16時間め:ベビードラゴンとアンデスの飛翔

 ベビードラゴンの前に静かに降り立ったアンデスは、クチバシでドラゴンの額を軽く押した。コロンとベビードラゴンが転がり、楽しげな声が上がる。

 ふんと鼻を鳴らしたような音をだすと、アンデスは再び飛び去ろうと翼を広げた。

「ま、待って! アンデス!」

「マリア!」

 ジンが駆け出そうとしたマリアを止める。突然の二人の姿に、ベビードラゴンが驚いたのか、警戒したのか、尻尾がパタリと土の上に落ちた。アンデスは広げた翼をゆっくりと畳むと、静かにマリアを見つめる。

「ごめんなさい。あなたたちと私たちは、ちゃんと距離を保つべきだと思ってるんだけど、緊急事態で、どうしてもあなたの助けがほしくて。あ、ほら。敵対するつもりはないの。あ、あと、これ。あの、話を聞いてもらうために持ってきたんだけど」

 喉元を見せながら、ツルの袋をアンデスに差し出す。おずおずと近づいたベビードラゴンが、自立したその袋を見上げ、編まれたツルにつかまりながらよじ登る。てっぺんというほどには高くないが、袋の入り口まで着くと、覗き込むようにして、ゴロンと頭から突っ込んだ。それを横目に見ながら、アンデスが地面に腰を落ち着ける。話を聞く気になってくれたらしい。

「私の、あ、私、マリアって言うんだけど、私の娘が突然いなくなってしまって──」

 リリアが突然いなくなったこと。魔法でリリアの気配が消されていること。どこにいるのかわからず、一番可能性が高いのがこの森であること。なるべく詳細に今までのことを話す。

 人間の言葉をモンスターが理解するのか、マリアにもよくわからない。

 ジェスチャーをしたり、地面にリリアの似顔絵を書いたりしてみたが、伝わっているだろうか。

「こんなこと、あなたに頼むのは間違ってるのかもしれない。だけど、私たちだけじゃ、この森の全部を見渡せないの。だから、力を貸してくれない?」

 マリアをしばし見つめたアンデスは、

 キシャアーーー

 と空に向かって声をあげると、地面に伏せって目を閉じてしまった。

「……やっぱり、ダメなのかしら」

 アンデスと同じようにマリアも地面に座り込む。その肩をジンが優しく抑えた。

「まだ、日暮れまで時間はある。次の手を考えよう」

「うん……」

 アンデスは動かない。マリアは諦めて腰を上げようとすると、コロンとリンゴが転がってきた。

 ベビードラゴンが潜り込んだツルの袋がゆらゆらと揺れている。次第にその揺れは大きくなり、十秒と経たないうちにその袋がひっくり返り、ゴロゴロと果物や野菜と共にベビードラゴンが転がり落ちてきた。

「危ない!」

「リューッッッ!」

 後転しながら出てきたベビードラゴンが、強かに地面に打ち付けられる。

「大丈夫!?」

「マリア、ダメだ!」

 思わず駆け寄ろうとしたマリアを、すんでのところでジンが止める。

「〜〜〜〜」

 ベビードラゴンが頭を抱えながら、呻き声をあげる。

 ビリビリとベビードラゴンの周りに稲光が走る。

「ヤバイぞ」

「リュウゥ〜〜」

 呻き声が泣き声の色に変わっていく。ベビードラゴンから遠ざかるように後ずさってはみるが、どこに走るかわからない雷の波に、そこまで大幅には動けない。その場で身を屈める。アンデスがちらりと顔をあげるが、興味がなさそうにまた目を閉じてしまった。

「アンデスも危ないんじゃないのか!?」

「わからない!」

「リュークウゥウゥゥウウー!!」

 激しくなるベビードラゴンの泣き声に、マリアまで涙が出てくる。心なしか、頭まで痛くなってきたような気がする。横を見ると、ジンの瞳も涙で潤んでいた。

「また、このパターンか!」

 ジンが自分たちから気をそらせようと、ヤケ気味に周りの野菜や果物を別の方向に投げる。

「それよ!」

「え?」

 マリアが周りに転がった果物から、ありったけのイチゴを浮かせてベビードラゴンの前に集める。

 ベビードラゴンの発する雷に当たって落ちるイチゴもあったが、3つほどベビードラゴンの頭上まで持っていくことができた。コツンとイチゴをベビードラゴンの頭に落とす。

 その衝撃に、ベビードラゴンの泣き声が止まる。

「リュク?」

「ほら、イチゴのダンスよ」

 イチゴを初めて食べた時と同じ遊びだ。

 目の前で踊り回るイチゴを見て、ベビードラゴンの潤んでいた瞳が次第に喜びに色を染めてゆく。

「リューリュー、リューク!」

 ベビードラゴンが体を揺らしながら、節をつけて歌うように鳴き声を上げる。

「よかった」

 泣き声とともに雷も止んだ。

 ベビードラゴンが立ち上がり、イチゴをつかまえようと手を伸ばす。

 リリアもこの遊びが大好きだった。座れるようになった時には、イチゴや木のみを目の前で浮かべて見せて、ダンスに合わせてよく体を揺らしていた。立ち上がれるようになった時は、イチゴを捕まえてみては、マリアに見せに来てくれた。

