第9話 計画1
ジョーゼルカ家食事会の翌日。
「——リリス、具合はどうですか?」
リリスの母親はエバの部屋を訪れていた。
『精神的に参っているため、面会は母親だけにしてほしい』とアリスが事前に伝えてくれたおかげで、父親は来なかった。
「その名前で呼ばないでください」
エバは布団をかぶって背中を向けたまま冷たく答えた。
「リリス……」
母親は涙ぐむ。
「その名前は聞きたくありません!」
「なぜ、そのようなことを言うのです?」
母親は困惑していた。
エバはゆっくりと起き上がり、虚ろな表情を浮かべながら口を開く。
「名前だけでなく、顔も髪も……リリスという存在を消してしまいたいのです。どうか、その費用を工面して頂けないでしょうか?」
「リリス! 突然、なんてことを!」
母親は口に両手を当て、悲しみの表情を浮かべていた。
昨日、アダムの冷たい言葉で一睡もできなかったエバだったが、そのおかげである考えにたどり着いていた。
『リリスの存在をこの世から消してしまおう』
そのためには、リリスの両親の許可がどうしても必要だった。
エバは母親に目を合わせず話を続ける。
「母上、私は外に出ることが怖くなってしまったのです……。どうか、私の願いを叶えて……」
母親はそんなエバを不憫に思い、抱きしめた。
エバは激しい嫌悪感を抑えきれずに震える。
「……私には女性として、母親として、あなたの気持ちがよくわかります。お父様には私から説得してあげるわ」
「ありがとうございます。私の名前は襲った野盗にも知られております。ですから——」
その後、今後の計画のために必要なことを母親に願い出た。
「——わかりました……。すべて受け入れましょう。私もずっとそのことに関しては不安を感じていました。いい考えかもしれません。今日から、あなたは全く新しい人生を歩みなさい。もう過去のことは忘れましょう」
母親は涙を流しながらエバを抱きしめた。
「はい。母上、わがままを聞いてくれてありがとう」
エバはそんな母親を抱き返すことはせず、感謝の言葉を淡々と伝えた。
「娘が元気になってくれさえすれば、私はそれで嬉しいのですから……。なんでも言ってちょうだい」
その日の晩、父親の了承が得られた、とアリスから報告があった。
*
数日後、エバの『人生やり直し計画』は開始した。
計画1 『リリスの容体が急変し、集中治療のために屋敷を出る』
エバの体調はもちろん問題なかった。
内密に人里離れた山へアリスと移動し、無事にジョーゼルカの屋敷から脱出。
その山に建てられた家はアリスが秘密裏に手配して購入したもので、リリスの両親、アリス、専属医師以外は知らない。
計画実行には最適の場所だ。
そして、移動したその日のうちに計画2が実行された。
「——お嬢様、無事に手術が終わりました」
ベッドの上で仰向けになっているエバへ、専属医師が鏡を手渡した。
鏡を見たエバは、転生して初めてじっくり自分の顔を見つめる。
手術前は金髪ロングヘアー、つり目のきつい顔立ちだった。
今のエバは、暗め茶髪でショートカット、少し垂れた目の中性的な顔——アダムとエバの顔を参考にして作られたやさしい顔に変わっていた。
鏡を見ていたエバは、アダムと自分から生まれる子どもはこんな顔になるのだろうか、と思い、自然と笑みをこぼす。
「お嬢様、この痛み止めを……」
医師からエバへ粉薬が手渡された。
これから約3ヶ月間、エバは術後の痛みに耐えなければならない。
無理やり骨を削ったり、変形させたりしているので当然の代償だ。
まだ完全に形が定着していないため、常駐する医師に毎日調節してもらうことになっている。
リリスでいることの方が苦痛なため、エバにとって大したことではなかった。
「——お嬢様、お水です」
「ありがとう。アリス、発表は?」
少年風の声に変わったエバは、アリスだけに聞こえるように小声で質問した。
「はい、先ほど……。お屋敷は混乱しているようです」
