第6話 駆け引きと返事

 18時を回り、暗がり混じりの夕暮れが校舎を包み始める中で、廊下から音が消えた。


 鉄道研究会や家庭科部の部室はこの階だったはずだけど、聞こえるのは静寂だけ。足音の無いこのフロアで、2人だけのある種「甘い誘惑」の時間は続いている。


「まずチョイがエタドリのアピュイになって、自分でこの『キング・クック』を買って使ってみるの。確かに高いけど、その分品質が良いのは間違いないわ。そしたらそれを周りに勧めるでしょ? そこで例えば友達が買ったら、その紹介料がチョイに入ってくるの」


 言いながら彼女は、お金の絵が描かれたおはじきのような赤いガラスを俺の手元に置く。


「正確には、商品を買うごとに一般販売価格の8割のドリームポイントが付いてくるの。そのポイント数に応じて現金がキャッシュバックされる形ね。で、その友達が別の友達に勧めて買ってもらえたら、紹介元のチョイにもドリームポイントが入るのよ」


「販売の輪が広がると、ポイントが入るチャンスも広がるってわけか」

 うん、確かに誰も損をしてないぞ?


「こうやって、チョイから始まった輪がどんどん広がっていって、ドリームポイントが集まって来るわ」


 いつの間にか雨はやみ、心も軽くなるような晴天に。カーテンのない窓の額縁の中に、雲のない空と沈みかけの夕日が描かれて、両手を広げて話す彼女をオレンジに照らす。


「例えば、『キング・クック』なら3万ポイント以上つくわよね。それに、この前紹介したサプリ『へルシアスULTRAアルトラ』は1ヶ月分2万だから、と」

「たっか!」

「そうなの! 1万6千ポイントって結構高いのよ!」

「そこじゃなくて!」

 サプリ本体のだよ! 察せよ!


「こうやってチョイが3人勧誘して、その3人が他の人勧誘して……って感じで、サプリと鍋の輪が広がっていくわよね」

「何かイヤな輪だな」


 パンフレットの「どうやってお金が増えるの?」というページを指差す朱莉。さっきの鍋のページ同様、無料のイラストサイトから取ってきた大量の同じ絵柄が並んでいて、むしろ怪しさを増幅させている。



「で、集めたポイントによってキャッシュバック率は変わってくるわ。例えば1ヶ月で30万ポイント集めたとするわね。30万だと10%だから、3万円が現金で入ってくるの!」

「おお、すごいな」


 3万円ってお年玉並だもんな。バイトしてない俺からすれば相当魅力的な額だ。


 俺の目の僅かな輝きを見てか、彼女は目を細めて得意げに微笑んでいる。


「まあもっとも、チョイはワタシが勧誘したから、チョイのポイントの一部はワタシに入ってくるわけだけど」

「そうじゃん! 俺のが奪われるじゃん!」


「そこは大丈夫よ。後から入った人から先にキャッシュバックの配分をしていくから、実際に販売に貢献した人が多く貰えるの」


 俺と同じ疑問を持つ人も多いのだろう。彼女がパンフレットとトントンと叩いた先には、「先に入った人の方が得じゃないの?」というページがあった。もうこの無料イラスト怖いよ。



「鍋は主婦層が買いやすいから友達の親狙いでもいいわよね。それに、サプリだったら定期的にリピート購入する人が多いから、一度買ってもらえれば継続してドリームポイントが入ってくるわ。勧誘上手な人を最初に勧誘すれば、あとはチョイが何もしなくてもキャッシュバックがあるの。ポイントを一定以上稼いだらボーナスも出るのよ!」



 そこまで早口で言い切った後、「ふはあ」と息を吐く。そしてどこかやりきったような、凛とした表情で目線を俺に戻し、ニッと口を結んだ。



「さあ、チョイも知り合いをお金に換えていきましょう!」

「台無し感がひどい!」

 一番言っちゃダメなことじゃないの!


「え、なんでそんなキメ台詞なの? トークマニュアル全然だめじゃない?」

「違うわよ、ここだけはワタシのオリジナルよ。必死に考えたの」

「お前はトークマニュアルに頼った方がいい」

 センスが欠落してるよ。


「どう、アピュイになる気になった?」

「いや、最後の台詞で一気になる気無くした……」

 なによう、と右頬をぷうっと膨らませる朱莉。何その仕草、めちゃくちゃ可愛い。



「少し調べたんだけど、こういうの、『ネットワークビジネス』以外にも『マルチ商法』とか呼ばれてるんだろ? よりも怪しい響きなんだけど……」

「おお、さすがは未来のアピュイね、よく調べてて感心だわ」


 立ち上がる朱莉。サッと髪を後ろに流すと、隠れていた耳がちょこんと顔を出し、なんだか見てはいけないものを見てしまったような気になって、照れて顔がニヤけそう。


「でもね、マルチ商法自体は違法じゃないの。勧誘の仕方が強引だったり、商談ってことを先に伝えないで話を始めたりするとダメだけどね」

「いや、お前一番始めのときは何も伝えてなかった気が」


「ふうん? じゃあ彼女候補のこと、訴えてみる?」

「ぐっ……このやろう……!」

「えへへ、勝った!」


 男友達、くらいの今のステータスでギリギリ触れられるところを瞬時に探して、肩に弱パンチを当てる。


 心臓は興奮でうねってて、でもそれを出すのは随分カッコ悪い気がして、「このくらいのボディタッチ、何ともないよな」なんて作りたてのクールさを纏ってみる。


「それにね、マルチ商法って言葉だって別に変じゃないわよ? マルチプレーヤー、マルチな才能、ね? マルチって基本的にはポジティブな意味なのよ」

「どんな理屈なの!」

 都合の良すぎる例示だ!



「はあ、なかなかチョイのアピュイの道は遠いわね」


 パンフレットをしまいながら、指を曲げた右手を口に当てて頷く朱莉。その視線は机の端に向けられていて、物思いに耽っているのが分かる。


 いつもは可愛い可愛いと思っている表情は、真顔になると途端に綺麗さが顔を覗かせて、俺の視線も張り付いてしまった。


 校庭では空から暗がりが降り注いでいる。部屋の電気が彼女を鮮やかに照らす。




 このままじゃずっと彼女のペースだ。俺も、君のペースをかき乱して、動揺させたい。どんな手を使ったって「この人といたら飽きないかも」って、そう思わせて意識させたい。


 俺が会員になるか、君が彼女になるか。そんな賭けに興じただけの「特別な仲良し」で終わる気はないんだ。




「まあ、鍋売るなら、せめて手料理くらい振舞ってもらわないと、違いが分からないよな」


 バクバクする心臓に耐えながら、声を震わせずに言い切る。


 意地悪っぽく挑発して、「何言ってんの」と呆れられても「ジョークだっての」と軽く笑って流せる、そんなスレスレの役作り。


 直球で行きたいけどその勇気はなくて、日和見と妥協で包んだアピールを、彼女に届ける。




「えっ? うん、いいわよ」



「まあな、そこまで無理は……ってええええっ!」

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