第4話 現実拒否
エバが転生して数時間後。
ベッドの上でエバ——体はリリス——は目を覚ました。
エバは転生直後に自分自身を傷つけて暴れてしまったため、侍女が睡眠魔法をかけて眠らせていた。
——体が痛い……。そっか……。
リリスの体に転生したことは現実だ、とエバは再認識し、悔し涙を流す。
——これを……受け入れられるわけがない。
エバは涙を流しながら、横になって体を丸める。
——気持ち悪い! やだっ!
自分の魂がじわじわと、リリスに汚染されていくような感覚に陥った。
それがあまりにも不快で耐えられず、エバは身体中をかきむしる。
「リリス様!?」
横で控えていた侍女は、慌てて睡眠魔法をかけた。
すぐにエバは動きを止め、眠りに落ちる。
侍女はホッとため息をついた。
「リリス様……」
侍女は悲しげな表情を浮かべ、エバの傷の手当てを始めた。
***
エバがようやく現実を受け止め、自傷行為を抑えるようになってから1週間が経った。
「お嬢様、おはようございます。朝食はいかがですか?」
「その名前で呼ばないで」と目を覚ますたびに叫んで暴れるエバを気遣い、侍女は『リリス』という名前を出さないようにしていた。
「いらない……」
エバはずっと食事を拒み続けていた。
侍女は肩を落とし、近くのテーブルに朝食がのったトレーを置く。
その横に並べられた『経口栄養剤』が入った瓶を手に取る。
「お口をお開けください」
エバは横に寝転がったまま、素直に口を少し開いた。
拒んでも無理やり魔法で口を開けられることはわかっていたので、抵抗はすでに諦めている。
「失礼いたします」
侍女はエバの枕元で前かがみになり、魔法で瓶の中の液体をエバの口の中へ流し込んだ。
「口を閉じていただいて構いません」
侍女はエバににこりと笑いかけた。
エバはそんな侍女を虚ろな視界に入れる。
——随分幼い子ね。10代前半くらいかな。
「ありがとう。あなた……名前は?」
エバは初めて侍女に関心を示し、話しかけた。
迷惑しかかけていないことは自覚していたので、せめて礼は告げておこう、という気になっていた。
侍女は両手で口を押さえ、涙を目に浮かべた。
エバはその反応に戸惑う。
「私は、お嬢様専属の侍女アリスと申します。お優しい言葉を頂き、感激しております!」
初めて礼を言われたことや、エバがようやく自分から声を出すようになったことにアリスは感激していた。
アリスはリリスに仕えて2週間しか経っていなかったが、気が短いリリスからは叱責されてばかりだったので、なおさらだ。
あまりにも嬉しそうにするアリスの様子に、エバは目を細める。
「アリスは何歳なの?」
「13歳です」
「仕事はここが初めて?」
「そうでございます。魔法が使えたおかげで、運良くジョーゼルカ家に従事させてもらうことになりました」
目をキラキラさせて答えるアリスを見て、純粋で可愛い子だな、とエバは思った。
「そう……魔法が使えるの。……こんな私に従事させて悪いわね」
この世界で魔法が使える者は少ないため、侍女として働かせるのは惜しい、とエバは思っていた。
「そんな……お気になさらないでください! あの後では……私ができることはこれくらいですから……」
エバは会話をしていくうちにようやく頭が回るようになり、聞いておかなければならないことを思い出した。
「今は、いつなの?」
「お昼の12時くらいでございます」
「何年、何月、何日?」
エバは弱々しい声で質問を続ける。
「歴3025年6月12日でございます」
それを聞いたエバは、ゆっくり目を瞑る。
今日はエバが死んでからちょうど5年だった。
そして、アダムがリリスと結婚した日であり、エバの誕生日でもあった。
辛い過去の記憶が頭の中を駆け巡り、エバの目から涙がこぼれ落ちる。
エバの異変に気付いたアリスは、さっとサイドテーブルに手を伸ばし、精神安定のお香を焚き始めた。
「温かいハーブティーはいかがですか?」
「……お願い」
エバは涙を拭きながらそう言った。
アリスの優しく柔らかい雰囲気とさりげない気遣いのおかげで、エバの冷え切った心は少しだけ温まる。
「今日はとてもいい天気ですよ。テラスでご昼食はいかがですか?」
アリスはそう言いながら、上体を起こしたエバにティーカップを手渡した。
「食欲はないけど……。少しだけ外の空気に触れてもいいかな」
前向きな言葉を聞いたアリスの顔は、パッと明るくなる。
「では、後ほどご用意いたしますね」
「ありがとう」
「お礼など……。私にはもったいないお言葉です」
アリスは顔を赤くし、満面の笑みを浮かべる。
その反応が可笑しくて、可愛くて、エバは顔を緩めた。
「そういえば、この怪我……何が原因なの? 私、何も覚えていないの」
エバは記憶を失ったふりをして、事情を聞いてみた。
ベッド近くの窓を開けていたアリスは、その質問を聞いた途端、体をビクつかせて固まる。
「……あの……私の口からは申し上げにくいのですが……」
アリスは少しうつむき加減で口ごもる。
「気にしないで、大丈夫」
「あの……」
アリスは顔を強張らせていた。
「大丈夫だよ。覚悟はしてる。どうせ、いつかは知ることになるんだから」
その言葉を聞いて、アリスは意を決して口を開いた。
「では……。1週間前の晩のことです。お嬢様はお1人でお出かけになっていたのですが、その時に……何者かに襲われたようで……」
エバは軽く頷く。
それが悪魔の生贄と関係しているのだろう、とエバは思った。
「それ以上はいいよ。辛い思いをさせてごめんね」
「いいえ……」
アリスは悲しい表情を浮かべる。
「アリス、もう少し質問してもいいかな? 別の質問だから」
「はい」
「アダムは元気?」
アリスの表情は再び強張った。
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