14時間め:ガイと、リリアの失踪
朝ごはんの後には、リリアと紙飛行機を作ることにした。正方形にした紙で飛行機を折って、マリアの浮遊魔法で飛ばして遊ぶ。
飛行機をいくつも作って同時に飛ばしたり、レースに見立てて競争させたりすることで、魔法のコントロールの練習にもなる一石二鳥の遊びだ。
「リリアもやってみる?」
色とりどりの飛行機が青い空を飛ぶ様を放心したように見ていたリリアは、大きくうなずいた。
指導に熱が入りすぎて、時折リリアを怒らせてしまうので、魔法を練習するときはあれこれ言わずに見守ることにしている。
「んー。えー。あー。えい!」
力を入れるためなのか、不思議な掛け声でリリアが飛行機に浮遊魔法をかける。
2センチほどよたよたと浮いて、パタリと落ちてしまった。
「すごい! すごい! 浮いたよ、リリア!」
「ちがうもん、とばすんだもんー」
リリアとしては、納得がいっていないらしい。頬をぷくっと膨らませて、もう一度奇妙な声と共に飛行機に魔法をかける。
「リリア、もっと手に気を集めてから出すんだ」
大きな影が、マリアとリリアに降り注いでいた陽を隠す。マリアはその気配に、リリアに見えないように顔をしかめた。そっと、その場から離れる。屈強な体つきのその男は、風貌に反して弱者には優しく、リリアに手を出すことはない。その敵意がぶつけられるのは、マリアにだけだ。
「ガイおじちゃん!」
リリアが振り向くと低空飛行をしていた紙飛行機が、ぼとりと落ちた。
「ダメじゃないか。最後まで集中するんだ」
お腹に響くような低い声に、リリアが慌てて、もう一度紙飛行機に向き直る。
「そう、ゆっくり、自分の手に集中するんだ。いいか、手が暖かくなってきたら、ようくあの飛行機を見て、その気を解放するんだ」
リリアの手からいつもよりも大きな気が飛行機に向かって放たれる。ふわりと飛行機が浮かぶと、スイーっと空に舞った。
「わー! みて! できたよ、できた!」
「すごいぞ!」
ガイがリリアの頭をガシガシとかき回す。悔しいことに、ガイは魔法を教えるのがうまい。旋回して飛行機は地面に着地した。もう一度、リリアが気を溜め始める。
「母親に似ず素直だな、リリアは。飲み込みが早い」
「何しに来たの?」
「挨拶だ。ヨシュアを連れ回しているらしいが、俺が帰ってきたからには、お前の好きにはさせん」
ガイが一瞬だけ殺気を見せた。相当怒っているらしい。
「ヨシュアも人が良い。村を脅かすモンスター狂いに手を貸すんだからな」
蔑んだ瞳がマリアの神経を逆撫でする。ガイはことあるごとに、マリアを目の敵にし、正面から逃れようのない位置で敵意をぶつけてくる。
「ヨシュアに付き合ってもらったのは悪かったわ。けれど、村を脅かすつもりはないわよ」
マリアの返答に、ガイが殺気を隠そうともせずにマリアを睨み付ける。とっさにリリアを見たが、目の前の飛行機に夢中で、こちらには気づいていないようだ。
「つもりはないだと? よく胸に手を当てて考えるんだな。人殺しのモンスターに肩入れしている奴が、村にとってどれほどの危険になるか。俺が長ならとっくに追い出している」
「人殺しのモンスターは限られてるわ。あの森にはいない。それに、肩入れではなくて、知識があるだけよ」
「ふん。俺からしたら、モンスターに詳しいってだけで、寒気がするぜ。そんなにモンスターと仲良くなりたいなら、森にでも住めば良い。お前一人でな」
いつも嫌味の一つや二つは言われるが、今日は特に悪意が強い。
くしゃくしゃとガイが白銀の髪をかき回す。
「今まで殺してないから、これからも殺さないなんて、お気楽な奴が言える言葉だ。お前は現実が見えちゃいない。周囲の村では、すでに死人が出ている。モンスターが凶暴化して襲われたら、あとの祭りだ」
ガイの機嫌の悪さに納得がいく。集会で、最近のモンスターの凶暴化について話があったのだろう。おそらく、具体的な被害の内容とともに。
