15時間め:マリアの作戦

 モンスター生態調査研究所。その名前に、マリアの動きが不自然に止まる。撫でられていた手の甲が、突然冷たく感じた。

「おや、どうかいたしましたか?」

 柔和な微笑みを崩さないままに、初老の男性が器用に片眉をあげる。

「ニール様。そいつは、父親が研究所にいたんですよ。10年前に失踪しましたがね。ここに来て、娘までとは、どんな因果を背負っているのか」

「そうでしたか。我々の仲間は危険を顧みず仕事をしていますからね。お父様の勇姿に敬意を表し、お悔やみを申し上げます」

 ニールが顔を覗き込んでくるのを避けるように、思わず下を向いた。

 10年。長い間、人がいなくなれば、死んだも同然だ。

 頭ではわかっていても、ニールの言葉が胸に突き刺さる。

 マタギは、もうこの世にはいない。

 マリアはその考えを強く打ち消すように頭を振った。

 違う。マタギのことなどどうでもいい。今は、リリアだ。

 早く探さなければ。

 心はそう急いているはずなのに、体が動かない。まるで、冬眠に入った時のアンデスだ。今さら振り払うこともできないニールの掌から、悪寒が這い上がってくるような錯覚に陥る。

 静かに呼吸を整える。

 ジンがマリアの肩を掴む手に力を込めたのがわかった。ニールに握られていない手をジンの手に重ねる。大丈夫。今は、リリアのことだけを。 

 顔をあげたのと同時に、ガイが踵を返した。

「早く探しましょう。陽が暮れてからでは、森の中を探索できません」

「そうですね。挨拶などしている場合ではありませんでした。すぐに、森に入って探しにいきましょう。人物絵はありますか?」

 ニールの手が離れ、マリアは息を吐いた。ニールの手の感触を打ち消してくれるかのように、ジンがその手を握ってくれる。

「村長の家に保管してあるはずです。森へ入る準備も必要ですので、ご同行いただけますか?」

「承知しました。急ぎましょう」

 ガイがうなずき、マリアとジンに向き直った。

「俺は、リリアの絵を手配したら、ヨシュアと出来る限りの村のみんなに声をかけにいく。大勢集まれば、一人くらいは浮かせられるかもしれないからな。焼け石に水だが、試さないよりはましだ」

 森の中をくまなく探すには3日はかかる。ガイもわかっているのだろう。長くなればなるほど、リリアが戻ってくる確率は低くなる。上から森を見渡せば、一気にかたはつくけれど、浮遊魔法で人を浮かせるのは相当な魔力が必要だ。

 森の木の高さまで上がるのは、無理だろう。

 それでも、ガイはやってみると言ってくれた。

 親身になってくれているガイの顔を、マリアはおずおずと見上げる。

「ガイ、ごめんね。勘違いして……」

 マリアの謝罪に踵を返そうとしていたガイの足が止まる。

 ずかずかとマリアに近づくと、大きな体を窮屈そうにマリアの近くまでかがめた。

 マリアが口を開く間もなく──

「ばかたれがっ! お前はリリアの母親だろう! 腑抜けてる暇があったら、とっととリリアを探せ!」

 空気がビリビリと音を立てるかのように、ガイの怒号が響き渡る。

 呆気に取られているマリアとジンを捨て置き、「失礼しました。ご案内します」とガイがニールと共に歩き出す。その姿を驚きで惚けたまま見送るマリアに、ジンが握っていなかったもう一方の手を差し出した。

「マリア、立てるか?」

「う、うん」

 ガイの大声で、体にまとわりついているように感じていた悪寒はなくなり、体が軽くなったかのようだ。

「叱咤激励、だよね」

「そうだろうな」

 小さくなったガイの背中を見つめる。

 ガイの思想とは相容れないけれど、ガイの一本筋の通った考え方は眩しくもある。

「イヤじゃないからキライなのよね」

 ふっ、とジンが笑い、マリアの頭をなでる。

「リリアを探すぞ」

「うん。一度、家に戻ろう」

 家の前に戻ると、ジンとマリアを見つけたカザミが駆け寄ってきた。

 マオ婆の家でリリアのことを聞いてから、すぐに駆けつけてきてくれたらしい。

「カザミ、この家で待っててくれる? リリアが帰ってくるかもしれないから。待ってるのってすごく辛いと思うんだけど……」

「問題ない。お前たちはどうする?」

「森に」

 カザミの質問に短く答える。その答えにカザミは黙ったままマリアを見つめる。きっと、マオ婆の家で、ニールたちが森を探索すると聞いたのだろう。

「森に、いると思うんだな」

「リリアを連れて村を出るのは目立ちすぎる。それなら、きっと森に入るわ。深部まで行かなくても人に気づかれることなく、村の外に連れ出せる」

 森は街につながっている。それは、マリアが幼い頃から身をもって知っていることだ。

「転移魔法は子どもに負担がかかりすぎるし、わざわざ連れ去るくらいだ。その線は俺も強いと思う。ただ、どこを通るかは未知数だな。ここまで用意周到なんだ、足跡があるとは思い難い」