──リリア。

 イチゴが突然重力を思い出したように、ぼとりと落ちる。

「リリア。リリア」

 マリアが両手に顔を埋める。可愛いリリア。あの笑顔に会えるだろうか。

 考えたくなくとも、最悪のパターンを思い浮かべてしまう。

 早く会いたい。会って、抱きしめて、頬擦りして、リリアの大好きな食べ物を一緒にたくさん食べたい。一緒に、いただきますを言いたい。

 ジンが、ゆっくりとマリアの背中をさすってくれる。

「リュー?」

 突然落ちたイチゴと泣いているマリアを、ベビードラゴンが不思議そうに見ている。

「ごめんね。もうちょっとしたら、またやるからね」

 溢れ出る涙を手で押し戻すように拭う。

 ベビードラゴンは目の前のイチゴを口にくわえると、トコトコとマリアまで近づいてくる。

「え……?」

 マリアの目の前にイチゴを置き、促すように口先で前に押し出した。

「くれるの?」

「リュー」

 うなずくように、ベビードラゴンが声をあげる。ジンと顔を見合わせた。

 信じられないことだけれど、ベビードラゴンがイチゴをくれようとしている。

 同じように驚いているジンが、それでも頷いてみせる。

 後押しされるように、マリアはイチゴを手にとった。

「……いただきます」

 土を払って、口の中に入れる。甘酸っぱい味が口の中、いっぱいに広がった。緊張と焦りでお昼ご飯のことも忘れていた。お腹と心が甘く優しく色づいていく。

「おいしい……」

「リュー!」

「ありがとう」

 ベビードラゴンが右に左に尻尾を振る。

 元気づけてくれた。

 アンデスがベビードラゴンを転がして遊んであげたように。

 マリアがイチゴのダンスを見せたように。

 元気を出してと、言うかのように。

 ベビードラゴンはイチゴを食べさせて、元気づけてくれた。

「ありがとう」

 笑えているだろうか。涙をぬぐって、もう一度心を込めて伝えると、勢いよく立ち上がった。

 泣いている場合じゃない。私はリリアの母親だ。

「リューリュー」

 マリアの服を、ベビードラゴンが口にくわえる。グイッと物凄い力で引っ張られる。

「どうしたの?」

 どこにそんな力があるのかと思うほど、ベビードラゴンの力は強く、マリアは半ば引きずられるまま、アンデスの目の前までやってきた。

 いまだ、体を伏せて目を瞑っている。

「リュクリューク」

「ちょ、ちょっと、どういうこと?」

 アンデスを目の前に、ベビードラゴンが何かを訴える。

 痺れを切らしたように鼻を鳴らし、マリアの後ろに回ると、背中を押してアンデスにさらに近づけようとする。

「これ以上はダメよ」

 停止魔法を自分の足にかけても、ベビードラゴンの力には全く敵わない。

 じりじりとアンデスの方に押し出され、すでに手を伸ばせば触れられる距離だ。

 翼は黄金でお腹辺りは黒い毛に覆われているが、背中の色は雌と同じ灰色で、鱗がびっしりと生えている。

 その鱗の数を数えられるだろうほどに近い。

 もうほとんどアンデスに押し付けられている。

「ジン! 助けて!」

「乗せるのか?」

 ずっと静観しているジンに声を荒げると、とんでもない言葉が聞こえてきた。

 乗せる?

「リュー」

 問いただす前に、体が持ち上げられる。

「ウソ」

 一面の灰色の鱗。思っていたよりも柔らかく、アンデスの呼吸に合わせて、微かに波打つ。

 首回りに、薄く白い毛が生えている。翼の付け根は、灰色から白に変わり、クリーム色、黄色とグラデーションを経て、黄金の翼に続いている。

 マリアは息を呑んだ。

 アンデスの、背中に乗っている。

「よっと」

 続いて、ジンがベビードラゴンを小脇に抱えながら、少しも動じる様子もなく、アンデスの背にまたがる。

「信じられない。アンデスの上に乗ってる」

「そうか? コントラクターの時は、よく背中に乗り付けて戦ったけどな」

 ジンがこともなげに言うが、そんな芸当ができるのはコントラクターでも一握りだけだ。

 それに、戦いと今の状況は全く違う。アンデスが暴れ出さないのが不思議なくらいだ。

「リューリュクー!」

 ベビードラゴンが声をあげると、アンデスがゆっくりと腰をあげた。

「わっ!」

 衝撃で落ちそうになるのを、ジンが支えてくれる。

「首の毛を握った方がいいぞ。鱗は触られるのが苦手なはずだ」

「ジン、なんでそんなこと知ってるの?」

「戦いの中での勘だ」

 アンデスの翼がバサリと開かれる。体がアンデスの上で大きく跳ねる。ジンの助言にしたがって、前屈みにアンデスにしがみついた。

「まさか」

「そうだろうな」

 準備運動とばかりに2、3翼を振ると、地面から物凄い風圧が返ってくる。

「落ちるなよ」

「リュー!」

 ベビードラゴンの声と共に──。

 アンデスが空高く舞い上がった。

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