おりないお爺さん

夏休みに入った。入ってしまった。



降車ボタンを押すタイミングも車内の座席も変えてきた。



しかしどんなやり方でやっても絶対にお爺さんが先にボタンを押すことは無かった。








夏が始まり、テストの点が悪かった僕は補講へと向かった。





「喋ってる奴は出ろ! 迷惑だ。」




顔を赤くして怒鳴る数学教師が教壇に立っている。



太陽が照りつけるこんな暑い夏休みにわざわざ呼び出しておいて、教室から出ろだなんて勝手だなと一瞬思ったりもしたが、むしろ勝手なのは補講中に大声で喋ってる隣の加藤と安田の方なのではとすぐに考えを改めた。










ん?


あ、そうか。僕がバスにいなければいいのか。




すぐに怒鳴る数学教師と、補講すら聞かない加藤と安田のおかげでまた一つ考えが思いついた。










補講が終わりいつもより2本早いバスで旭ヶ丘三丁目に着いた。





僕は待機する。いつも僕が乗っている、僕が乗っていないバスを。




1本目のバスが来た。 平日昼過ぎのバスは軽快に旭ヶ丘三丁目のバス停を通過していった。



サラリーマンが乗降する朝と夜以外は本当に全く使われないバス停なのだと改めて実感した。






問題は2本目だ。



今までは僕がボタンを押していた。僕だけが押していた。


次のバスにはその僕がいない。お爺さんは降りるのだろうか。




アスファルトから放射される熱に耐えながらじっと向かいのバス停を見つめている。


バス停横の公園では小学生くらいの子供たちが遊んでいるが、それを見つめている訳ではないという事を僕は証明できない。





早く2本目も来てくれ。熱中症で倒れて119番か、不審者と疑われて110番かのどちらかに通報されてしまう。




僕が背負っている太陽による放射熱と、社会によるレッテルは、実際に重力加速度が掛かっている補講教材よりも重いということは言うまでも無かった。








2本目が来た。いつものバスだ。





今度は旭ヶ丘三丁目に停車した。



バスが陰で見えない。お爺さんは下車しているのか?




この時ばかりはバスの停車時間が異様に長いように感じた。







バスは動き出す。視界の右側に消えていく。



お爺さんは… 降りたのか?




バス停を見る。






お爺さんは……。








お爺さんは一人でゆっくりとバスが向かっていった方向へ歩いている。



一人で…。






おかしい。




いつも絶対に降車ボタンを押さないお爺さんがどうして一人で下車する事が可能なのだろうか。



僕は暑さにやられて頭が回転しなくなり、その日は帰宅後に課題をやって、風呂と食事をさっさと済ませ就寝した。











起きた。雨だ。



暑い日の補講も嫌いだが、雨の日の補講も同じくらい嫌いだ。






加藤と安田は来なかった。彼らの住む山側地域のバスが雨で運休したらしい。




教室は静かだ。授業では二次方程式の判別式についておさらいしている。



「D<0の時は交わらないからな」




へぇそうなのか。交わらない事もあるのか。

この部分に関しては授業で全く聞いていなかったからとても新鮮な気分であった。





帰りのバスはとても静かだ。雨の日の平日の午後にわざわざ出かける人は少ないのだろう。




今日は本当に静かだ。



雨は嫌いだが、傘を刺せば濡れることはない。


僕は昨日と同じ位置でお爺さんを乗せたバスを待った。




今日は傘も教材もあるのに、何故だかとても背中が軽い気がした。









2本目のバスがやって来る。



どんなに雨が降っていても、どんなに静かな日でもお爺さんが必ず降りて来ることは僕だけは知っている。







バスはいつものバス停に近づく。静かに近づく。





暑かった昨日とは違い体調も万全な僕はしっかりとバス停を見据えていた。






バスはポストの横を通る。






いつも自分が乗っているバスを外から眺めるのは不思議な気分だなと思いながらじっと見つめる。








それにしても今日は本当に静かだな。











いつものバスは旭ヶ丘三丁目のバス停を通過していった。


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