20時間め:マリアと罠
凄まじいモンスターの声に目が覚めた。
視線の先にある木の葉がザワザワと揺れている。空に響き渡るモンスターの声に小型モンスターたちが驚き逃げたのか、地面を駆ける音が聞こえた。
「リリ──ッ」
起き上がろうとして、マリアは呻き声をあげた。
落ちたときに、足と腰を打ったらしい。マリアは寝転がったまま、自身にキュアオールをかける。
全身を癒す魔法はかなり体力を消耗するが、一つずつ傷を癒していたら、夜までかかってしまう。
「早く、探さないと」
モンスターの声も気になる。あれは、アンデスの声だった。悲痛なその鳴き声に、マリアまで胸が締め付けられる。
──大丈夫。ジンがいる。
何しろ、ジンはファントム・シーフ。マリアよりもよっぽど頼りになる。
少しは体が動かせるようになってきた。
マリアは恐る恐る体をひねり、地面に手をつく。
土が柔らかい。グッと力を入れて、体を持ち上げた。
「ふう」
座り直して息を一つ吐く。頬をなでる風が気持ちいい。
「──クゥ」
「え?」
声に振り向くと、小さい白い塊がマリアの胸元に飛び込んできた。
「リュクー!」
「あなた!」
ベビードラゴンがぐりぐりとマリアの胸元に顔を埋める。
「!」
可愛い!
思わず、抱きしめそうになるのをグッと堪えた。
いくらモンスターが親愛の情をこれほどまでに見せてきたとしても、リリアにするように抱きしめていいかはわからない。
マリアはゆっくりとベビードラゴンの背中をさする。滑らかな手触りが気持ちいい。
「追いかけてきてくれたの?」
「リューク」
ベビードラゴンがパタパタと翼を自慢気に動かす。
「すごい! 飛べるのね」
年齢で言うならまだまだ赤ちゃんだろうに、さすがドラゴンだ。本能で飛び方を心得ている。
「そうすると、ますます、あなたが落ちたのが不思議ね」
ツキノワの穴倉で見つけたときは母親ドラゴンの背から落ちたとばかり思っていたが、違うのだろうか。飛べるのならば、落ちることはない。置いていかれたと言う方がしっくりくる。
その考えに、マリアはなでていた手を止めた。
ない、ない。そんなこと、あるはずない。
首を振って、その考えを打ち消す。モンスターの種の存続本能は強い。虎の子を谷へ突き落とすようなことがあるとしても、もう少し大きくなってからのはずだ。
「リリアを探しましょう。手伝ってくれる?」
「リュー」
ベビードラゴンがうなずくように鳴き声をあげ、マリアの元からするりと抜け出ると、空を舞うように宙返りをする。
「ありがとう」
手と足に力を入れて立ち上がった。だいぶ体は癒えたようだ。
「あの森の様子からして、必ずここにリリアがいるわ」
あとは、森のどこを探すかだ。マリアは近くの木を調べる。
「リュー?」
「この森はね、草食モンスターばかりだから、木の実や草を食べるモンスターが多いの。縄張り争いも熾烈でね、特に今の時期は冬籠りの準備の真っ最中だから、どの木を占領するかは死活問題なの。ほら、この傷、これはオオリスの爪痕ね」
オオリスは樹上性のモンスターで、木登りを得意としている。成人してもベビーモンスターの大きさにも満たないが、視界が広いので敵を認知するのが素早い。樹の上を縦横無尽に走ることができ、住処が主に食糧調達場になる。冬は地面に降りてきて、木の実や野草を蓄えるための洞穴を用意するが、それ以外は木を転々と渡り歩く。歯が鋭く、小さいながら敵を威嚇するには十分な武器を持っているモンスターだ。
ベビードラゴンが興味深げに木の傷に近く。
「オオリスがいるってことは、思ったよりも外側ね」
この森は外側から最深部となる中心にかけて、徐々に大型モンスターの縄張りになっていく。中心部にも小型モンスターがいないわけではないが、住処にするのは外側だ。
アンデスが最深部にいるからなのか不明だが、大型で力の強いモンスターは深部に集まっているため、森の危険度は中心に近くなるにつれ高くなる。
「と言うことは」
深部に行くことはない。木の様子を見ながら、マリアは街に向かう方角に足を向ける。
「リューク?」
「そう、こっちよ。でも、待って。ステルスをかけましょう」
自分とベビードラゴンに気休め程度のステルスをかける。何か違和感があるのか、ベビードラゴンが目を瞑りながら頭をふる。
「ごめんね。ちょっと気になるわよね。私はあんまりステルス得意じゃないから、やらないよりはマシってだけなんだけど。他のモンスターもなるべく刺激させたくないから、かけさせて」
「リュゥ」
しかめつらをしながらも、渋々というようにベビードラゴンが声をあげる。
「ありがとう」
ドラゴンは人間の言葉がわかるのだろうか。先ほどから、マリアの言葉をベビードラゴンはよく理解している。
「行くわよ」
先ほどのアンデスの声に驚いて逃げたのか、ベビードラゴンの気配のせいか、地上にモンスターの姿はない。それでも、モンスターを刺激しないようにと、マリアは息を詰めながら、マリアはまっさらでふかふかな土をゆっくりと踏み締めて先を進む。
ベビードラゴンはきょろきょろとあたりを見回しながら、マリアの後ろを滑るようについてくる。パタパタと忙しなく動かされる翼が可愛らしい。
「陽の位置からすると、まだ村の方ね」
「リュー」
足音はこの土に吸収されてほとんど聞こえないが、柔らかく沈み込む土に足が取られそうだ。
「何ていうか、耕したような土ね」
「リュリュー」
これだけ柔らかいなら、足跡の一つや二つは期待できるかもしれない。
マリアは注意深く地面を見ながら進む。
「それにしても、森の土ってこんなに──」
「リュリュリュー!」
柔らかかったけ?
