第4話 十月十五日
昨日は、その他友人とも連絡がついた。
湘南に暮らす友人は、台風にあおられて舞い上がった潮が自動車や庭につき、それを落とす作業に半日を費やしたそうだ。
確かにこの作業をやらずにすると大変なことになる。昨年の台風は、雨ではなく風が強い台風で、海水を巻き上げるのだが、そのあとに雨がその潮水を洗い流すことがなく、架線がショートして電車などに影響が出た。
我が家のクロスバイクもフロントディレーラーやチェーンなどがさび付いてしまい、全面的に部品交換をした。
そんななか、政府の中央防災会議の有識者会議で、「自分の身は自分で守るべきだ」という意見が出たそうだ。まとめた報告書は「平成三〇年七月豪雨を踏まえた水害・土砂災害からの避難のあり方について」の「III. 今後の水害・土砂災害からの避難対策への提言(p.13)」に書かれていると思われる。
日経新聞の記者久保田啓介氏の記事は少しニュアンスがずれる。要はこれからの防災のあり方が、政府主導のトップダウン型の防災から、住民主体で政府も協力するというきめ細やかな防災のあり方に変わるということが、報告書では書かれている。記事では、政府が防災を手放したというニュアンスで書かれている。通り一辺倒の「自己責任論」になってしまったのは残念だ。
これを理解するには、「共生社会」というキーワードを理解する必要があるが、久保田氏はあまり理解していないのだろう。プロフィールを見ると、三〇年以上記者をされてきた方らしいから、さもありなんと感じる。
ちなみに、現在の安倍政権はこの「共生社会」をもっとも体感的に理解し行動しているのではないか、と思っているがその話は別の機会にでも。
「共生社会」はトップダウンとか、ボトムアップとか縦型の社会ではなく、社会のなかで住民も政府も同じ立場の要素として向き合っていると考えるとわかりやすい。
当然、住民は己の命を守るために避難をする。その一人ひとりに「あっちにいけ」、「こっちは危ない」と指示を出すわけにはいかず、その情報の共有は、住民同士が行う必要がある。去年の西日本の豪雨では、事前に危険だと言われた場所で事故が起きているらしい。ならば、事前に住民が知っておくことは有効だ、というのは冷静な議論だろう。
今回の台風に話を戻すと、ここかしこに「東日本大震災のトラウマ」が浮き彫りになっていた気がする。電車の計画運休も、メディアのもうW杯の中継なんじゃないかというくらいのトランス状態の煽りも、住民の避難への意識も、土曜日の朝から早々に閉店したスーパーも、東日本の教訓というよりはトラウマに影響されている部分があると思われる。
今回の提言もそうだ。特に最近の災害では、被害が広域になることが多い。東日本大震災でもそうだが、北は岩手から、南は東京まで、軽重を問わねば影響があった。このときに一人ひとりに対処するのは不可能だ、という冷静な判断は「政府は頼れない」という話にはつながらない。
加えて、これは久保田氏の意見だが「安易な公共事業の積み増しはやめよ」とある。久保田氏のように読んでしまえば、政府の存在意義は消失する。それに「少子化でコストパフォーマンスに疑問がある」とも書かれている。しかし、防災はどうやっても割には合わない。政府がやっていることは大抵そうで、だから国民から強制的に税金を集めて、肩代わりをしているのである。
社会保障だって、教育だって、福祉の分野だって、割にはあわない。それでもうけようとすれば、悲惨なことになる。マイケル・ムーアの「シッコ」の世界だ。あの映画では、保険料も払っている普通の人々がなぜか医療を受けられないという話であった。
ホームレスの人々が避難しようと思ったら、施設から締め出しを食ったらしい。要するに、ホームレスの人々が災害時に逃げ込むことを想定していなかったということだ。ではホームレスの人々はどうするのだと思っていたのか、担当者に聞いてみたい。上野公園を歩けば、どうやったって、そういう人々が目に入る。彼ら用の施設を作っておけば良かったではないか、と思うのだが。
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