第3話 十月十四日、台風通過後

翌日、前回の記事を朝書いて、テレビをつけて仰天する。

千曲川を始め、多くの河川が氾濫していた。


前々回に書いたが、長野に住む友人とLINEで、

「二度目はやばい。なんかあったら、長野でお世話になります」

というような文章を書いて、気安く「おう任せとけ」なんて会話をしていた。

それが全くの逆転現象になった。

友人は新人時代に長野に配属になった。

独身時代と新婚時代は賃貸に住んでいて、今は家を構えている。

家になってから、なかなか行けなくなったのだが、毎年年賀状はやりとりしているので、住所は当然知っている。

ネットで氾濫地域を検索した。

友人の自宅は、そのエリアからは離れていた。

胸をなで下ろす。

停電をチェックしても、大丈夫そうだった。停電は戸隠など、山間部で起こっていた。

LINEで状況を確認したいが、相手が避難していたり、もう浸水していて、屋根の上で救助を待っているような状況で、「大丈夫かー」なんてLINEはムカつくに決まっている。

だが、最悪の状態ではなさそうだったので、返事が来ないのを覚悟してLINEを出した。


数時間後に戻ってきた。

やはり氾濫にも停電にも巻き込まれていなかったみたいだが、仕事の方で忙殺させられているようだった。

「くれぐれも身体を大切に」という月並みなメッセージをやりとりして終えた。


千曲川は過去氾濫を繰り返していたようだ。

江戸時代はもちろん、明治、大正、昭和、平成と洪水をおこしている。

有名なのは、「戌の満水」と呼ばれる、寛保二年(一七四二年)の洪水らしい。山崩れなども引き起こした大洪水だった。

二千八百人が死亡、冠水の水位は十メートル超に及んだ。

今回の水位は、国土地理院が推定するに四メートルだそうだ。

もちろん、だから大したことはないと言いたいのではない。

治水・利水が発達した現代においてはこれでも大損害だろう。


昔、経済学部にいたころにアメリカで主流になりつつあった、公共事業のやり方というのを学んだ。それでは川の治水は、自然を利用するというものだった。つまり、堤防などを作らずに氾濫に対しては氾濫させることで治水するという、今書いている自分ですら、妙だと思うやり方であった。

その当時は「そんなものか」と感心していた。結局自然にはあらがえないのだから、というのが理由だったと思う。


ただ、東日本大震災の津波や、今回の大規模洪水を見ていると、やはり対策は打たねばならない、という気になる。日本は西欧諸国に比べ、災害が多い地域だ。そして、大災害が起きたときの被害は尋常ではない。それが頻発するのは、やっぱり防ぎたい。


同時に、これからもいくら堤防を高くしても、それを超える水害は発生するのかもしれない、という矛盾した感情を抱いてしまうのである。

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