その言葉を飲み込んで、マリアはベビードラゴンの声に顔をあげる。
「え?」
顔をあげたまま、踏み出した足は宙をかき、それと同時に、足元が崩れ落ち始めた──!
「きゃああああ!」
「リュークー!」
ベビードラゴンがとっさにマリアを追いかけ、口でマリアの腕をくわえてくれる。
「何これ!?」
アンデスが丸々入るほどの大きさの落とし穴だ。
2階ほどの高さの穴の底では、石がところどころで出っ張っていて、落ちていたらアンデスに振り落とされた時よりも衝撃がありそうだ。
「リュ、ウ、クゥゥ」
ベビードラゴンがヨタヨタと翼を動かしながら、マリアを穴の外へと持ち上げてくれる。
「ありがとう。助かったわ」
マリアがベビードラゴンの頭をなでると、グリグリと頭を手に擦り付けてくる。
もっと褒めて、と言わんばかりだ。
その姿を微笑ましく見ていると、ザリっと土がなる音がした。
「なんだ、なんだ。変なのがかかりやがったぞ」
「モンスターがかかるはずだとか言ってたけどねえ」
青く逆立った髪に、先が鋭く尖った槍のような武器が仕込まれた鎧を来た少年と、スキンヘッドに優しい風貌をした大男が立っていた。青髪の少年は背中に鎌を背負い、大男は腰に大きな弾を装備している。
「けっ、あんな野郎のいうことを間に受けてたまるか」
青髪の少年が吐き捨てるように言う。
「人間がかかることは想定していなかったよね。どうしようか?」
大男がまるで女性のような口調で、優しげに浮かんでいた笑みを称えたまま、じろりとマリアを見る。瞳の底に見える殺気にベビードラゴンがグルルと唸り声をあげる。
──まずい。
マリアはベビードラゴンを胸の中に抱えて、スリープをかけた。
完全には眠らないだろうが、うとうとくらいはするだろう。
彼らは、ベビードラゴンを知らない。ただの小型モンスターだとでも思っているのだろう。
この場でこの子が雷を縦横無尽に発してしまうと、彼らが傷つきかねない。そして、それはベビードラゴンの立場も危うくする。
「そりゃあ、モンスターに助けられてる上に匿うような女、生かしてはおけないだろ」
「同感」
増幅する殺気に、マリアは咄嗟にその場を退く。
──ザンッ
マリアがいた場所を、大きな鎌が横切っていった。
「あれ、避けた?」
「相変わらず、遅いねえ」
うるせえ、と青髪が吐き捨てると、舌舐めずりをしながらマリアを睨めつける。
「まったくの素人ってわけじゃなさそうだな」
まずい。分が悪い。マリアは戦闘員じゃない上に、二人がかりだ。
対等にやりあえるとは思えない。
踵を返して、森の中を走り出す。
「あ、待て!」
ドンッという大きな音の後、マリアの後ろで何かが弾ける。
「きゃあ!」
衝撃で吹き飛んだ体が、強かに木に打ち付けられる。
「──ッ」
なんとかベビードラゴンを守ったが、その分肩と頭にダメージが及んだ。クラクラとめまいがする。
「こらこら、勝手に走っちゃダメじゃない」
大男はリリアほどにもありそうな大きな大砲を楽々とかついでいる。
──何あれ、反則でしょう。
フラフラとする頭でなんとか周りの様子を探る。
その間にも青髪と大男がマリアへと近づいてきていた。
「あんたさあ、モンスター庇って死ぬなんて馬鹿だと思わないのか?」
「それ、置いてくなら、見逃してもいいよ」
二人がマリアの顔を覗き込んでくる。
視界がぼやけて二重なままだ。
早く、モリノガかキュアオールを。そう思っても体と頭がいうことを聞かない。
顎をつかまれ、上を向かされる。
「どうする? って聞いてんだけど」
どうするもこうするもない。
「この子が、何したって、言うの?」
無言で二人が顔を見合わせた後、お腹に衝撃が走った。
「グッ」
マリアともベビードラゴンともわからない悲痛な声が上がる。
顔とお腹を守るように体を丸める。いたぶるように、的確にマリアの体を痛めつけるように、男たちの足がマリアを蹴り上げる。
「グゥ、ア、──ッ」
「あんた、俺らを怒らせたから、死刑な」
「何したか、って教えてあげる。モンスターは、俺たちが10歳の頃に、村を襲って、家族を殺したの。家族も家も失った俺らがどう生活してきたかわかる? 地面を這うように、死ぬような思いを何度もして、モンスターと人間の餌になりながら、すべての屈辱に耐えて、ここまで生きてきた。あんたがぬくぬくとこの森のモンスターと遊んでる時に、モンスターは俺たちの生活を蹂躙したのよ。だから、決めたの!」
「俺たちは、モンスターを根絶やしにするってな」
青髪の男が鎌を振り上げる。
ギラリと銀色の鎌が陽の光を浴びて、オレンジ色に光る。
──動け、動け、動け!!
打撃の衝撃で体が動かない。念じるように、キュアオールをかける。
早く、早く!
ここで、死ぬわけにはいかない。
「私にはリリアがいるの──!!」
鎌が閃く。マリアは思わず目を瞑った。ありったけの力で回復魔法をかけ、ベビードラゴンをかたく抱きしめる。
──ガンッ
金属と金属のぶつかる音に、恐る恐る目を開ける。
「おいおい、マリア、油を売ってる暇はねえだろ」
「ガイ!」
ガイの白髪が夕陽に照らされてオレンジ色に染まる。
振り向いたガイは不敵に笑っていた。
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