第5話 過去1
エバの問いかけにアリスはなかなか答えられず、しばらくの間があった。
アリスは少し口を震わせながら話し始める。
「あの……私はこのお屋敷に来てからまだ日が浅いのです。そのため、アダム様の状況を全く把握できていません。……申し訳ありません」
アリスは深々と腰を曲げて頭を下げた。
これは話せなかったという理由もあるが、嘘をついてしまったことへの謝罪でもあった。
リリスとアダムの夫婦生活については、もちろん執事長からアリスは聞かされている。
特にリリスの事件後、アダムが一度も見舞いに来ていないことは、口が裂けても言えなかった。
「謝らなくていいよ。気を使わせてごめんね。アリス、正直にいうと……私、その事件の後の記憶しかないの。自分が誰なのかも、わからなくなってるの。でも、アダムの存在だけは覚えてる」
アリスはエバの発言にショックを受け、口を両手で押さえる。
「何もかも忘れてしまったの……。だから、過去の情報を集めてくれない? 特に、過去五5分がほしいかな」
エバはこの体で生き続けることにまだ躊躇っていたが、最初で最後のチャンスであることは理解していた。
アダムともう一度結ばれることが最大の望みならば、耐えなければならない——そう自分に言い聞かせる。
『この先どうするのか?』——それを見極めるためにも、エバには情報が必要だ。
「かしこまりました。少しお時間をいただいても?」
「いいよ。でも、情報は包み隠さずね」
「はい……」
アリスの顔色はすぐれなかった。
*
仕事が早いアリスは、1時間後に過去の情報を持ってきてくれた。
「この板……何?」
エバは、受け取った手のひらサイズの透明板を不思議そうに眺めていた。
「これは、小型の情報端末機でございます。お嬢様はなくされたようだったので、新しく準備いたしました」
知っていて当然のような口ぶりに、エバは動揺した。
「え? 小型……? ごめん、これが何かわからない」
エバの知っている情報端末機はもっと大きく、持ち運べるようなものではなかった。
「この端末機1つで世界中の情報が手に入ります。魔力通信も可能となっております」
5年の進歩の早さにエバは目を丸くした。
こんな便利なものがあったら、アダムと内密に連絡を取り合えただろう、と自分の運の悪さを呪ってしまう。
「これはアダムも持っているの?」
「それは……。アダム様は持っていらっしゃるようですが、お使いになっていないようで……」
「そう。まあ、いいや。説明を続けてくれる?」
アダムはリリスからの連絡を拒否しているのだろう、とエバは察し、そのことについて追求しなかった。
「はい、かしこまりました。最初に画面を触ってください」
エバは言われた通り触ると、端末機画面が明るくなる。
画面には小さな四角形がたくさん並んでおり、『文書保存』、『画像保存』、『メール』『検索』などの言葉がそれぞれの中に表示されていた。
「お嬢様の魔力に反応して使用可能になりますので、他の者に使用されることはございません。『検索』と書かれた四角形を触って頂きますと、キーワード検索が可能でございます。そして——」
アリスは細かく情報収拾の方法について説明した後、端末にまとめておいたリリスの情報について話し始める。
「——ここに保管されているお嬢様の過去の記録などは、ジョーゼルカ家に関係のない者からの情報です。本当のことではない可能性もありますので、ご自身でご判断ください……」
「この方がいいわ。ありがとう。足りない情報は自分で検索するよ」
辛辣な情報しかないことはアリスもエバもわかっていたので、互いに深掘りすることはなかった。
「他に便利な機能はある?」
「そうですね……。魔力ペンで書いた資料などは、専用紙に書く必要はなく、『文書保存』を触って頂くと……」
それを押すと、目の前に大きな画面が投影された。
「ここに意識操作、または手書きで直接記入することができ、保存も可能です。画面角度も自由に変えることが可能です」
あまりにも便利な機能に、エバは驚きっぱなしだった。
「ありがとう。わからなかったら質問する」
「かしこまりました。他に何かご用はございますか?」
