第19話 世間知らず

「ごほっごほっ……ん、んんっ!」


 翻って舞うナイフの切っ先。ワシは首をノドを切ろうとしたナイフの衝撃で咳き込んでしまった。刺さらない、切れないといっても、ノドを押されたら少し苦しかった。


 仕返しに、半ばから折れたナイフを振り抜いた格好で固まっている男の頭を掴み、頭突きを噛ましてやる。

 バキッといい音がして、男はのけぞり、担いでいた麻袋を取り落とした。倒れた男に衛兵がよってたかって取り押さえに掛かる。成り行きを見守っていた通行人たちから、歓声が吹き上がった。

 喧噪のさなか、地面に転がった麻袋の中から聞こえる、くぐもったうめき声をワシはとらえる。ワシは急いで麻袋のそばに片膝をつき、袋の口紐をほどいて、中身をむき出しにした。


「エルフィ! だいじょうぶ……か?」

「ん!? んふぁー!」


 袋の中に詰められていたのは、まったく見知らぬ少女だった。手足を縛られ、猿ぐつわを噛まされている。

 ワシを誘拐犯だとでも思っているのか、少女は体を捻ってもがきワシから離れようとしていた。しかし、すぐに息切れしてぐったりと動かなくなった。耳を凝らせば、少女はしくしくと声を我慢して泣いていた。

 少女は痛んでいるが元は色鮮やかだったのだろう、フリフリしたドレスを着ている。カルラ支部のギルドマスター、ロメロのものほど気合いが入った感じではないが、袖や襟口にレースがあしらわれた、とても高そうなドレスだ。さらに、アンティネラと似た色の髪は麻袋に詰められていたせいかぼさぼさにみだれている。肌は白い、というか体調が悪いのか青白い頬には大きな青あざができていた。おそらく、手荒く誘拐されたのだろう。

 猿ぐつわを外してあげると、少女は泣きはらした眼を丸くしてワシを見返した。


「あー、とりあえず。大丈夫か?」


 少女がこくこくと頷くので、ワシはファイアーフィストを発動して、少女の手足を縛る縄を焼き切った。あっという間に自由になった両手足をみて、さらに目を丸くしていた。


「よし、ならワシは急ぎの用があるから。じゃあな」

「あ、あの! 助けてください!」

「は?」


 意味がわからず、聞き返した言葉に、少女がひるんで「ひゅ」とノドをならした。しかし、少女はすぐに言葉を重ねる。


「追われているんです! 助けてください! お願いします!」

「ごめん、無理」

「そんな!?」


 少女の目に、せっかくとまった涙がじわりと滲む。

 不意に、大神殿の前で祈るエルフィの姿と、こちらを見上げる少女の姿が重なって、ワシは顔をしかめた。

 これまでの冒険でワシは一つわかったことがある。いくら力が強かろうと、頑丈だろうと、強力な魔術が使えようと、ワシができることには限界がある。今は誘拐されたエルフィを助けるのが先だ。もし、最初に助けるのがこの少女だったら、ワシは二つ返事で少女の願いを聞いたかも知れないが、過ぎたことは変えられない。


 さて、どうすれば誘拐されたエルフィを見つけることができるのか、と思考を切り替えながらワシは少女に背を向ける。するとそこには、捜索優先度が一番低かったワシの担当受付嬢がいた。

 捕り物に沸く野次馬と化した通行人をかき分けて出てきて、笑いかえせない笑顔でワシを見るアンティネラ。


「アッシュさん。一体何をしているんですか?」

 

 引きつり笑いを顔に貼り付けたアンティネラはつかつかと早足に近づいてきて、逃がさないとばかりにワシの両肩を捕まえる。そして、その手に力を込めながら尋ねてくる。

 

