第18話 落ち着く暇が無い
宿に戻ったワシらは、とりあえず寝た。
数百のオークを灰に還して、無駄に堅いオークキングと殴り合って、おかしくなったアーデルマンの言い分を最後まで聞いて殴り飛ばし、ワシは疲れているんだ。休ませろ、といういう主張には、誰にも文句を言わせない。
まあ、ワシに関しては、屋台で買ったくず切れみたいな肉の入った粥を食い、一晩寝ればその疲労もすっかり消えていた。
ワシはこれからのことを話し合おうと、エルフィ達の部屋へ向かう。
エルフィたちには、二人部屋に寝台を一つ運び込んでもらい、三人まとまってもらっている。エルフィは目を離すとすぐに誘拐されるので、なるべく一人にはしておきたくないのだ。ほんとうに、目を離すとすぐさらわれる。
ワシはエルフィ達の部屋の戸を叩いた。
「アッシュだ。入っても良いか?」
少し待ってみても、返事がなかった。すこし待ってもう一度、今度は少し強めにノックする。
しかし、反応なし。
「あ?」
まだ寝ているのか、はたまたどこかに出かけているのか。戸を押すと、鍵が掛かっていなかった。もしやと思い、少し開いた戸の隙間から部屋をのぞき込んでみる。
今回ワシらが取った宿はカルラでの宿と比べるとかなり質が落ちる。床は傷だらけで黒ずみ、壁紙は所々黄色く変色している。そして、大して広くない。その中にベッドが三つ押し込められて、エルフィ達の部屋はかなり窮屈な感じになっていた。三人とも日用品が詰め込まれているという大きな鞄をこの部屋に運び込んでいるので、さらに手狭だ。
部屋は綺麗に片付けられていた。
ただ、ベッドがすべて少し乱れたままだった。
ワシは、三人がいない部屋に入った。
様子が変だ。脇に避けられたサイドテーブルの上には、飲みかけのコップと、食べかけの冷めた粥が置いたままになっている。
エルフィの侍女であるカエデが、このままの状態で出て行くことがあるだろうか?
カエデはかなりマメな性格だ。これまで一緒に旅をしてきて、その几帳面さはワシもよく理解している。この宿に入った最初の日。カエデは天上の端に蜘蛛の巣が貼っているのを見て顔をしかめ、窓のサッシにたまっていた埃に目くじらを立て、皺の寄ったベッドのシーツに表情を消して怒濤のように掃除を始めたくらいだ。「お嬢様をこんな屋根裏部屋のような場所にいさせるわけにはいきません」と、暗い笑みで宿の店主に説教(?)を始めたのが記憶に新しい。そのおかげか、昨日、ワシらが帰ってきた時は、ずいぶんと部屋が清潔になっていた。
放置された毛布に触ってみると、少し暖かった。そのとき、ワシの脳裏に、あの黒ずくめが現れて、三人の寝入りを襲う様子が思い浮かんだ。
確証はない。
だが、可能性は高い。
なんであのお嬢様はこうも頻繁に誘拐されるんだ?
ワシは窓に駆け寄り、外の通りを見下ろす。
ベックスの街並みは、カルラに比べるとかなり窮屈だ。今泊まっている宿も、メインの通りから一本裏に入った場所にあり、宿前の道はあまり人通りが多くない。
しかし、狭い道に詰め込まれた露天商のテントの間を、まばらに行き交う通行人たちが見えた。
耳を澄ますと、表通りからの喧噪が聞こえる。これでは、カルラの時のように、賊の足音を探ることができない。
「くそ……」
ワシはガシガシと寝癖がついた頭をかきむしって、窓の外に飛び出した。
とれる手段は、今のワシには一つしか思い浮かばない。
道向こうの建物へ跳躍し、一階分たかい屋根の縁に捕まってよじ登る。板葺きの屋根に登れば、太陽がちょうど真上にさしかかろうとしているのがわかった。どうやらワシは、昼間でねむりこけていたらしい。
この程度では、高さが全く足りない。
今いる建物が三階建てで、周りには似たような高さの建物が多いようだ。
しかし、ひときわ高い建物が二つ見える。そのうちの一つ、今にも太陽が掛かろうとしている南側の尖塔へ向けて、ワシは走り出した。
堅くて滑りやすそうな屋根板を踏みしめて、尖塔へむけまっすぐひた走る。途中に何回か屋根の連なりが途切れて、下が道になっていた。その道の上を跳び越えていくと、ほどなくして、尖塔を見上げる場所に着く。
