第13話 取引
「な……んで……?」
鏡には見覚えのある邪悪な3つの赤い光——悪魔の目が映っていた。
『ヒヒヒヒッ。逃がさねーぞ』
悪魔の目が光った。
その直後、ケリーの体は動かなくなる。
——助けて……!
『待ちわびたぜ。ようやく話ができてるようになったな。口だけは動かせるようにしてやる』
「どうして……?」
ケリーの目には涙が溜まっていた。
『お前の魂がその体に定着する時を待ってたんだよ。ずっとその体を拒んでたせーで、かなり待たされたぜ』
「この女の体以外なら——」
『——悪魔と取引したお前が悪いんだろ?』
ケリーは言葉を詰まらせる。
『まあ、いい。俺様は元の世界へ帰るために、その女の体をお前にあげたってわけだ。魂は違っても召喚した体さえ残ってれいば、俺様を帰す権利は持ってるからな。お前はその女のおかげで転生できたんだぜ。ありがたく思えよ。ヒヒヒヒッ』
「召喚……?」
『ああ、お前は何も知らねーんだったな。俺様はその体の女に召喚されたまま、この世界に放置されたんだ』
「え? リリスにそんな能力はないはず……」
『魔力さえ高ければ召喚する方法はあるからな』
「でも、どこで召喚方法を……?」
『そんなことより、帰還させろよ』
悪魔のペースにのらない方がいい、と思ったケリーは黙り込む。
「事情を聞かせていただけないでしょうか?」
『ッチ、面倒くせーなー。まあ、いいか。その体の女は俺様を召喚した後、俺様に向かって呪いの言葉を口走ってよ。バカだぜ、ヒヒヒヒッ。悪魔に呪いなんて効かねーのによ。その呪いが跳ね返って勝手に死んじまった。そのせいで俺はこの世界に放置されたんだよ。まったく、とばっちりだぜ……。お前はそのおこぼれをもらったんだよ』
——どうして、私が選ばれたんだろう……?
『なんの対価も代償もなしに転生できるわけねーだろ。悪魔に何かを願うなら対価は絶対だ。そして、悪魔召喚には何らかの代償が伴う』
ケリーはその話を聞いて、ある結論に達した。
「……誰かが、私の転生を望んだのですか?」
『ヒヒヒヒヒッ。正解だ。そいつは自分の命のほどんどを対価にくれたな。まあ、それ以上は教えねー。悪魔にも守秘義務があるのさ』
——もう少し情報がほしいけど、今までの話を整理すればいいか……。まず明らかなのは、リリスが私の転生を望むはずはない。そうだ……そうだよ、私の転生を願い、かつ、召喚魔法が使える高位の魔法使いは『あの人』だけなんじゃ……? この状況なら、交渉の余地があるかもしれない!
恐怖に耐えながら、ケリーは強気の視線を悪魔に向けた。
「——私に頼みがあるということは、この取引には対価が必要ですよね? それに、たとえ呪いとはいえ、リリスから奪った命が対価として余っているはずです」
ケリーは自分の推測をあたかも真実のように言い、悪魔から情報を引き出すつもりでいた。
『……その通りだ』
「では、使われなかったリリスの命を対価にして、私の転生を願った人へリリスの命を渡して欲しいです。そして、私があなたを帰す対価として……アダムの失ったエバの記憶を戻して欲しいです」
『頭のいいやつは嫌いじゃねー。だが、等価交換とまではいかないな……』
悪魔はしばらくの間、無言になった。
ケリーは自分の出した条件が不利になるのではないか、と焦りを募らせる。
『——その女の生命力は異常に高かったからな。余った対価として、これをやるよ——』
鏡から何かが出てきた。
「——これは……。私の指輪!」
『お前の腹の中にいた子どもの魂がその石の中にいる。生き返りはしねーがな。それで等価交換だ』
目の前で浮いている指輪の石は、緑色の光を保っていた。
——アダムの温かい瞳の色と同じ……。
ケリーは動くようになった手でそれを掴み、両手で優しく包み込んだ。
ケリーは誰にも言っていなかったが、アダムの子どもを身ごもっていた。
——私のせいで死なせてしまってごめんね……。これからは、ママとずっと一緒だよ。
『さあ、これで俺様はお前に対価を渡した。お前の番だ』
「はい」
ケリーは悪魔に言われた通り、傷をつけた指で血の魔法陣を鏡に描いた。
それに魔力を注ぎ込むと……魔法陣から黒い稲妻が湧き出るように光り始める。