「こんなところで、騒ぎを起こして、いったい何をしているんですか、アッシュさん?」

「なにって、誘拐されたエルフィを探しているんだよ」

「誘拐ですって? なにを言っているんですか? エーデルフィ様は、カエデさんと一緒に領主の城に――」


「いたぞー! その白い髪の男を捕まえろー!」


 アンティネラの言葉を塗りつぶされて、振り向く。ワシの目にも、野次馬の壁が割れて、その向こうから大勢の兵士が走ってくるのがみえた。


「一体何をしたんですか、アッシュさん!?」


 ワシはアンティネラにがくがくと体を揺さぶられながら、思う。どうやら、ワシの髪はいつの間にか白くなっていたらしい。

 喧噪が激しくなった、つかの間に、ワシに助けを求めてきた少女はいなくなっていた。




「いったいどうして、こんなことになっているのか、私にもわかるように説明してくれる?」


 ワシは、正座させられていた。

 カエデの祖国では、正式な場や、今のような場面でこういった座り方をするらしい。長時間この座り方をしていると、慣れない人間は足が痺れるのでつらいそうだ。今はまだ、あまり伸びない革ズボンが張って気持ち悪いとしか感じなかった。

 腕組みしてワシを見下ろすカエデの表情は、最近よくみる笑顔だ。


「起きたら、エルフィ達がいないから、てっきりワシが寝ている間にまた誘拐されてしまったのかと思――」

「は?」

「早とちりしてしまい! 捜索のために城の尖塔に登りました!」


 カエデとアンティネラが深いため息をついた。

 ワシがいまいるのは、領主の城の一室だ。床は白くてつるつるした石タイルが敷き詰められ、トレントの木材を壁板として張ってある。石造りの城の中とは思えないほど、柔らかい空気に充ちた空間だった。

 そして、ワシらが泊まっている宿の一部屋よりも広い部屋の中央にに鮮やかな柄のカーペットが敷かれ、その上には大きな板ガラスを天板に使ったローテーブルが一つ、それを挟むように革張りの長椅子が二脚置いてある。それ以外に、調度と言えるものはない。

 今、六人の男女が一堂に会している

 ワシはカーペットの外に正座させられていた。カエデとアンティネラ、そしてもう一人、エドが使っていたものよりもきらびやかな鎧を身につけた男が立ったままだ。


 ソファには着飾ったエルフィと、顔に取れなさそうな皺が刻まれた男が座っている。


「……ベックス男爵、彼の出自は先ほどご説明した通りです。このような非礼な行動をとってしまったこと、主として謝罪いたします」


 エルフィはゆっくりとした口調で、そう言うと浅く腰を曲げて頭を下げた。

 こんなエルフィは初めて見た。


「頭をお上げください、エーデルフィ様。かのアナスタシア伯のご息女に頭を下げさせたとあっては、私の立つ瀬がありません。なにより」


 エルフィの前にどっしりと座るのが、ベックスやその周辺の集落を治める領主らしい。ロメロの幻影にも劣らないたくましい体を、不思議な模様の入った衣服に包んでいる。ワシには、後ろの騎士と着るものを交換した方が似合っているように見えた。


「領地の危機を救った英雄を、城への不法侵入程度で処刑しては、外聞が悪すぎる。今回の一件は不問とします」

「ありがとうございます。ベックス男爵、例の件ですが」


 エルフィの一言で、ベックス男爵の表情ががらりと変わった。

「エーデルフィ様、もしアナタが領地を持っていたとして、壊滅的な危険が迫った状況で、その厄災を退けることができる駒を手放すことができますか?」


 ベックス男爵の問いに、エルフィは微笑みを凍り付かせて何も言わなかった。


「私には、この土地を護る義務があります。何卒、ご理解頂きたい。アッシュ・フォートロイ」

「なんだ――でっ!?」

「……重ね重ね申し訳ありません」


 いきなり話を降られて返事をしたら、つかつかと寄ってきたカエデに後頭部をはたかれた。


「……まあ、おいおい学んでいけば良いでしょう。アッシュ・フォートロイ、お前は今回の功績と実力を勘案して、Aランクに昇級すると通達があった。近日中に冒険者ギルドに出頭するように」

「それは」

「エーデルフィ様。ベックスはアッシュ・フォートロイのAランク認定に際する手続きには関与いたしません。後見人には、エーデルフィ様がおなりになると良いでしょう」

「……ご配慮ありがとうございます。今日は、失礼します」


 表情の硬いエルフィとカエデの後について、ワシらは領主の城を後にした。

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