第21話 足りないモノ

「戻りました」

「お帰りなさいカエデ。それで、首尾はどうだったかしら?」

「はい、やはり、当面はベックスから出られそうにありませんね。ギルドは慌ただしくなっていますし、街に戻ってきた冒険者は下級まで留め置かれているみたいです。周辺の集落の農民がだんだんと街に入ってきているので、今後、厳戒態勢に移行していくのは間違いないでしょう」

「え、それって本当ですかカエデさん!?」


 鞄を漁っていたアンティネラが、顔を青くして叫んだ。

 

「ベックス近郊の森の中で、巨大な魔力の塊がさらに大きさを増しているのが観測されたそうよ」

「それは……困りましたね」

「Aランク昇級どころじゃないじゃないですか! なんでこうも立て続けに……アッシュさん、もしかして呪われていますか?」

「……」


 たしか、祝福はあったような気がするけど。


 とにかく、ドラゴンを相手にするということがどういうことか、アンティネラの反応を見ればわかった。

 テーブルに荷物を置いたカエデは、中身を取り出しながら報告を続ける。やけに冷静だ。紙袋から次から次へと取り出されるのは、何に使うのかわからない雑貨ばかりだった。厚手な用紙が数枚に、数種類の乾燥された薬草、そして小さなガラス瓶。お、果物もあるじゃないか。うまそうだ。

 そっと果物に伸ばした手は、カエデにはたき落とされた。


「当分、ベックスから出られないと考えて予定を立てるべきでしょう。上級冒険者はもれなく、厄災への対処にかり出されるはずです。いくらアッシュでも、何の準備もなくドラゴンと戦うのは無茶でしょう。どうせ逃げることもできないのですし、時が来るまでしっかりと備えるのがいいと思います」


 カエデが最後にスカートのポケットから取り出したのは、小さな革袋だった。


「オークキング討伐の報酬です。5ゴルと700シーバでした。少ないですが、これで装備を調えましょう。あとダブルダイアモンドの二人が治療院に入院しているらしいので、一度訪ねておいた方がいいと思います」


 エドとチェータは街に戻ってきてすぐ、ギルドへは向かわずにどこかへと運ばれていった。ワシは、エドの負傷具合とじかに目にした二人の実力を思い出して、首を捻る。どう考えたって、彼らにドラゴンの相手ができるとは思えないのだが。

 

「間に合うかはわかりませんが、怪我が回復すれば彼らもかり出されるでしょう。間に合わなくても、彼らは熟練の冒険者ですから。今回の厄災を乗り切るベテランの知恵を借りられるかもしれません」

「戦いの知恵か、確かに今のワシには一番必要かも知れないな」

「でしょう?」


 カエデの提案にみんな納得して頷いている。ワシはこれまで、その場の思いつきで戦ってきた。これまでは格下が相手だったので、それでもなんとかなったが、次の敵は元同族、しかもワシよりも長生きしている強大なドラゴンだ。もしかしたら、いくら準備を重ねても足りないかも知れない。なんとなく、負ける気はしないが、護るモノのある戦いは、難しい。


 カエデの報告を受けたエルフィは、立ちあがって言う。


「では、まずは治療院に向かいましょう。何が必要なのか、見極めなければなりません」


 そうと決まれば善は急げだと、ワシが立ちあがった時、腹の虫が鳴いた。

 ため息をついたカエデが、果物を一つくれたが、あまりおいしくなかった。




 ベックスの治療院は、正門からほど近い場所にあり、大通りに面している。領主の城の次に高い尖塔をもつ建物だった。塔の最上部には金色の金が鈴なりにつけられている。日中街に響く鐘の音は、ここが発生源だったようだ。どの金をどの時間にならすのかが決められていて、この街の住人は鐘の音色で時間を計っているらしい。

 塔以外の部分には様々な形の彫像があり、不思議な形の窓が無数につけられている。外から見ると隙間風が心配になるほどスカスカしているが、中に入ってみると、ふんわりと温かった。