『——やっとだぜ。まあ、せいぜい足掻くんだな。ヒヒヒ……』
笑い声を残して、ようやく悪魔は元の世界へ帰還した。
ケリーは膝から崩れ落ちる。
「はぁ、はぁ…………」
恐怖で息が上がっていた。
——悪魔と駆け引きするなんて……もう、こりごりだよ。でも……、結果的にはよかったのかもしれない。
「——ケリー兄様!? 大丈夫ですか!?」
アリスは大きな物音を聞いて、バスルームへ走って飛び込んできた。
その顔は真っ青だ。
「体が冷たいです。早く温めないと——わっ!?」
アリスの顔を見てホッとしたケリーは、裸のままアリスに抱きついた。
「もう大丈夫。アリスありがとう。大好き……」
「兄様、このままでは風邪をひいてしまいます。離していただかないと……」
恐怖でまだ震えていたケリーは、1人になりたくなくてアリスから離れようとしない。
「だーめ。もう少しこのまま」
アリスはため息をつき、壁にかけられていたバスタオルを魔法で移動させる。
それをケリーの頭から包み込み、温風を中に注ぎ込んだ。
「温かい……。アリスの魔法は本当に優しいね……」
「兄様? 本当に、どうされたのですか……? 兄様!?」
悪魔との交渉で心身疲れきったケリーは、そのまま意識を失った。
*
翌日の早朝。
ケリーはベッドの上で目を覚ました。
——いつの間にここへ……。昨日はお風呂で……悪魔……。そうだ! あの指輪はどこ!?
ケリーは部屋中を見回し、ベッドサイドの棚に視線を止めた。
——よかった……夢じゃない。
ケリーはそれを手に取り、左手の薬指にはめた。
石の中で揺らめく緑色の光を見ながら、ケリーは昨晩のことを考え始める。
——私を転生させた人物はアダムに違いない。パパの可能性もあったけど、魔法が使えないから論外。私の知っている人でアダム以外に可能性があるのは……アーロン教授だけど、そんな禁術を使って自分の立場を危うくさせるわけがない。
魔法学院図書館の禁書庫あたりアダムは私を生き返らす方法を調べてくれたんだ。アダムは賞を何度もとっているから、禁書庫の入室を許可されている立場にあったに違いない。そして、悪魔召喚の代償として私——エバの記憶を失ってしまったんだ。対価に命を差し出すなんて……そんなことしなくても……。
ケリーは目からこぼれ落ちた涙を拭き、左手を右手で包み込んだ。
アダムは私のために命をかけたんだ。
だから、今度は私が!
***
ケリーが目を覚ました同じ頃——。
魔法学院薬学部、第1薬学研究室。
サラ・ハーネットは、まだ誰も出勤していない早朝の研究室にいた。
分析装置のモニターに表示された数字を見ながら、手元のパネルを忙しく操作している。
「——おはよう、サラくん。今日も早いね」
声をかけたのは、この研究室の責任者ジーン・ジョセフ教授だ。
珍しく早い時間に出勤していた。
「ジョセフ教授、おはようございます」
「昨日はすまないね。1人で共同研究者の顔合わせに出てもらって」
「構いませんわ、教授。急な出張が入ったのですから」
「それで? 彼はどうだった?」
サラは真紅の唇を緩ませる。
「とても魅力的な方でしたわ。私以上に優秀な頭脳をお持ちですから、共同研究は確実に成功すると確信しましたわ」
「へぇ〜。一度話をしただけでそこまでわかるなんて……すごい人材なんだな。やっぱりアーロン教授に渡すべきじゃなかったかなー」
「教授は欲張りですわね。あの方は、アーロン教授の研究室が最も適していると思いますわ」
「まあ、ここには薬学部エースのサラくんがいるから欲張ってはいけないな。あとは、共同研究責任者の君に任せるから」
「はい、お任せください」
「じゃ、僕は急ぎの仕事があるから」
教授は手を振りながら自分の部屋へ行ってしまった。
サラは教授が出て行ったことを確認した後、白衣のポケットから小さなボトルを取り出した。
その中には真っ赤な液体が入っており、サラは赤い瞳でそれを愛おしそうに見つめる。
「まさか、あの方が……ふふふっ。楽しみですわ……」
そう呟いた後、赤い液体を美味しそうに飲み干した。
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