第3話 甘い賭け


 朱莉は興奮の面持ちで続ける。


「『エターナルドリーマー』、通称エタドリの会員は『アピュイ』って呼ばれてるの。フランス語で支援者のこと。ちょっと可愛い響きでしょ?」

「んん、まあな」


「アピュイになると商品を4割引きで買えるから、欲しい人は会員になるのね。だからまずチョイが会員になって、他のAさんに商品を勧める。Aさんは商品を気に入ったら自分が会員になって、今度は別の人に勧める」


 黒板に書きながら「テストに出るわよー!」とAさんを丸で囲んだ。そのテスト絶対受けたくない。


「ほら、Aさんが他の人に勧めてるとき、チョイは何もしてないでしょ? でもチョイが勧めた人が売るたびに、チョイの懐にもお金が入ってくるのよ。チョイの学校生活は何も変わらないわ。いつも通り授業を受けて、バカ話して、購買部にパンを買いに行ってる間にもお金が増えるの。自慢じゃないけど、ワタシも多少は稼いでるのよ」


 なるほど、今と同じ生活でお金が入るって言ってたのはそういうことか。


「お金で叶えられる夢もいっぱいあるわ。さあ、どう、チョイ! アピュイになって、一緒に夢を追いかけましょう!」

「いや、いいよ」

「えーっ! 即答なの!」


 ポロッと落ちるかと思うほど目を見開く朱莉。


「ちょっと頑張るだけでお金が貰えるんだよ? しかもサプリでみんな健康になるし」

「そもそもそのサプリが怪しいし……」


「まだサプリの効能を信じてないのね。大丈夫、今日は愛用者の体験談をまとめた冊子を持ってきてるのよ。余命3ヶ月のガンが治った小林さんとか、じん帯断裂が回復して野球を続けられた菊原君とか」

「その人物は実在するの」

 サプリでじん帯が治るってすごすぎませんか。


「体験談っていうか、朱莉は試したのか? なんか効果あった?」

「うっ」

 おい、「うっ」って言ったぞ今。痛いところ突かれた顔してるぞ。


「そ、そうだ、風邪のときに飲んだら、5日くらいで治ったわ!」

「それもう自然治癒だろ」

 風邪にしても重い方だし。


「どんな病も治るって、成分が怪しすぎるしさあ」

「案外細かいのね、チョイ。成分なんて些末な問題じゃない」

「サプリで一番大事な要素では!」

 中身分からないで飲むの怖すぎるでしょ!


「大体、俺、買ってくれそうな人いないしな」

「チョイ、それは違うわ。買ってくれそうな人を探すんじゃないの、夢を叶えたい人を探すの」

「余計に難易度が」

 それなら簡単でしょ、みたいなニュアンス出されても。


「ちゃんとトークのマニュアルもあるし、心配ないわ」

「いや、でもこれさあ」


 ずっと言いたかった切り札を、ここで出す。


「ネットワークビジネス、ってヤツだろ? ニュースで見たことあるぞ」


 罪を暴いたかのように宣言してみたけど、彼女は「おおっ!」と眉を上げ、むしろ嬉しそうな反応。


「よく知ってるわね! ネットには怪しいとか危ないとかアレコレ書いてあるけど、そんな匿名の意見なんて関係ないわ。チョイが見て感じたことを信じればいいのよ」

「じゃあ見て感じたこと言うけど、怪しいし危なそうだ」

「えーっ、そんなあ!」


 ガックリと肩を落として項垂れる。「絶対買ってもらえると思ったのに」って聞こえたけど、あのサプリの説明で勝算があったことにビックリしてるよ。



「そっかあ、急だったし、仕方ないかな。うん、分かった、時間くれてありがと」

「え、あ、ああ」

「できたら他の人に内緒にしておいてね。変人扱いされちゃうし」


 困ったような笑顔を浮かべて立ち上がった彼女が、入り口に行って部屋の電気をつけた。外では生まれたての紺色が、空のオレンジを上から塗り潰している。


 サプリの袋を鞄に戻す彼女。それは、「大事な話」の終わりで、お別れの合図。



「なあ、なんで俺だったんだ?」

「んー?」


 スマホをチェックしていた朱莉は、ケースのフタをパタンと閉じてこちらに顔を向けた。


「誰でも良かった……んだろうけどさ」


 言われたくない理由を敢えて口にする。


 これは、逃げ。彼女の口からその言葉を直接聞くのが怖かったから。自分で言えば、それが真実だとしても耳にするのは「まあ、そうね」くらいの肯定。深く傷付かないように、自分自身で予防線の傷を作る。