「この建物自体が、非常に複雑な魔術具なんです」

「魔術具ってなんだ?」

「魔術の発動する道具のことです。使いたい魔術の魔方陣を魔力を通しやすい素材に刻み込み、魔力を流すだけで発動できるようにした道具ですね」


 正面玄関から入ってすぐ目の前にあった受付に、カエデが話をつけている間、エルフィはひらりと今着ている服の袖を翻して見せた。窓から入り込んでくる日の光に照らされて、不思議な文様がきらめく。


「私とカエデが普段着ている服にはすべて、こんな風に魔方陣が染め込まれてあります」

「……きれいだな」

「へ?」


 今まで気がつかなかったほどうっすらと光を纏った服から視線を上げると、エルフィが頬を染めて固まっていた。


「ん? キラキラ光っていて、綺麗だなって」

「ああ、アッシュくんは魔法使いだから、魔力が見えるんでしたね。私たちには、薄墨を垂らしたようにしか見えないので、綺麗だなんて思ったことありませんでした」

「そうなのか」

「はい、特に魔力を込めた染料で魔方陣を染める衣服は、灰色の斑模様になるのでとても綺麗な衣装とは言えません。だから、ちゃんとした格好をしなければならない社交の場では、着られません。これは、どうにか頑張って白に近づくように染料を改良しているので、まだマシな方なのですけど。目の慣れた人にははっきりと魔方陣が見えるんですよ」

「いや、十分綺麗な服だと思うけど?」

「ありがとうございます」


 カエデと真っ白な衣服を身につけた女性が戻ってきて、ワシらはエドの病室へと案内された。

  

「どう、ぞー」


 ドアをノックすると、聞き覚えのある突っかかった返事が返ってくる。

 エドの治療室は、個室だった。中に入ると、ベッドに縛り付けられたエドと、その脇に小さな丸椅子をおいて腰掛けているチェータがいた。


「おう、てめぇらか。よく来たな」


 包帯とギプスでガチガチに固められ、身動きを封じられたエドが、いつも通りの調子で話しかけてくる。エルフィ達の服と同じように、エドの包帯やギプスにも、よく目をこらせばうっすらと魔力がまとわりついていた。どうやらこれも魔術具らしい。


「なんだ、元気そうじゃないか。なんでそんなに雁字搦めになってるんだ?」

「だよなー。ピクリとも動けやしねーんだぜこれ。なあ、外してくれよアッシュ」


「だめ」

「そうですよアッシュくん。あれ、かなり重傷ですから、触れないでくださいね」


 カエデから手土産を受け取っていたチェータが笑顔で言い切った。いつの間にか手に持っていたナイフが窓から入ってくる光を反射する。ワシの肌も切り裂きそうな鋭さだ。ていうか、あのナイフもうっすらと薄紫の魔力を纏っていた。チェータの髪色と同じ色の魔力だった。

 エルフィからの補足もあったので、エドの状態についてはもうどうでも良い。それよりもワシにはきになることがあった。

 視線を上げていけば、柔らかい笑みをたたえるチェータの美顔が目に入る。

 ワシの視線は、そのおでこに釘付けになっていた。


「なあ、エド。チェータのおでこになにかとんがった物が二本ほど突き出ているんだが、こんなところでのんびりしていて大丈夫なのか? 治療してもらわなくていいのか?」


 ワシが指摘すると、チェータはさっと頬を染めて、片手で額の物を隠した。

「みちゃ、だめ」


「ああ、チェータは鬼だからな。その角は生まれつきだ。あんまりじろじろ見るなよ。鬼族にとって角を見せるのは、家族と夫だ――ておいアッシュ! 聴いてんのか、こら!?」

「鬼!? 聞いたこともないぞ!? もうちょっと、根元だけででもいいから見せてくれ! どうなってるのかすごい気になる! 骨なのか? それとも鹿みたいに皮膚が固まっているのか? それとも魔法的な何かなのか? 気になるからちょっと調べさせてくれ!」

「さわ、るのは、も、とだめ! 近づか、ないで!」

「くっそ! やめろっつってんだろくそガキ! ぐのおおおおお!」


 非常に興味をそそられる。ワシが知っているヒトガタの種族は、人間、エルフ、ドワーフ、獣人だけだ。それぞれの種族によって、小さな特徴の違いで名前が変わることはあるが、どの種族にも種の源泉になった精霊があり、その大枠から外れることはない。では、鬼とはどの種族の亜種なのか。未知だ。知りたい! 見たい! 触りたい!


