2時間め:食育とは

「ところで、ショクイクって何ですか?」

 気を取り直したヨシュアに聞かれ、マリアはカゴに残っていた赤い実をつまみあげた。

「ヨシュアはこれがどこになっているかわかる?」

「さっき俺がモンスターに追っかけられていたところですよね?」

「そう。アンデスにね。この実は寒い時期にできる実で、栄養価がとても高いの。昔は風邪予防にこの実でジャムなんかを作っていたわ。こういう寒い頃にできる実で、比較的低いところに付いているものはとても栄養価が高いのが特徴なのよ」

「そうなんですか?」

 マリアが頷く。

「全部が全部ってわけじゃないけれど、そういう実が多いのは確かよ。そういう実を食べて、動物やモンスターたちは寒い冬を乗り越えるの。自然はうまくできてるのよね」

 はい、とマリアがヨシュアに実を渡す。

「食べたことある?」

「いえ、森のものを食べたことは……ないですね」

「騙されたと思って食べてみて」

 マリアがそのまま実をかじる。

 少し酸味のある爽やかな甘みが口に広がる。小さな実なのに、中身はなかなか果肉感があり、シャリっとした歯ごたえがある。

 マリアが美味しそうに口を動かすのを見て、ヨシュアも恐る恐るその実を口に入れる。

「――甘い! リンゴみたいですね」

「そうそう! リンゴの方が甘いけど、栄養価は断然こっち。それにこの実は低い木に成るから、小さくて木登りの不得意な動物やモンスターも食べられるのよ」

「さっきみたいに潰して食べるんですか?」

 ううん、とマリアが首を振る。

「ジュースみたいにするにはかなりの数が必要だから、ほとんどは生食か、あとはジャムにするかな。このドラゴンちゃんには飲んでもらう必要があったから特別かな。お酒に少し風味を足すのに入れたりはするみたいだけど」

「へえ。でも、こんなに美味しいなら、村で売っても良さそうですよね」

 村で売買される野菜や果物は全て中央街から仕入れてきたものだ。

 モンスターがいる森とは言えど、コントラクターなら収集も難しくはないだろう。こんなに近くに、美味しくて栄養のある実があるのをほおっておいては勿体無いのではないか。

 そのヨシュアの問いに、マリアは首を横に振った。

「それが、この実はもぎ取っちゃうと日持ちがしないのよね。摘み取ったその日に食べる必要があるから、売るのは少し難しいのよ。ジャムも時間が経つと酸っぱさの方が際立っちゃうし」

 収穫した分のみをその日に売る、というのは効率が悪い。次の日に持ち越せないのならばなおさらだ。

「で、ヨシュアはこの実、なんて言うか知ってる?」

「え?」

 まじまじと赤い実を手に取るヨシュアは、真面目な生徒のようだ。

「いやあ、そう言えば知りませんね」

「ガマグミって言うのよ」

「……なんと言うか、思ったよりも凛々しいですね」

「こんなにちっちゃくて可愛い実なのにね」

 この形状からどうしてそんな名前になったのか。

 その答えを探すかのように、くるくるとガマグミを回してみるヨシュアを見て、ふふふ、とマリアが笑う。

「これが食育よ」

「へ?」

「こうやって食べているもののことを知って、実際に育てたり食べたり、時には料理したりするの。そうやって、ただ目の前にあるものを食べるだけじゃなく、食べるものを考えて選択して大事にいただく、という考え方を育てましょうと言うのが食育なの」

「考えて選択して大事に、いただく……」

 ヨシュアがもう一度ガマグミを見る。

「食事について、そんなふうに考えたこと、なかったです」

 マリアも、そんなふうにもう一度考えられるようになったのは、最近だ。

「あのドラゴンにも……できるんですか?」

ヨシュアの伺うような目に力強く頷く。

「基本的には同じよ。ただ、一緒に暮らすモンスターや人間たちが食べ物ではないってことは教えないといけないわね。それ以外にも美味しいものはたくさんあるのよって」

 草食のモンスターしかいないこの森で、食べられる心配はない。だからか、この森のモンスターたちはおおらかで、戦闘能力に長けているとは言い難い。けれど、もし王者となる肉食モンスターが現れたのなら、ほかの草食モンスターたちはその最大の危機に全力で立ち向かうだろう。

