のように勧誘されてるからかわし方は慣れてるんです。自慢にしては悲しすぎる。


 やがて麗子さんは、こっちへ向かってきた。やばいやばいやばい。


「どう、鍋使いやすいでしょ?」

「あ、はい……そんな気もします」

「知尾井君は50万あったら何してみたいの?」

「えっと……どうでしょう、ね……考えたことなかったです」


 曖昧に、曖昧にいけ。デートってこんなに頭使って話すんだな。



「そっかそっか、まだ分からないよね。でもね、この鍋ホントに良い商品だし、これでお金も儲けられるの。私なんかはかなり力入れてやってるから、今は何もしなくても月に40万くらい入ってくるかな。仕事してないから毎月旅行も行き放題。来週もちょっと中華食べに上海行っちゃおうかと思って」

「へえ、すごいですね。うへへ、えへへ……」


 好きなことして生きられるって最高よ、という彼女に相槌を打つ。何かおかしいんだよな、今日ってデートだよな。


「じゃあ高宮さん、ね」

「任せてください」

 そう言って麗子さんは去っていった。よろしく、の強調の仕方が怖い。



「で、チョイ、心は決まった?」


 少しだけ濡れた手で髪を整え、真っ直ぐな目で俺を見ながらエプロンを脱ぐ。はあ、スカート姿可愛いなあ。つくづく、タイプだなあ。


「ううん……いや、でも、悪いけど俺自身はそんなにこの鍋に魅力感じないからな……」

「それでもいいのよ!」


 ずいっと身を乗り出す。ああ、もうっ、距離が近い……! これだけで幸せだよ……っ!


「別にチョイ本人が気に入らなくても、他の人が気に入るかもしれないじゃない。『キング・クック』みたいな鍋に興味があるけど、その存在を知らない人だっている。そういう人達にきちんと情報を届けてあげるのだって、幸せに繋がるわ」

「なるほど……そういう考え方もある、のか」



 もやもやしたガスが溜まって、どこか腹落ちしない。でもなあ、朱莉にここまで頼まれると、ちょっと考えちゃうよなあ。これでアピュイになったら好感度も——


「ね、お願い、ワタシのこと助けると思って」


 両手を合わせて浅く頭を下げる朱莉。



 その言葉を聞いた瞬間、冷静で、まともで、恋に恋する俺が、ムクリと目を覚ました。



「悪い、やっぱり無理だな。それじゃ余計に無理だ」


 意味を図りかねているのか、軽く目を細める彼女に、俺は続ける。


「ここで貸し作ったら、あとで何か俺がお願いしてオッケーされても、俺は『借りを返すためかな』とか考えちゃうからな」

「……ふふっ、何それ」


 緊張が解けたのか、朱莉は小さく吹き出した。


「とにかく! 俺もお前と同じように、エタドリも恋愛もフラットでいきたいんだよ。だから助けるためにアピュイになるようなことはしない。自分でホントにいいなと思ったら考える!」


 綺麗事の混じった返答。それに対する反応が怖くて、一息だけついて最後まで言い切る。


「その代わり、もし近くで良い鍋探してるヤツがいたら朱莉を紹介するぞ!」


 黙ってじっと聞いていた朱莉。ややあって、彼女はどこか嬉しそうに、大きく何度も頷いた。


「ん、それでいいと思う。ワタシもチョイにイヤな思いさせたいわけじゃないしね!」


 その言葉に、心から安堵する。



 良かった。愛想尽かされるかと思った。まだ一緒にいられる。彼氏ではないけど、会員でもないけど、彼女にとっての特別でいられる。それだけで、俺の1日はカラフルに色づくんだ。


「鍋欲しがってる友達いたら紹介してよね。出来たら夢持ってる人だとなおよし」

「さあて、そこまでは分かる自信ないな」

 2人で笑いながら、洗った食器を並んで拭いた。






「今日はありがとね、付き合ってくれて」

「あ、いや、もともとは俺が行きたいって言ったことだし」

 帰り道、並んで歩いていた朱莉から声をかけられる。


 ちょうどお昼どきだけど、大量の肉じゃがを食べたばっかりでお腹も空いてないし、そもそも朱莉はこれから知り合いと会う予定らしくて、デートもどきの時間もこれで終了。


 信号待ちで、見覚えのあるサプリの小瓶を鞄から取り出してまじまじと見ている。ははあ、遊びじゃなくてビジネスの用事だな。



「いやあ、でも正直、チョイには断られる気がしてたんだよねー!」


 信号が青に変わり、彼女が横断歩道を足早に歩く。するとパッとこちらを振り向いて、ニッと歯を見せて笑った。


「ワタシ、諦めないからね! じゃあ、こっちだから、またね!」


 白いキャップを被り直ながら小さく手を振って、俺が向かう方向とは違う通りへ曲がっていった。


「……俺もな」

 彼女には聞こえない呟きで宣言する。


 そんな告白みたいな台詞、ズルいな。そして嬉しいな。

 心がグチャグチャで、整理も消化もしきれなくて、でもやっぱり幸せなんだ。



「あークソッ! アピュイになっておけば付き合えたかなーっ! クソ―ッ!」



 駅まで歩きながら、後悔を小さく叫んでみた。

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