第2話 夢の名前呼び

「さっきの先輩の話もそうだけど、やっぱり幾つになってもバカやってたいって思うよね。でもそういうのだって結局はお金なんだ。ちょっと調べた感じ、内容や期間によるけど、ラッピング広告は一番短期間で600万くらいらしいの。週に2万、余分なお金が生まれれば、6年続ければ600万。どう? 絶対できないって話じゃないよね?」


 恐ろしいほどの立て板に水で話す高宮さん。機械的、というか、脳内にある台本を読んでいるような感じすらする。俺の動揺に合わせるように、窓の外では吹奏のサックスらしき低音がビーッビーッと心電図のように奏でられていた。



「あの、高宮、本題は……」

「へ? あ、ああ、ごめんね、ラッピングで脱線しちゃった」


 もう、ビックリさせるなよ……脱線が長いよ……。


「じゃあそのお金をどうやって生むかって話なんだけどね」

「本線がそれなの!」

 いつの間にか変な電車に乗り換えたみたいだぞ!


「お金を得るって言ったって、有形のものでも無形のものでも、価値のないものを売るのはダメだと思うのね。やっぱりビジネスならみんなに喜ばれるものを提供したいじゃない?」

「いや、そもそもビジネスをしたくないというか……」


 無形でいいから愛の言葉を提供してほしい。あと、顔が笑顔のままなのが怖い。


「せっかく対価を払うんだから、価値あるものにお金を払いたい、それが買い物のするワタシ達のセオリーよね。そこで……」


 立ち上がって喋る彼女の楽しそうな顔に見蕩れた後、戒めるように自分の太ももをつねった。




 待て待て。なんだ、何が起こった。「好きです」「俺も」「付き合ってください」「よろしくお願いします」の2往復でハッピーエンドになるはずじゃなかったのか? 憧れの高宮さんと一緒になって、今日はもちろん一緒に帰って、分かれ道に来た時に「LIME交換しよ」って言って俺達より先にスマホが頬寄せ合って、夜寝る前に、ハイになりすぎてない余裕な俺を装って「今日からよろしくねー」みたいなローテンションっぽいメッセージ送ったりするんじゃなかったの? 別にいっぱいやりとりする必要ないもんね。だって俺は高宮さんの彼氏なん……かかか彼氏! 俺が! あの付き合ってる人しか許されない呼称の!


 それがフタを開けたら夢から始まってお金の話ですよ。いや、そりゃ余分なお金あれば嬉しいけど、なんか儲け話みたいな方向に行ってない?




 でもなあ、と思いつつ、話している高宮さんの顔に目を遣る。「ごめん、用事思い出した」って帰ってもいいはずなのに、視線は完全に彼女にロックされてしまった。


 期待値が大きかったせいか、自分でも「あれ、俺高宮さんのことこんなに好きだった……?」と不思議になるほど跳ね上がった想いのパラメータ。踊る心とシンクロするように、白いカーテンがはためく。


 俺のために一生懸命説明してくれてることがなんだか幸せで、この時間を自分から終える気にはならない。空き部屋に響く元気で可憐な声を、もう少しの間だけ。



「さあ、じゃあ価値あるものって例えば何だろう。はい、何だと思う?」


 と思いきや、こっちの困惑も幸福も知らない彼女は、遂に俺に質問を振りだした。何で急にMCやりだしたの高宮さん。ちょっと怖いよ高宮さん。


「え……きん、とか……」

「確かに、金も価値があるし、値が下がりにくいって言われてるわよね。地球上の埋蔵量が概ね予測されてるから希少価値が高いし、見た目が美しくて需要が高い。さらに加工のしやすさと耐久性の高さで活用場面が多いし、人工的に作り出すことが難しい」

 なんでそんなスラスラ言えるの。完全にこれ「金」って答えられた場合の対応決まってるでしょ。


「でも、ワタシ達は更にそこで『新しい価値』を提供したいの。じゃあどういう領域なら買った人が真の意味で喜んでくれるか。そこで答えの1つに行き着くわ。やっぱり万人に共通するのって『健康』だと思う。ここまではいいわよね?」

