第7話 ドキドキのおでかけ

「本当に! 本当に手料理!」

「うん、せっかくならちゃんと食べてから判断してほしいしね」


 いいの! いいんですか! 手料理ってあれですよ、手羽先をどうこうするわけじゃないんですよ! 手の料理じゃないんですよ! いや、君の勧誘には手を焼いてるけど! ちょっと落ち着け知尾井ちおいあきら


「ほ、本当に作ってくれるのか? でも朝忙しいだろうから弁当作ったりも大変じゃないか?」


 その質問に、キョトンと首を傾げる朱莉。


「お弁当? 何言ってるのよ。『キング・クック』の良さを理解してもらうためには出来たてを食べてもらうのが一番よ。今度の週末、空いてる?」


 ええええええっ! こ、これって何! そういうことだよね? 目の前で料理作ってくれるってことだよね? エプロンで? エプロン姿の朱莉を見られちゃったりするの? なる、もうなります! アピュイでも何でもなります!


「ああ、空いてる、けど……」

「決まりっ! じゃあ、後で集合時間とか決めよっ!」


 こうして俺は、最高に幸せな週末を想像して、浮き立っていた。多分地面から3センチくらいは浮いてた。


 そして、浮いたその真下が思いもよらぬ落とし穴だったことに、この時はまだ気づく余地もなかった。




 ***




「ふう……」


 言葉にならないそわそわを、溜息に似た深呼吸でごまかしてアイスティーを一口。隣の老夫婦がサラリーマンの男性に保険の説明を受けているのを聞きながら、俺はさっきまでのLIMEのやりとりを見返して喜びを噛め、朱莉を待っていた。



 週末が来るのはあっという間で、学校からの帰り道に通るチェーン店のカフェで朝から待ち合わせ。家の場所を教えてもらった直接行くつもりだったけど、こうやって待ち合わせして行くのもいいよな。


 

 だってこれアレでしょ? デートってやつでしょ? 平日制服で会ってる朱莉と休日に私服で会うんでしょ? 私服で至福ってヤツでしょ?


 もう堪らないよね、正直。集合時間が近づくにつれてテンションが指数関数的に上昇してるもんね!



 最近買った文庫本を持ってきたものの、びっくりするくらい頭に入らなくて、スマホで短い記事を読み漁る。

 ドアが開く音を耳にしては中腰になって入口の方を覗き、相手を確認する。期待に膨らませた胸を持てあまして、完全なる挙動不審。


 もうすぐ、もうすぐ朱莉に会えるんだ! 私服の朱莉に……! 幸福感で体がじれそうだぜ……!




 ウィーン



 その音にまたプレーリードッグのように立ち上がる。スマートじゃないけど、そんな心の余裕はない。


 そこからこっちに向かって歩いてくるのは、愛しのビジネス研究部部長。


「やっほ」


 エメラルドグリーンの大きめのTシャツ、薄クリーム色のプリーツスカートに、白いキャップ。シャツのスリットからスカートが見えてるのもオシャレ。


「お、う」


「待たせてごめんね。いこっか」


「う、ん」


 可愛いね、と絶対褒めようと思っていた俺の口は、終ぞまともに動いてくれなかった。不器用な器官だぜ、ったく。



 でも本当に、今日の晴天にピッタリの元気いっぱいな服装は本当に本当に可愛くて、横を歩いたら照れてまともに見られない気がして、俺はわざとトレーを返すのに手間取るフリをして、君の後ろ姿を目に焼き付けたんだ。



 遂に、遂に俺の人生最高の一日が始まるぞ!




「朱莉の家ってこっちの方なのか?」

「え? 違うわよ?」

「へ?」



 秒速で否定され戸惑っている俺のことも気にせず、彼女はずんずんと歩く。そして、大通りの1階の前で足を止めた。

 ガラス張りの中にはIHコンロのついた大きなテーブルが幾つも並び、ポツポツと人が座っている。


「ここが今日の会場の料理教室よ!」

「あー……うん……あー、あー、うん……」


 新手のモールス信号のような相槌を打って、デートだと勘違いして落胆している自分を必死で隠した。



 そうだよな、彼女でもないのに、いきなり自宅招いて料理なんて、おかしいと思ったんだよな。


 うっわ、考えたらどんどん恥ずかしくなってきた。昨日の夜、ベッドで転がりながら「エプロン姿可愛いから、緊張して汗出てきちゃった。恋の無水調理ってヤツかも」って台詞とか想像してた自分を殴りたい。何だよ恋の無水調理って。



「朱莉、ここで料理習ってるのか?」

「ううん、初めて来たわ。普段は月謝取って教えてるみたいだけど、有料で借りられるらしくて、今日は知り合いの人が開催してるの」


 チョイも誘えて良かったわ、と言って正面のドアを開け、部屋の前で受付をする。


「予約してる高宮です」

「高宮さんは、と……あ、Cのテーブルにどうぞ。エプロンは好きなの使ってください」


 陽が射して解放感のある教室は家庭科室を思い出させる配置。テーブルには既に、肉と野菜、それにピカピカの調理器具が置かれていて、それぞれのテーブルに2~3人ずつ座っている。男は俺含めて数人で、ほとんどが女性や女子。


「チョイ、エプロンこれでいい?」

「あっ、お、おう!」


 手渡してくれた朱莉は、もう既に水色のエプロンをつけていた。え、何、好きな子のエプロン姿ってこんなに脳にクるの。このまま幾つかポージングしてくれたら、何十分でもボーッと見続けられるんだけど。



 ああ、ここで朱莉と一緒に料理を作れるなら、それでも十分幸せだな。というか逆にレアじゃない? 協力してご飯作るとか、グッと距離縮まるんじゃない?



「皆さま、今日は早い時間からお集まりいただきありがとうございます」

 母親より少し若い、美人な先生が前に立つ。


「今日は、肉じゃがを作ってみましょう」

 あれ? そういえば、あの鍋使うって話はどこに——



「それでは、エターナルドリーマーが自信を持ってオススメする新商品、『キング・クック』を使用して、作っていきましょう! そして無水調理・無油調理のすごさを実感してみてください。本日この場で購入を決めて頂いた方にはステキな特典もあります。アピュイの皆さん、鍋と紹介パンフレットは前にあるので、順番に取りにいらしてください」



「うん、うん、うん……あー、あー、あー……うん、うん、うん」



 俺は相槌モールス信号でSOSを打った。

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