「ああ、チョイって結構幅広くクラスのみんなと仲良いからさ。中学も大きなところにいたっていうから、友達も多いだろうし。ワタシは転校生だからそんなにネットワークもないしね」


 イタズラっぽくクスッと笑う。照らされたその顔は、蛍光灯よりも眩しいって言っても過言じゃない。


 これで終わり? 変なビジネスの話されて、これで終わり?



「それに、何だろうなー。なーんか分からないけど、チョイなら話してもいいなって思ったんだよね、へへっ」 



 その言葉を耳から吸い込み、心で咀嚼する。理由はどうあれ、目的はどうあれ、「話せそう」と思ってもらった、選んでもらえた。


 もうこんなきっかけはないんじゃないか? このまま何もなかったことにして、明日からまた普通にクラスで過ごすなんて。


 内緒にしてね、と彼女は言った。それなら俺も、少しだけ、君との内緒を作ってもいいかな。



「ほいじゃ、またね。時間くれてありがとう」

「待って!」


 指定カバンをよっと肩にかけた彼女の腕を、立ち上がって掴んだ。



 目と目が合う。唾を飲む。拳を握る。息を吸う。



「好き、です」

「あ……え? えふっ……ええっ! ちょっ——」

「朱莉のこと……好き、なん……です……」


 日々妄想してたシーンに比べて、ドラマや漫画で見るシーンに比べて、激しくカッコ悪いその台詞。


 勢いで言うはずだったのに、彼女の動揺した表情を見たら、その勢いも最後には枯れてしまった。


「え、なんで、そんな急に言われても……」

「いや、その……急にというか……ごめん、勝手にそういう用かと思ってて……」


 自分のこの類の勘違いを伝えるって死ぬほど恥ずかしいな。


「あー……あー、そっか……何か、ごめんね……」


 何かごめんねって謝罪受けるのも死ぬほど恥ずかしいな。俺は今日、羞恥心で死ぬな。


 でも、謝罪するために、謝罪させるために言ったわけじゃないのさ。


「だからさ、俺も諦めないから、朱莉も諦めなくていいぞ」

「……へ?」


「だーかーら、俺も恋愛に関しては諦めないから、朱莉もエターナルドリーマーの会員について諦めることは——」

「アピュイになってくれるの! まずはゴールドクラスからスタートだけど、ドリームポイントに応じてクラスが上がるから——」

「早い早い早い!」

 説明への切り替えが雑だよ。あと一番下がゴールドって、その上何が来るの。



「朱莉さ、んっと、友達から始めよう」

「とも、だ……ち?」

 お前は言葉を覚え始めたロボットかよ。



「俺は朱莉と付き合えるように頑張る。朱莉も俺を会員にできるように頑張れ」

「……ふふっ、何それ!」


 グーを口元に当てて、彼女が相好を崩した。冗談みたいな提案だって、君を繋ぎ留めるための咄嗟で必死の鎖。


「うん、分かった。まだたくさん商品あるから紹介するよ。かなり昔は花粉から酸素を作るマスクとかもあったらしいわ」

「それちゃんと国の検査通ってんのかよ」

 世紀の大発明でしょもう。



「じゃあさ、ここ部室にしちゃおうよ。創部申請してさ」

「えー、俺も一員なのかよ」

「もちろん! そこでワタシの勧誘をちゃんと受けてよ。恋人候補なんでしょ?」

「……じゃあ、来るかな。会員候補だしな」


 お互いを試すような無邪気で楽しい駆け引きに、頬の緩みは取れそうにない。


「じゃあチョイ、これからよろしくね」

「ん、こちらこそ」


 この激しい動悸は、そのサプリを飲んだら治るだろうか、なんて思ったり。



 綺麗に雨のあがった6月上旬の夕方。俺と高宮朱莉は、「恋人になるか、会員になるか」というバカバカしくて甘い賭けに興じて、友達になった。

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