「……アッシュ、くん?」


 背中に、もにゅっと柔らかい感触がした。ワシの肩を両手で挟んで掴み、動けなくしてしまったのはエルフィだった。耳元にささやきかけられる声は、冷気を帯びている。

 しかし、それがどうしたと、ワシはさらに一歩を踏み出した。人類にとっては小さな一歩だが、ワシにとっては大きな一歩だ。


「しゃおらああああああ! やらせねぇよ!」


 しかし、未知との間にはエドが立ちはだかる。


「テメェ、こらアッシュ! 何しに来やがったんだよ、帰れよ! いや、チェータを怯えさせるヤツは俺がたたき出す!」


 拘束をぶっちぎり、鼻息荒く飛び込んできたエドの額から、ツーと血が垂れ落ちた。

 うん、ごめん。やり過ぎました。エルフィが肩を握り込む力が強くなっている。カエデがすねを蹴ってきた。


「まあ、まてエド」

「ああん!?」

「ワシはエドの敵じゃない」


 ワシは、ドードーと荒ぶるエドと狼に睨まれた子羊みたいに震えるチェータを宥める。だが、一度覆った信用はなかなか元に戻らない。


「話を、しよう。な?」

「はぁ? 今更何を話すって言うんだよ」

「ドラゴンを倒すには、どんな準備をすればいい? 教えてくれ」


『ドラゴン』という言葉を聞いたエドとチェータの表情が、剣呑から真剣な物へと変わった。

 舌打ちを一つ溢したエドが、ベッドに戻ってどっかりと寝転がる。そして、「くそ痛ぇな、くそ」とつぶやいた。チェータがエドの血を拭う。


「準備ってそりゃあ、テメェ。大軍を用意して、何重にも守護魔術を施した要塞に詰め込んで、半年くらい籠城しながら、ちまちまと削るか。それができなきゃ伝説の勇者か、大賢者『サリエラ』でも連れてこなきゃ無理だな」

「軍? とても5ゴルと700シーバで用意できる、わけないよな……」


 エルフィもため息をついて、首を振る。


「ドラゴンの攻撃に耐えられるような守護魔術にも、莫大なお金と時間が掛かります」

「はん! 何をそんな、落ち込むことがあるんだ? 目の前にあるだろうが」

「は?」

「え?」


 エドはわざとらしいため息をつくと、ワシに手招きをした。ワシが近づいていくと、つんつんと頭をつついてくる。

 

「この、頭には、なにが、詰まってんだ、ああ? つい昨日テメェがやった事を思い出してみろ。あの化け物と殴り合いなんかして、ピンピンしてやがる。バカみたいに頑丈で、しかもベーベル山をぶち抜くような魔法が使える野郎が、ここに、いるだろうがよ!」

「ワシか?」

「他に誰がいんだよ、アッシュ。テメェは強い。俺から見ても、金の中でも最上の才能だ。英雄の素質を持っている。だが、勇者や大賢者には及ばないことが一つだけある。何だと思う?」

「知識、か?」

「違う、今のテメェに決定的に足りないのは、知恵だ。知恵をつければ、テメェは英雄になれる。ドラゴンだって敵じゃなくなる」

「うーん。そういうものなのか?」

「そういうもんだ」

「で、一体ワシはどうすればいいんだ?」

「……俺に冒険のノウハウを教えてくれた師匠が、この街にいる。紹介してやるからとりあえず剣を習ってみろ。一事は万事に通ずだ、とりあえず剣を極めてみれば、他のいろいろな事もわかってくるだろ」

「わかった」

「よし、じゃあ帰れ、さっさと帰れ」


 キズと包帯とガーゼに包まれた悪顔をニヤっとゆがめたエドに、ワシは治療室から追い出された。ワシとエドが話している間に、エルフィ達はチェータを部屋の外に連れて行ってなにか話していたようだが、何を話していたのかは聞いても教えてくれなかった。

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