「美味しいものたくさん食べましょうね」

 ドラゴンの頭を指で軽く撫でる。

 ベビードラゴンはくすぐったいのか身をよじるように頭を少し振った。

 その目がゆっくりと開かれる。

「リュ……イ?」

 首を重そうにゆっくりと上げ、あたりを見回す。

 マリアの指にそっとほおを当てて、鼻先を当てる。

「……リュ?」

 その指先をペロリとなめて、ゆっくりと指先から続くマリアを見上げる。

「――――!」

 音にならないほどの高音にマリアとヨシュアは思わず耳を塞ぐ。

 まだ動けないだろうに、バタバタと翼を藁に打ち付け、必死にはい出ようともがく。

「危ない!」

 ヨシュアの声とつかまれた腕に、ようやく体が動く。とっさに退くと、先ほどまでいた土の場所には、雷が落ちたような跡ができていた。

 洞窟の暗闇の中で時折光る細い筋は、コントロールが効かない馬のようにジグザグと道筋を変え、突拍子も無い場所へとぶつかっていた。その全てはベビードラゴンから放たれている。

 その様子を息を呑んで見守っていたマリアは、何かに気づいたように目を見開くと、まだ残っていた赤い実を掴み、ベビードラゴンへと投げる。

「な! マリアさん!」

 悲鳴のようなヨシュアの声を無視して、マリアはベビードラゴンの動きに注視する。

 ベビードラゴンは何かに当たったことには気づいたものの、それがどこに行ったのか、どこから投げられたのか全くわからないようだった。あたりを大きく見回して、諦めたかのようにふんと鼻を鳴らし、先ほどよりも大きな動きで藁の上をジタバタともがき始める。

「マリアさん! 余計ひどくなってますよ!」

「やっぱり」

「わかってたんならなんでやったんですか!」

「あの子、片目が見えていないわ」

「へ?」

 マリアは初級防御魔法と足元に消音の魔法をかけると、ドラゴンの左目側から右目の視界に入らないように、一歩ずつ近づいて行く。

 片手を伸ばせば届くところまで来ても、ベビードラゴンは藁の上でもがくばかりでマリアには気がつかない。気配に敏感なモンスターにはありえない話だ。

 マリアは今度はベビードラゴンから遠ざかると、右目側の方に手が届かないくらいの距離まで近づいていく。ドラゴンの顔が少し、マリアの方に傾いた。

「――!」

 牙をむき出して応戦してくる。が、目に迷いがある。やはり、先ほどはわけのわからない状況に混乱していたようだ。

「大丈夫。私はあなたに危害を加えない。約束するわ。なんだったら、まだ飲む?」

 もうすっかり乾いてしまった干草を腕を伸ばして届く範囲に置く。

 かろうじてベビードラゴンの近くに置かれたその匂いを嗅ぐと、ドラゴンはペロペロと干草をなめた。

「リュク」

 欲しい、とでも言うかのように声をあげる。

 マリアは数少ない赤い実を丁寧に漉して、干草に染み込ませるとドラゴンの目の前に置く。干草でさえ飲み込みそうなほどの勢いで吸い付いている。

「ゆっくりね。干草は消化に悪いから飲んじゃダメよ」

 マリアの言葉がわかっているのか、時折小刻みに首を縦に動かしながら、黙々と干草を吸う。残りの実全ての汁を吸いきると、まだ物足りなさげなベビードラゴンにマリアはゆっくりと言い聞かせた。

「一度にたくさん飲むとお腹を壊すかもしれないから、今日はおしまいね。気に入ったのなら、また明日あげに来るわ」

「リュク!」

 ベビードラゴンは味方とみなすことにしたのか、マリアに向かって元気に返事をする。

「ありがとうね」

 マリアが熱のある子どもをあやすように、そっとベビードラゴンの頭をなでる。

 気持ち良さそうなその姿に、ヨシュアは何か突拍子もない魔法を見せられているようだった。

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