「今はないかな。とりあえず、1人にしてくれる?」
「畏まりました。では、昼食の時間にお伺いいたします。何かご用がありましたら、魔力ベルでお呼びください」
「うん。ありがとう」
アリスはその場で一礼し、部屋から出て行った。
エバはベッドの上で横になり、アリスがまとめてくれた情報を開く。
「うっ……」
リリスの顔——金髪ロングヘアー、目鼻立ちがはっきりとした濃い顔で目つきが悪い——が最初に映し出され、エバは吐き気を催した。
慌てて写真を削除し、枕に顔を伏せる。
——耐えられない……。こんな穢らわしい体の中にいるなんて……。
しばらく呼吸を整えた後、エバは再び端末に目を向けた。
『——王族の血を引くジョーゼルカ家の長女として、リリス・ジョーゼルカは誕生した。保有魔力量が高いために将来を期待されていたが、魔法の才能は皆無。学業成績は低レベルだった。優秀な人材しか受け入れない魔法学院へ入学できたのは、ジョーゼルカ家の権力によるものだと噂されている。魔法学院学生時代は常に進級が危うかったが、通常の期間で卒業を果たす——』
エバは一旦目を瞑る。
——これだから貴族は嫌い。みんな苦労して入学したのに……。
怒りをどうにか抑え、エバは読み進める。
『——リリス・ジョーゼルカは魔法学院の魔法経済学研究員として籍を置いているが、実力で獲得した役職ではないことを誰もが知っていた。配属先の研究室へは一度も訪れておらず、いつも夫の邪魔をしていた。それがあまりにも酷かったことから、夫の勤務先——魔法教育学部は出禁になった。夫は、下級貴族出身、魔法教育学部教員のアダム・スコット——』
エバはそこで一度、端末を置いた。
涙が目にたまって、読めなくなっていたからだ。
——本当は私がアダムと結婚するはずだったのに……。
エバは目を閉じ、アダムと出会った頃の記憶を思い出す——。
***
当時、エバは魔法学院1年だった
魔法学院総合図書館、自習スペース。
エバは4人席テーブルを使って1人で勉強していた。
「——よろしければ、隣に座ってもいいですか?」
少年の声がエバの耳に入った。
——空席は他にたくさんあるのに……。
エバは不審に思いながらその声の方へ顔を向ける。
その直後、エバの体は一気に熱を帯びた。
サラサラの栗色の髪、緑色のクリクリとした目を持った少年にエバは目を奪われる。
斜めに体を傾けて話しかける仕草が可愛く、物腰が柔らかく、とにかく素敵だとエバは思った。
「は、はい、どうぞ……」
エバは照れながら了承した。
その少年はにこやかな表情で椅子を引き、隣に座る。
——この立ち居振る舞いからして、貴族の子かもしれない。平民の私に何か用かな……?
「君、魔生物学部1年のエバ・シャーリーさんだよね?」
「え? どうして私の名前を?」
「入学試験の成績で勝てなかったのは、エバさんだけでしたからね——」
エバは下の名前で呼ばれて顔を少し赤くする。
「——それに、入学式の時、隣に座っていたので……あ、すみません。僕は魔法教育学部1年、アダム・スコットと言います」
アダムは少し頬を赤くしつつも、爽やかな笑顔で答えた。
「そうですか……」
エバは緊張していたせいで、上手く言葉が返せなかった。
「僕は没落貴族出身でして。特待生で入らないと学費が厳しいのですよ」
「はい……?」
エバは話の意図がわからず、首を傾げた。
アダムはエバに体を少し寄せ、顔を近付ける。
エバは更に顔を赤くし、鼓動が激しくなっていた。
「実は……その肩書きで肩身がせまい思いをしておりまして。よかったら、お友達になって頂けませんか? ……というのは言い訳で……僕、エバさんに一目惚れしてしまったんです……」
アダムは顔を真っ赤にし、小声でそう告げた。
「へ?」
エバは目を大きく開いて、アダムを凝視する。
それはアダムなりの告白だった。
そして、2人が恋人になってから3年が経った。
互いに勉強を教え合いながら、それぞれの学部で首席を維持していた。
ある日、2人はいつものように図書館で勉強をしていると、1人の少女がアダムに大声で声をかけてきた。