「いや……全然……」


 こんなに何もかもよくないの珍しくないですか。


「さあ、待たせたわね、知尾井ちおい君。こういう商品があるのよ」


 愛しの高宮さんは、鞄をガサガサと漁る。こんな一風変わったシチュエーションでも、「あれー?」と中を覗き込んでる表情は可愛くて、顔にちょこっとかかって口に入りそうになってるダークブラウンの髪は何だか色っぽくて、2人っきりで彼女を見ている独占感の甘さに頬が緩んだ。


 やがて彼女は、「あった!」とグミくらいの小袋を取り出し、自信ありげに小さな鼻を膨らませる。


「サプリメント、『へルシアスULTRAアルトラ』。にわかには信じられないかもしれないけどね?」

「お、おう」


「これを1日3錠飲んでると、どんな病気でも治るのよ!」

「信じられないよ!」

 少しは疑えよ!


「とにかくね、これを買って——」

「た、高宮、1回落ち着けって」


 いつの間にか急接近していた彼女の腕を押して、席に戻す。ダメだダメだ、俺も落ち着け。自己主張は控えめとはいえ、目の前に女子の胸があると脳内が麻痺しちゃうよ。


「いや、あの、説明はありがたいんだけどさ……結局これを俺に買わせて高宮が儲けたいってことだろ?」


 その問いに小首を傾げ、「ん?」と返す。クソッ、ズルいぞ、可愛いぞ。


 そして彼女は「ああ、ちょっと違うわよ?」と言ってゆっくりと首を横に振り、思いがけない言葉を続けた。


「買ってほしいんじゃないの。売ってほしいのよ」

「…………は?」


 俺が? 売る? このサプリメントを?


「ちょうど良いところに黒板があるわね。説明してあげる」


 そうして彼女は席を立ち、普段使われずに板書に飢えてる黒板に白チョークの粉を食わせる。上の方を書く時にちょっと背伸びしているのが、日直で黒板を消してる後ろ姿と重なった。


「いい、知尾井君……いや、もうここまで話したからお互い呼び方変えよっかな? 結構みんなチョイって呼んでるわよね? ワタシも呼んでいい?」


 ええええええっ!


「い、いいいいいけど……」


 クールを装って返すと、彼女は口の端をキュッと上げて笑った。


「ありがと。チョイもワタシのこと『朱莉』でいいわよ。クラスでもチョイって呼ばせてね、こっちも朱莉でいいから」


 いよっしゃあああああ! 突然で奇天烈な展開だけど名前呼びだああああああ!


「ん、わかったよ……あか、朱莉」


 うっわあ、うっわあ……呼んじゃった、名前で呼んじゃった! 自分の発した声を聴いて、体温が上がる、耳が熱を持つ。


 朱莉、良い名前だなあ! 何度でも声にしたいよ! あーかーりん! あーかーりん! 脳内のアリーナ1万5千人の俺がステージに向かってペンライトを振ってるよ! 少し落ち着け知尾井ちおいあきら



 ここから転じて告白に行くことはなさそうだけど、ラッキーイベントもあったし、最後まで話聞くよ俺は! 聞いちゃうよチョイは! 君の話を! 朱莉の話を!


「ワタシはね、自分だけ儲かる気も、チョイにだけに良い思いをさせる気もないの。一緒に儲けたいのよ」


 そう言って彼女は、黒板に書いたトーナメント表みたいな図を指す。


「いい? まずはチョイも、ワタシ達が入ってる販売組織、『エターナルドリーマー』の会員になるの。あとは、色んな人を勧誘して、この万能治癒サプリ、『へルシアスULTRAアルトラ』を売っていくのよ。でね、すごいのがここよ。チョイが他の人に売ったり、チョイが勧誘した人が別の人に売ったりすれば、その分アナタにお金が入ってくるの!」



 突然の名前呼びに興奮していた笑顔がピシリと張り付く。ああ、うん。やっぱり最後まで聞くのはやめようかな……。

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