整形手術が終わる頃、リリスの死が発表された。
それが計画の3つ目だった。
「そう……」
*
翌日。
計画4 『アダムをジョーゼルカ家から除籍』
リリスの死を発表した後、ジョーゼルカ家執事から魔法学院にいるアダムへ伝えられた。
アダムとの接点は無くなってしまうが、アダムをジョーゼルカ家から解放することが第一の目的なので問題はない。
計画5 『名前と性別の変更』
エバは男性のケリー・アボットとして人生をやり直すことになった。
体は女性のままで。
苦肉の策だが、女性を避けているアダムと接触するためにはこうするしかないとエバは判断した。
これでようやく、エバは大嫌いなジョーゼルカ家からの脱出に成功したが……後見人はしばらくの間、ジョーゼルカ家になっている。
全ての計画が完了するまではジョーゼルカ家の援助金が必要なため、エバは我慢するしかなかった。
*
数日後。
計画が5つまで完了してようやく落ち着いたケリーは、ダイニングルームで本を読んでいた。
「ケリーさ……ん、紅茶はいかがですか?」
ポットを持ったアリスが横から声をかけてきた。
ケリーには『様』をつけないように言われているが、まだ馴れていない。
「ありがとう。その呼び方、なかなか直らないよね〜」
ケリーは苦笑いしながら答えた。
アリスは「様をつけるのは癖ですから……」と言いながら、テーブルに置かれたカップへ紅茶を注ぐ。
「ケリーさんは、何か勉強を始めるのですか?」
アリスはケリーの読んでいる分厚い魔法書が気になっていた。
リリスが勉強も魔法も苦手だったことは有名だったので、不思議で仕方ないようだ。
「そうだよ。ボクは魔法学院の研究員を目指すからね」
「え!?」
アリスは目を丸くしていた。
「その反応は悔しいなー。なら、可能性があることを証明してあげるよ……」
ケリーはそう言うと、食器棚に視線をとめた。
「え!?」
アリスは驚きの声を上げた。
なぜなら、誰も側にいない食器棚の扉が勝手に開いたからだ。
1番上に置かれていたティーカップが浮き上がり、テーブルの上に静置した。
「うわっ」
さらに、アリスの手にあったティーポットが勝手に動き出し、移動したばかりのティーカップに紅茶が注がれた。
アリスは一連の現象に唖然とする。
「ケリー様!?」
「——『さん』ね」
「は、はい……。いえ、それはどうでもいいのです! 今のは魔法ですか!?」
「そうだよ」
ケリーは得意げな表情を浮かべていた。
「ですが……」
アリスはいまだに困惑していた。
「記憶を失った反動なのか、魔力制御が上手くなったの。驚いたでしょ?」
「はい! とても繊細な魔法でした。私には真似できません!」
「そんなことないよ。アリスは練習すればすぐにできるようになるよ。才能があるから」
前世のエバが有していた優秀な頭脳や魔法技能は、運良くリリスに受け継がれていた。
そのため、ケリーはアダムと再び恋人になるだけでなく、志半ばで潰えた魔植物研究者の道を再び目指そうと考えていた。
魔法学院に入ればアダムと接点を作れる可能性が高いので、逃す手はない。
「素敵な夢ですね。では、これから魔法学院入学試験のお勉強で忙しくなるのでしょうか?」
「いや、違うよ。時間が勿体ない」
「え?」
「研究員になるには、別ルートがあるんだよ。明日からその準備があるから、手伝いよろしくね」
「どのような準備を?」
「計画書をアリスの端末に送信しておいたから、目を通しておいて」
「まだわかりませんが、ケリー様を全力でサポートいたします! あっ!」
アリスは『様』をつけたことに気づき、口を抑えた。
「まあ、呼び方は早めに慣れてね。この計画が実現すれば、アリスも自由になれるから期待しててね」
「え? どういうことでしょうか?」
「まだ内緒!」
ケリーは悪戯な笑みをアリスに向けた。
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