18時間め:ヨシュアの眼

 マリアがジンの声とともに空の彼方に消えていく。

「くそ!」

 どうする? どうすれば、マリアを助けられる!?

 アンデスに懸命にしがみつきながら、ジンは次の手を考える。

 その時、パタパタと小さな羽音がジンの頭の上を通りすぎた。

「リュークウゥ〜」

 寂しげな声を出しながら、ベビードラゴンがマリアの消えた方を見つめる。

 アンデスが巻き起こす突風をいとも簡単にいなし、風を受けながらジンの背に乗っている。

 ──いや、自分で打ち消す風を起こしているのか。

 小さくとも風を操るドラゴンだ。もしかしたら。

「頼む、マリアを、助けてくれ!」

 ジンは祈りながら、背中のベビードラゴンを空に押し出す。風に乗って、ベビードラゴンが一歩、空へと進む。小さな翼がピッと横に一層広がった。

 小刻みに翼を羽ばたかせながら、ベビードラゴンが振り返る。その黄色の瞳に、力強くうなずいて見せる。

「リューク!」

 まるで親に遊んで良いよと言われたかのように、ベビードラゴンが嬉しそうな声をあげる。

 ひらりと宙返りしたかと思うと、空を移動し始めた。飛ぶというよりも移動する、という言葉がしっくりするほどの速さだ。

 これで大丈夫だとまでは言えないが、どの道、この状況で自分ができることは少ない。

 ジンは気持ちを切り替えると、アンデスのたてがみにも似た白い毛をしっかりと握った。

「アンデス! 落ち着け!」

 アンデスの脇を叩いてみるが、まるで暴れ馬のように猛進するアンデスにはジンの声が届いていないようだ。

 カナンの森が次第に近くなるにつれ、巻き起こる風に土埃や葉が混ざり始める。

 ジンは防御魔法を使いながら、下に目を凝らした。人とモンスターの影が見える。

「まさか!」

 アンデスがスピードを緩めないままに、森へと突っ込む。

 盛大な地響きと砂埃とともに、体に衝撃が走る。周囲の木から小型の鳥モンスターが空へと逃げていく。

 キシャアアアアァァーーーーー!!

 アンデスが遠吠えとも言えるような声をあげた。

 砂煙が徐々にひいていく。そこにいたのは──。

「ヨシュア……」

「ジンさん、どうしたんですか?」

 アンデスの番である雌のアンデスが、ヨシュアの前で傷だらけのままぐったりとしている。

 ヨシュアの手には、彼の剣と、白い眼帯が握られていた。

 今まで見たことのなかったヨシュアの片目。

 その片目はすでになく、眼窩がぽっかりと穴を開けたまま、闇夜の暗さをたたえてジンを見つめていた。口は歪な微笑みにかたどられ、いつものヨシュアの陽気さはない。

「お前、その眼……」

 ギィーーーーーーーーーーー!

 アンデスが裏返るような凄まじい唸り声をあげると、凄まじいスピードでヨシュアに襲いかかる。

「アンデス!」

 ギャン!

 アンデスが大きく身を翻す。何かに弾かれたかのように、その大きな体が弾き飛ばされる。

「急に襲いかかるなんて……。だから、モンスターは嫌いなんですよね」

「ドラゴン!?」

 ヨシュアを守るように、青と赤のドラゴンが2体、宙を舞っている。どちらもアンデスほどの大きさだ。

 ヨシュアが笑いながら、攻撃を指示するかのように、剣を横に振った。青いドラゴンが威嚇する声をあげ、その声が突風の鋭い刃となって、アンデスに襲いかかる。

 ギシャアアアーーーー!

 アンデスの悲痛な叫び声が空に響き渡る。

「やめろ!」

「ダメですよ」

 駆け寄ろうとするも、赤いドラゴンが声をあげ炎を吹く。その炎がジンに襲いかかる。

 じりじりと後退する。

 ドラゴンが人間に使役するわけがない。

 ジンが考える間にも青ドラゴンがアンデスを傷つけていく。威嚇の声とともに発せられる刃は、傷自体は浅く見えるが、数を受ければ巨体のアンデスもどうなるかわからない。

 ──考えろ。どうなっている。どうすれば良い。

 目を瞑り、深呼吸をする。

 アンデスの悲痛な叫びとともに、ドラゴンの威嚇する声が聞こえる。微かなアンデスの番の声。番は生きている。葉が風の音にそよぎ、微風が頬をなでていく。

 ──そうか!