──ゼロでなくては意味がない。
マタギの言葉を思い出す。ガイの言葉も間違えているとは思わない。
ただ、マタギが消えてから、何万回と自問してきた。
マタギが正しいのか、許せない自分がおかしいのか。
ルルは殺されてしまわなければいけなかったのか。
そして、マリアは否と答えを出しただけだ。
「モンスターと人間、何が違うと思う?」
「は?」
迷ったときは、いつもこの問いをする。
子どもを生み育て、ご飯を食べ、家族と共に幸せな夢を見ることを望む。そこに、違いはあるのか。
アンデスの奥さんに対する優しい表情を思い出す。
ベビードラゴンの愛くるしい寝顔を思い出す。
ルルの左右に振られた尻尾を思い出す。
「今まで殺してないけれど、これからは殺すかもしれない。それって、人間も一緒じゃない。モンスターだから、力が少し強いから、言葉が通じないから、見た目が違うから。だから排除しても良い。モンスターもそう思ってるかもしれないわ」
ガイの空気が重くなる。
「あんな獣たちと一緒にするな。お前は、モンスターに自分の家族を殺されたことがあるのか。その人たちの痛みがわかるのか?」
その言葉にはいつも胸が痛む。
家族を殺された人に同じことが言えるか。
そう問われたら、自分は何も言えない。
大切な人を失う痛みは知っている。
けれど、それが、突然、他者に奪われたものだとしたら。そうしたら、自分は憎まずにいられると言えるだろうか。
もし、リリアを、ジンを失うことになってしまったら。
その時、自分が正気でいられる自信はない。
「モンスターにも大切な家族がいるわ」
絞り出すように答えるとガイが鼻で嗤った。
「きれいごとだな。俺は、俺のやり方でこの村を守る。そのためなら、お前を排除することも厭わない。覚えておけ。お前は、この村の、敵だ」
ガイの言葉が胸を抉る。黒い澱が胃の中に溜まっていくように、心が少しずつかたくなっていく。
「ガイさん、俺の奥さんをいじめるのはそれくらいにしておいてくれませんか?」
ふっと視界が暗くなったかと思うと、ジンがマリアの目を手で塞ぐ。
「私、マリアとリリアが泣くのを見ていられないんですよね」
「これは、失礼した。見解の相違について話していただけだ。いじめていたつもりはない」
いつもとはうって変わったジンの物腰柔らかな微笑みの中に、微かな殺気が混ざっている。マオ婆だけでなく、周囲の村長の護衛も行うジンには、ガイも低姿勢だ。
「それでは、俺はまだ仕事があるので。くれぐれも、バカな真似はしないように」
ガイがマリアを煽るように釘を指していく。
完全にガイの気配が消えるまで、マリアは唇を噛み締めていた。
「あいつの弱みでも握ってくる?」
ジンが冗談ともつかない発言をする。思わず見上げたジンの瞳は真剣そのもので、笑ってしまった。
「大丈夫。ジンが助けに来てくれたから。早かったね」
「少し気になることを聞いてな。ところで、リリアは?」
「え?」
周囲を見回す。先ほどまでは気配があったはずだ。けれど、今はリリアも見えなければ、紙飛行機もリリアの気配も、微塵にも感じられない。
「リリア?」
ジンが探索の魔法をかける。気配の元を探る魔法だ。ジンが首を振る。
「少なくとも半径20メートルにはいない」
「ウソ」
嘘だ。リリアの気配を読み間違えたり、ましてや見失うことなんてない。
「嘘嘘嘘!」
マリアがリリアが遊んでいた場所に魔法陣を描く。
復元の魔法。リリアの残像が浮かび上がる。
「リリア、リリア」
紙飛行機をひとしきり浮かせたリリア、ここまではマリアもよく知っている。リリアが飛行機を見上げる。一生懸命に浮かすその姿は愛くるしい。たどたどしく浮いていた飛行機は、突然意志を持ったかのようにスイっと真っ直ぐに飛び始め──。ふっと、その残像が消えた。
「これ……」
「魔法だな」
ジンが地面に手を当てる。
