魔法使いは 空飛ぶ虎を 捕獲できます⁉


 なぎさの目の前に割り箸の束が差し出されたのは、出勤時のタイムカードを押すとほぼ同時だった。

「課長、なんですか? これ」

「くじだよ。ほらほら早く」

 状況が飲み込めないまま急かされて、恐る恐るつまんだ一本をエイッと引き抜く。先端は赤い。

「大当たり~! というわけで榊班、出動な」

「えっと、どこですか?」

 室内にいた社員の視線が、壁際のテレビに向く。どうやら、バッドでマッドな生物学者が生み出した改造生物が逃げ出したらしい。画面では、翼をバサバサと振るう巨大な虎が、カメラに向かって咆哮するところだった。

「むりむりむりむりっ! 無理です! 無理‼」

「労災おります?」

 涙目で絶叫するなぎさとは対照的に、先輩の榊は抑揚のない声で上司に問う。

 なぎさの勤め先は、魔法使いを様々な現場に派遣し、要望をかなえたり、トラブルを解決したりする会社なのだが、なんというか、制服のローブとは別な意味でもブラックなわけで……。課長は無言でにっこり笑い、ドアを指し示した。あ、自己責任でいってこいってことですね、ハイ。

 抵抗もむなしく、なぎさは榊に襟首をつかまれ、ずるずると引きずられていった。



「あ、なぎさお姉ちゃん! 久しぶり。お仕事中?」

 虎を探す途中に、なぎさの実家の近所に住む女子高生が声をかけてきた。親戚のお兄さんと二人暮らしの彼女のことを、なぎさの母がよく気にかけていたのだ。つられて手を振り返そうとしたところで、今の状況を思い出した。

「今はダメだよ、出歩くのっ。すっごい危険だよ」

 テレビを見ていなかったらしい少女は、改造生物のことなど何も知らずに買い物に出てきたらしい。こちらの焦りが伝わったのか、すぐ帰れという榊に渋ることなく頷いた。

「家の人に迎えに来てもらうね。呼んだらすぐ来るから」

 しばらく待っていれば、若い男が少女を迎えに現れた。

「すみません。家の者がお手数をおかけしまして」

 二人を見送り、一息ついた直後だった。日光を何かがさえぎった。バサリと羽搏く音とともに、強い風が吹く。牙を剥く改造虎が、空中からこちらに狙いを定めていた。

 とっさに睡眠魔法を放つ。しかし虎の動きは止まらない。

「当たったのになんでっ」

「落ち着け! 効くのに時間がかかる。もう一回だ」

 そう言っている間に虎は進路を変えた。飛び去ったのは、先程別れた二人が向かったほうだ。慌てて後を追い、ビルの角を曲がる。そのとき、どさりと重い音が響いた。

「眠っちゃったみたい」

 道の真ん中で横たわる改造虎を、女子高生がつついている。



 少女と青年は並んで、魔法使いと吊るされた虎が上空に消えていくのを見送る。二人の姿が米粒ほどの点になり、夕焼け空に飲まれた頃、青年が首を回しながら言った。

「やれやれ。今回は久々に疲れました」

「あんな大きいの投げ飛ばすからでしょ」

 格の差を理解してくれる相手なら楽だったのだが、野性の鈍った獣は畏れも抱かず飛びかかってきた。最優先は少女の保護であるため、必要な範囲の護身だ。あの獣がどうなろうとしったことではない。

「契約外労働はごめんですから。限られた力でやろうとするには大仕事だったということです。もっとも……貴女が心の底から願うなら、あの下等な獣を黒焦げにしてやっても良かったんですがね」

 青年のジョークに笑い声の一つも上げず、少女は聞かなかったふりで夕焼け空を眺めている。返事によっては、冗談で済まないことを感じ取ったのだろう。聡い娘だ。

「冷える前に帰りましょう。今晩、何か食べたいものは?」

 歩き出した青年の隣に、少女の軽やかな足音が並ぶ。

「わたし、オムライスがいいと思うな」

 普段ならとっくに終わらせているはずの仕込みは全くできていない。今日の夕飯は遅い時間になりそうだ。

「手伝ってくださいよ、花織さん」

「うん」

 少女の影が嬉しそうに頷いた。

  

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魔法使いは今日も現場に派遣されます。 土佐岡マキ @t_osa_oca

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