「アダム! こんなところにいましたの? 私に勉強を教えて頂けません? 今日の授業でわからないことがありましたの〜」
その少女はアダムに話しかけながら、エバを鋭い目つきで睨んでいた。
少女は魔法学院1年、リリス・ジョーゼルカ。
最上位貴族であるジョーゼルカ家の権威を振りかざし、学院内では偉そうに行動していた。
幼少期、貴族の集まりでリリスとアダムは出会っており、リリスはその頃からアダムに片思いをしていた。
そのため、アダムの恋人であるエバを目の敵にしている。
「アダム、こんな平民と一緒にいては汚れてしまいます! 貴族の私たちは、向こうの席へ移りましょう!」
リリスは強引に離れた席へアダムを引っ張っていく。
「リリス! エバになんてことを言うんだ! 口を謹んでくれ!」
アダムは昔からリリスのことを苦手にしており、エバのことも考えて距離を取ろうとしていた。
しかし、リリスにその思いは届いていない。
「魔法理論のこのページを見てくださる〜?」
リリスはそんなアダムの言葉を無視し、大声で話しかけていた。
アダムの腕はリリスにしっかり掴まれており、逃げ出せない状態だ。
アダムはその場から謝罪の仕草をエバに向け、少しだけリリスの相手をすることにしたようだった。
「はぁ……」
——ここは図書館なんだから静かにしてほしい。貴族って本当に横柄なんだから。
リリスは毎日2人の邪魔をしていたので、エバはうんざりしていた。
「はぁ……」
集中力が切れてしまったエバは、魔植物園のベンチへ向かった。
*
「エバ! やっと見つけた〜。うわっ!?」
アダムはエバのところへ駆け寄ろうとしたが、途中、蔓状の魔植物がアダムの両手を掴み、動きを阻んだ。
「邪魔しないでよ〜」
アダムは魔法で蔓をほどくが、別の蔓がアダムの足に絡まっていた。
「ブッ」
魔植物に必死に抵抗するアダムを見ていたエバは、笑いを堪えきれずに吹き出す。
アダムは魔力量が多いため、魔植物にいたずらされやすい体質だった。
「アダム、だらしないよ〜」
「エバ〜、見てないで助けてよ〜」
「あー、ごめん。疲れて休憩してるんだ〜」
「それはないよ〜」
ようやく魔植物から解放されたアダムは、エバの隣に座る。
「さっきは、ごめんね……。リリスには強く言っておいたから。僕たちは恋人だから邪魔はしないでって!」
アダムの言葉で嬉しくなったエバは、さっきまでの怒りや嫉妬を忘れてしまった。
「エバ、今日は何の日か覚えてる?」
「ん〜? 何の日?」
もちろんエバは知っていたが、わざと知らないフリをした。
「エバ! そんな悲しいこと言わないでよ〜」
餌をもらい損ねた子犬のような表情を浮かべたアダムを見て、エバは申し訳なくなる。
そんなアダムが可愛くて、ついつい意地悪してしまうのがエバの悪い癖だった。
「うーそっ! 覚えてるよ! 私たちが恋人になって3年だよね! しかも、私の誕生日!」
「そうだよ! エバって意地悪だよねー」
アダムは口をとがらせていた。
「だって、アダムの反応が可愛いから」
アダムはポケットの中をゴソゴソと探り出し、何か握った手をエバに差し出す。
「エバに受け取ってほしい。卒業したら、僕のお嫁さんになって!」
アダムの顔は、真っ赤だ。
エバが受け取った小箱の中には、小さな宝石がついた指輪が入っていた。
「アダム、大好き! ずっと一緒にいてね!」
エバはアダムに抱きついた。
「エバ! 誰もいないからって……」
アダムはそう言いながらも、強く抱き返す。
「アダム、私からも渡したいものがあるの」
エバはアダムにネックレスを渡す。
「ありがとうエバ。僕は一生、君を幸せにするよ!」
リリスという邪魔者から妨害は受けていたものの、エバたちは本当に幸せだった。
***
「——なんで……うっ……」
アダムとの幸せな記憶を思い出していたエバは、悔し涙をこぼす。
——過去の記憶として葬り去ることなんてできない! やっぱりアダムを諦められない! だから、この体を嫌がっている場合じゃない!
エバは覚悟を決めた。
端末をもう一度手に取り、現実と向き合うことを決心した。
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