第3話 悪魔契約


 エバの転生前、悪魔と出会った時に遡る。


 死んでから、随分と時間が経過していた。

 エバは暗くて濃い霧の中を、ずっと、ずっと……1人で彷徨っていた。

 死んだ後は何もかもを忘れ、無に消えると思っていたのだが……。

 それは叶わなかった。


 ——どうして?


 いつまでたっても自分の存在は消えず、無音の場所にずっと閉じ込められていた。


 ——怖い。


 そんな感情は、徐々に、エバを憎悪の色に染めていった……。


「なぜ、私がこんな目に! なぜ、あの女に!」


 憎悪に満ちた感情は、ある者を呼び寄せてしまったのかもしれない。


『——見つけたぞ』


 邪悪な声がエバの中に響いた。


「誰……?」


 エバはあたりを見回すが、人影すら見えない。


「——きゃっ!?」


 巨大な漆黒の手が、霧の向こうから突然伸びるように現れ、エバはその手に体を鷲掴みにされてしまう。


『ヒヒヒヒヒッ。もう逃げらんねーよ』


 声の主の顔が霧の中から現れた。

 口からはみ出る長いキバ、何もかも吸い込んでしまいそうな真っ赤な三つ目、霧よりも漆黒の皮膚、エバの体よりも大きな顔。


 それは、巨大な悪魔だった。


 エバはこれ以上なくらいに、震え上がる。


『ヒヒヒヒッ。お前、あんな酷い死に方してよー。散々だったな』

 

 ——そのとおり……。


『まあ、あんな女に目をつけられたのが運の尽きだったな』


 ——そうかもしれない。でも、どうすればよかったの……?


 エバは微笑みかけるアダム——元婚約者の顔を思い出す。

 憎しみで満たされていても、アダムへの愛情は変わらない。

 想いが募り、胸が張り裂けそうだ。


「アダム……」


『その男にも原因があるんじゃねーのか?』

「——ないです! アダムは……抵抗さえできなかったんです……。悪いのはすべてあの女です! あの女がなにもかもめちゃくちゃに……」


 悪魔の目は弓なりになった。


『ヒヒヒヒッ。いいぜ、その憎悪が堪らないぜ。気に入った。お前の願いを叶えてやる』


 信じられない言葉だった。


 ——悪魔が願いを叶える? 何かの冗談? それでも……。


「お願いします! アダムを奪い返したい!!!」

『いい返事だ。欲望まみれで堪らないな。お前に別の女の体をくれてやる』


 ——そんな都合のいい話を信じてもいいの?


 さきほどまで感情的だったが、エバは冷静になりつつあった。


「私と同じくらいの年齢でしょうか?」

『そうだ。ラッキーだな、お前。ちょうど生贄になる若い女がいるんだよ。そいつの体を与えてやるよ。等価交換だからな』

「等価交換……?」

『ヒヒヒヒヒッ』


 悪魔は笑うだけで、それ以上説明はしてくれなかった。


 ——悪魔の生贄になる女に転生なんて、嫌な予感しかしない……。でも……このチャンスを逃すべきではない。


「さて、どうする?」と言いながら、悪魔は口角を上げる。


 ——覚悟は決めた!


「お願いします!」

『いい返事だ。転生後、『前世の自分』のことを誰にも言うなよ。それが転生させる条件だ。それを破れば、アダムって男の命をもらう。いいな?』


 ——よりにもよってアダムなんて……。


「……間接的なヒントを与えるのは、いいですか?」


 ——できるだけ有利な状況に持っていかなければ……。


『それは……まあ、いいだろう。ただし、俺様のことを口に出すな。もし破れば、お前の命を奪う』

「わかりました。絶対に誰にも言いません!」

『契約成立だ。ヒヒヒヒッ、後悔するかもな……』


 悪魔は意味ありげな言葉を最後に告げた後、エバの体を飲み込んだ。

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