「微かだけれど、リリアの気が濃い。ここに気を留めておいたんだろう。マリアはこれをリリアの気配として読み取ってたんだ」
ジンがアンデスにしていたことに近い。他人の気配を止めることができるのは、上級魔法の使い手のみだ。
「リリア……」
へたりとその場に崩れ落ちる。この、魔法をかけられるとしたら。
──ガイしかいない。
目の前が真っ赤に染まる。マリアは考えるよりも先に走り出していた。
「マリア!」
殺してやる。私のリリアに、何かしたのなら。
殺してやる。
「マリア! 止まれ!」
ジンがマリアに停止の魔法をかける。
マリアは肉体強化の魔法をかけて、無理やりにジンの魔法を解いた。
「マリア! そんなことしたら、靭帯が裂けるぞ!」
「良い! ジャマしないで!」
肉が裂けようと、骨が砕けようとどうでも良い。
リリアの居場所さえわかれば。
「マリア!」
ガイの背中が見える。誰かと話しているが、そんなことは知ったことではない。
後ろから飛びかかると、ありったけの魔法を手に集める。
「ガイ!」
「マリア! やめろ!」
叫び声とともに、気を放った瞬間、ジンの投げたシーフのマントがマリアの視界を遮った。
放たれた気の軌道が変わる。反動で背中から地面に叩きつけられる。
目の前でガードをしていたガイが息を吐いた。
「とうとう、気が狂ったか」
「リリアをどこへやった!」
地面にへばりつきながらガイを睨み付ける。
「リリア? なんのことだ?」
「ガイさん、すみません。リリアが誘拐されたかもしれないんです」
「誘拐?」
ガイの眉間にシワがよる。
「しらばっくれるな! ガイしかリリアに魔法をかけられないだろう!?」
「俺がなんでそんなことをする?」
「紙飛行機が明らかに別の魔法で飛ばされていました。リリアはそれを追って行ったんだと思います。地面には、リリアの気が残されていて、復元魔法はリリアが追えないようにジャミングされてました」
ガイの顔がますます歪められる。
「ガイ! 早く、リリアがどこにいるか教えなさい!」
「俺は知らねえ!」
その剣幕に一瞬息が止まる。踏み間違えたように呼吸のテンポがずれ、浅く早くなる。バタリとマリアの体から力が抜けた。地面に今度こそ倒れそうになったその体を、ジンが横から受け止めてくれる。ジンの腕にしがみつきながら、手の震えが大きくなっていく。
「本当に、知らないの……?」
「……慣れてる奴の仕業の可能性がある。ヨシュアと村の男手も呼ぶぞ」
ガイはマリアの顔を見ずに、踵を返す。
すると、ガイの横にいた人物が言葉を挟んだ。
「私たちも手伝いましょう。どのみち、森に入るところでしたらからね。森の中を探してきますよ」
「ありがとうございます。申し訳ありません、ただでさえ危ないところに行かれるのに」
ガイがやたらと丁寧に受け答えをする。神父のような長いローブに身を包んでいるその初老の男は、顔に柔和な微笑みを浮かべていた。
「問題ありません。村の方々を救うためにやってきたんですからね。お子さんも同じです」
お怪我はありませんか? と初老の男がマリアに近づき手を差し伸べる。肩を抱くジンの手に微かに力が入ったのがわかった。
「そいつに構わなくて良いですよ、例のモンスター狂いです。村の汚点です」
「ああ、あなたが」
初老の男は、優しくマリアの手を取ると、甲をなでた。
「可哀想に。モンスターが優しい存在だと信じているんですね」
「私は……」
「そういう方々は一定数います。私たちの研究所にもね。我々はそういう方々の目を覚ますのも役目としているんですよ」
慈愛に満ちているはずの瞳の奥が笑っていない。
「研究所?」
「この人たちは、モンスター生態調査研究所の方々だ。凶暴化の兆候がないか、森を調査しにきてくれている」
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