 ジンの言葉に、カザミもうなずく。

「わかった。準備がいるな?」

 なぜ、ニールたちと同じ場所を探すのか。カザミはその質問はしないでくれた。

 家の中に入り、ありったけの食べ物を台所に出すと、植物のツルで編んだ袋に満杯になるまで詰め込む。カザミも自分の家からイチゴを取ってきてくれた。服を着替えて、いっぱいになった袋をマリア、ジンそれぞれ抱える。

「リリアを見つけるのはもちろんだが、ムチャはするなよ」

 ドアの前でマリアに釘をさすカザミは心配そうだ。

 カザミの言葉に大きくうなずき、抱擁を交わす。

「婆さまからの伝言だ。絶対に見つけてこい」

「あたりまえよ」

 カザミに留守を託し、ジンとともに森に入る。土を踏み締める音があたりに響く。森が静かだ。

「久しぶりだな。マリアがその服を着るの」

 クリーム色のローブを動きやすいように短くしたもので、裾にはすべての生命を癒すと言われている貴重な薬草、モリノガで刺繍があしらってある。コントラクター時代に来ていた服だ。保存魔法で半永久的に力を溜めており、艶やかな緑色とモリノガの効用が色あせることはない。

「言ったっけ? これ、マオ婆とカザミが、家を出て行く前に作ってくれたの。きっと今回も私を助けてくれる」

 何度この刺繍に助けられたことか。絶対にリリアを見つけ出す。

「作戦はあるか?」

「あの人たちが森に入る前に、試してみたいことがあるの」

 ローブの裾を思わず握る。これから言おうとしていることは、普通なら無謀だとわかっている。

 けれど、可能性があるとしたら。ガイの言葉が頭を過ぎる。

 やらないよりはマシだ。

「アンデスに頼みに行く」

 家族を守る強く優美な心。瞳の奥に讃えられた光。

 ジンは驚きもしない。わかっていたのだろう。

 この森一体を見渡すとしたら、あの黄金の翼に頼るしかない。

「こんな短期間に、またもあいつとやりあうとはな。でも、もう冬眠してるんじゃないのか?」

「大丈夫よ。番が妊娠しているからね。アンデスは冬いっぱい子どもをお腹の中で育てるんだけど、その間、母親のアンデスは果物を食べ続けて、夫のアンデスは冬眠せずに母親のアンデスの食べ物を取ってきたり、縄張りに入ってきた他のモンスターを追い払ったりするのよ」

 小型モンスターでさえも、その領域に入らせない徹底ぶりだ。

 ただ一度、違ったのはベビードラゴンの時だけ。

「一応、貢物も持ってきたしね」

 背中に背負ったツルの袋を見る。マリアの頭より少し高いくらいだ。これだけ食べ物があれば、きっと気に入るものがあるだろう。バナナも入っている。

「よし、急ぐぞ。リリアや知らない人間の足跡や気配にも最低限注意して進む」

「うん」

 深部に進んだとは考え難い。それでも、二人で見落としがないように、地面や周囲に気を配りながら、森を走り抜ける。

「やっぱり、不審な足跡はないな」

「気配もない。これは、ますますアンデスに協力してもらわないとね」

 そろそろアンデスの縄張りだ。いくらこの前、雌のアンデスに助けてもらったとはいえ、いきなり縄張りに入るのは、アンデスを警戒させてしまう。

「どうする?」

 アンデスの縄張りに入る手前で、マリアは横に道を逸れる。

「こっちよ」

 進んでいった先には、イチゴのダンスをした茂み。

「ベビードラゴンか?」

 マリアは静かにうなずく。幸運なことに、ベビードラゴンは起きていた。茂みに頭を突っ込んだり出したりを繰り返して遊んでいる。

「アンデスはベビードラゴンには威嚇しないの」

 むしろ、守るべき存在と認識しているような、そんな気配さえ感じる。

 茂みに入った瞬間にベビードラゴンのお尻だけが取り残された。尻尾が楽しげにゆらゆらと揺れている。ベビードラゴンの楽しい気持ちが、胸の中に流れ込んでくるようだ。

 茂みから顔を出したベビードラゴンに、ちぎったバナナを放る。

「ごめんね。手伝ってね」

 コテンと頭に当たった衝撃に、ベビードラゴンがキョロキョロと周りを見回す。バナナを見つけると、飛びつくようにそのバナナを口にいれる。

「リュークー!」

 美味しいのか、尻尾がグルングルンと振り回されている。どうやら、アンデスからバナナをもらって以来、ベビードラゴンのお気に入りになったようだ。

 少しずつ、バナナをアンデスの縄張りの方へと誘導する。 

「もう少しで、アンデスの縄張りよ」

 ざわりと木々の葉が揺れ、空気がピンと張り詰める。

「リュー!」

 ベビードラゴンが空を見上げた。青い空の断片に金色の光が灯る。

「アンデスだわ!」

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