 ジンは、目を開くと同時にブラストの魔法を地面にかけた。一陣の風が起こり、砂埃が宙に舞う。それと同時に、自身の短剣をヨシュアの右手に向かって投げた。

「──ッ」

 カランとヨシュアの手から、剣が落ちる。

 砂埃とともに、二頭のドラゴンの姿が揺らぐ。

「さすが、ジンさん、見抜くのが早いですね」

「やはり、幻覚か」

 いるはずのないドラゴン。揺れない葉。突風が吹いているはずなのに、頬に触れるのは微風だけ。

 つまり、実態のないモンスターと攻撃。そこから導き出せるのは、幻覚で作られた架空のモンスターと攻撃だということ。

「幻覚は物理には弱いからな」

「それで、砂埃ですか」

「風魔法は得意じゃないが、あれくらいはできる」

 片手を抑えるヨシュアに警戒しながら近づく。

 ただし、幻覚は物理ダメージを与えることはできない。どんなに、上等な幻覚でも、傷はつけられない。

 ──だとしたら。

 考えられるのは、ヨシュアが作り出した傷をあたかもドラゴンが生み出しているかのように見せること。風魔法と斬撃の合わせ技だ。幻覚は、その幻覚を知覚した個体が想像した痛みや感覚を作り出す。アンデスは、その幻想の痛みに苦しめられていた。

「ヨシュアは魔法が苦手だと思っていたが」

 特殊な幻覚魔法が使えるのは、上級魔道士でも一握りの人間だけだ。

「そうですよ。だから、もう立つのもやっとなんです」

 ヨシュアの息が上がっている。ヒュッヒュとなる息は、過呼吸のように感覚が狭い。

 片手を押さえている手で握られていた眼帯を、そっと抜き取った。ヨシュアの黒い眼窩にかけてやる。

「ヨシュアには、これが似合っている」

 真っ白だった眼帯は薄汚れ、黄色のチューリップがひしゃげている。

 ヨシュアが脂汗を浮かべながら、口を歪めて笑った。

 ヨシュアが限界だというように、地面に倒れ込む。すんでのところで、その体を抱きとめた。

 ゆっくりとその体を地面におろし、ヨシュアにスリープをかける。息が荒いままだが、仕方ない。

「キュアは、アンデスにかけてやらないといけないからな」

 あの大きさの個体、しかも2体にキュアをかけるのは、かなりの重労働だ。

 せめて気道の確保をするために、ヨシュアを木の幹に寄りかからせるように座らせる。

「よし」

 アンデスの方を振り返ると、身体中に傷を負ったその大きな体を引きずって、アンデスが番の雌のアンデスに近寄ろうとしていた。

「アンデス。ちょっと待て。傷は浅いけれど、ダメージは大きいんだ」

 急いで近寄るも、アンデスは動きを止めようとしない。アンデスが這った跡が血と共にできていく。錯覚したダメージが、相当な体力を削っているはずだ。それに、傷も多い。浅いけれど、これだけの傷を負えば、やはりそれなりのダメージになっているだろう。

 ギギギ……ギシャア

「アンデス……」

 まるで泣いているかのような泣き声に、ジンも言葉が詰まる。

 もし、マリアが傷ついたら。もし、リリアが泣いていたら。きっと、自分がどれだけ体に傷を負っていても、その場に行くだろう。寄り添いたいと願うだろう。

 ジンは、手と足と腰、それぞれに肉体強化の魔法を最大限にかける。

 これが得意な魔法でよかった。

「キュアがかけられなくなるかもしれないが、すまないな」

 ジンはアンデスの胸部分に潜り込むと、腕立ての要領でグウッとアンデスを上にあげる。

 そのまま、体を背中に載せ、顎と翼を持ちながら、一歩ずつ前へと進む。

「少し、痛いと、思うが、ガマンしろよ。これが、精一杯だ」

 アンデスが、キシャア、と小さい声をあげた。まるで、ガイが礼をいう時のような言い方で笑ってしまった。不器用な男は礼を言う声が小さい。

 30メートル。距離にするとそれくらいだが、大陸を横断するほどの距離に感じた。

 番の横にアンデスと倒れ込むように、身を放り出す。

「ここに、ヨシュアがいるってことは」

 体を投げ出しながら息を整える。手と足が棒になるほどの仕事は久しぶりだ。

「最悪な事態はないな」

 アンデスが、番のアンデスの顔に頬擦りをし、壊れ物を扱うかのように、優しく丁寧に舐める。

 番が応えるように、微かに頭を動かした。アンデスの瞳が揺れる。

 息は細いが、番も傷は浅い。どちらかというと、子どもの方が気がかりだ。

「大丈夫だ。マリアがいれば、お前の奥さんもすぐによくなる」

 ジンはアンデスに寄りかかるようにして立ち上がり、アンデスの脇腹を優しく叩いた。

 番を守るように寄り添うアンデスが、深い茶色の瞳をジンに向けてくる。

「必ず戻る。安心しろ。ファントム・シーフは眠らないんだ」

 自身の回復力の速さは、ジンの生まれながらの特性だ。

 足と手をぶらぶらと左右に振る。体力はだいぶ削られているが、動きはするだろう。

「それと、ヨシュアのこと、許せとは言わないが、事情があることをわかってほしい」

 ふいっとアンデスが視線をそらす。

 当たり前だ。自分が言われたら、そいつを殴っている。

「悪いな。俺にとっては、ヨシュアも仲間なんだ」

 だから。

「リリアとマリア。そして、ヨシュアを助ける」

 ジンがすっと森に溶けるように消えた。

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