おれないお爺さん

ダメだ。


ピンポーン♪



旭ヶ丘三丁目のポストに睨みを効かせるのもこれでもう10日目だ。


お爺さんは絶対にボタンを押さない。押すのはいつも僕だ。


放送が鳴る。ポストが近付く。僕がボタンを押す。僕が立ち上がる。お爺さんも立ち上がる。僕が降りる。お爺さんも降りる。

この順番だけは絶対に崩れなかった。






そんな中、ある日の化学教師の言葉をふと思い出した。



「実験で異なる結果が出た時の原因を探る場合は、ある条件ひとつだけを変えて他は全て揃えた状態で比較しなさい」




今回のボタンを押さないお爺さんに関してはその逆ではないか?


つまり変える条件が多ければお爺さんの行動パターンが変わる可能性は高くなる。


ボタンを押すかもしれない。




次の日以降、僕はポストが見やすい最前列の座席から、車内全体が見える最後部の座席に座る場所を変えた。


これでお爺さんは僕がボタンを押すかどうかを確認できない。



高校と旭ヶ丘三丁目の間から乗ってくるそのお爺さんに気付かれないよう僕は前方座席の客の陰に隠れた。



お爺さんは僕が乗っている事に気付かない。





「まもなく旭ヶ丘三丁目、旭ヶ丘三丁目です。お降りのお客様は降車ボタンでお知らせ下さい」



放送が鳴り止む。残り百数十メートルだ。





バスは進む。




聞こえる音は数人の乗客の話し声とバスのモーター音だけだ。





残り100mを切る。あの赤く四角い箱が少しずつ見えてくる。





お爺さんはボタンを押さない。誰も押さない。




スローモーションのように動く車窓はバス車内を僕とお爺さんだけの世界にしていた。





バスは進む。まるでこのバス停では誰も降りないかの様に、毅然とした態度で進み続ける。











ピンポーン♪





僕は降車ボタンを押し、いつも通りお爺さんと共にバスを降りた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る