ワシは、城というものを見たことがなかったが、目の前にある石造りの巨大な建物が、名前だけしるそれであることはなんとなくわかった。街に乱立する木造の建物とは比べものにならない存在感が、その実感をワシに与えている。
どっしりと街の中心に建つ城の周りには、街の外に掘ってあるような堀と壁があり、ワシから見える限り、この建物に入るための入り口は二つ。堀に頑丈そうな石造りの橋が架けられ、その橋梁の前には数人の兵士が番に建っている。ワシらの使っている箱馬車とにものが時折出入りするのが見て取れた。壁に囲まれた城の頂上には、捻れた杖を加えた羽のある獅子の描かれている赤い旗が風に揺れている。
「おいお前! そこで何をしている!?」
城壁の上に視線を戻すと、二人組の兵士が槍をこちらに向けて睨んでいた。
「人捜しだ!」
「なんだと? そこを動くな!」
「すまんが、急いでいるんだ!」
「まて!?」
ワシは、いったん城から距離をとる。そして、助走をつけて、城へ向けて跳んだ。
「な!?」
下から兵士の驚く声と、鋭い笛の音が三回、聞こえてきた。それを跳び越えて、ワシは城の外壁にべたっとくっつく。そして、石の継ぎ目に指を突き刺して、垂直の壁面を頂上めざしてよじ登っていく。下が騒がしいけど、関係ない。
ものの数分で、ワシは旗竿の建つ尖塔の屋根の上へ到達し、ベックスの街を見下ろした。
高所から一望するベックスの街並みは、複雑な迷路のようになっていた。外からこの城まで続く大きな通り以外は、右に左に折れ曲がり、城から遠ざかるかのように伸びている。やがてはこの城に続くいくつかの道に合流するが、その数はかなり限られているようだ。
部屋の様子から、エルフィ達が連れ去られてそう時間は経っていないにちがいない。
城の北側、山を背にする方には、何本もの煙突が突き立つ街並みが広がっていて、煙を立てている。こちらにはベックスから出られる門がないので、エルフィ達をさらった賊がにげるとは考えられなかった。カルラの外壁とは違い、ベックスの外壁は簡単に越えられる高さではないし、どうやら、さっき跳び越えた城壁と同じように、壁の上に見張りの兵士が巡回している。いくらあの黒ずくめたちの身のこなしが優れていても、白昼堂々、簡単には抜けられないだろう。
「表から何かに偽装して出て行こうとする?」
ワシは、とりあえず正面玄関へむかうメインストリートを探してみることにした。
城へ続くメインストリートには、冒険者ギルドはもちろん、他のギルド、そして商店が軒を連ねている。今の時間帯は昼食を提供する屋台もかなり出店していた。そのため、人通りも馬車の通りも多く混雑している。
じーっとその流れを観察していると、流れを乱すように先を急ぐ男を一人見つけた。
男は、大人の女性がすっぽり入りそうな麻袋を肩に担ぎ、街を出る門へと向かっているようだ。
「なんというか、怪しさ満点だな」
一応、他に怪しい人間がいないか確かめてみる。しかし、そんな人いなかった。
ならば、あの男を突撃してみるしかない。
ちがったら、ごめんなさいだ。
「エルフィイイイイイイイ!」
力一杯、腹に力を込めたワシの叫びが、ベックスの町中に響く。通行人が脚を止めて、こちらを見上げていた。怪しい男も一瞬だけ、ぽかんとこちらを見上げていたが、すぐに周りの人間を押しのけて進み出した。
ワシは尖塔から落ちるように、身を傾け、そこそこ力を込めて、屋根の縁を蹴った。高台から池に飛び込む感じで、少し跳びゆっくりと放物線を描きながら落ちていく。目標地点は、どんどんと人混みをかき分けていく怪しい男の少し先。
「どけええええええええええ!」
落ちてくるワシをみて、通行人が青い顔をして逃げる。ちょうどよくできた空間に、目標の男が飛び込んできた。
わしは、ズンッと石畳に罅を入れながら着地。通行人の皆さんは顔を青ざめている。背後には上着を腰に巻き、隆々とした筋肉をさらけ出し、麻袋を担ぐ男は口を開けたままの間抜けずらで固まっている。
ワシは立ち上がり、口をパクパクと魚みたいにしている男に正対した。
「エルフィを返せ」と、ワシは静かに男へ声をかける。
「な、なんだてめぇ!? どっから現れやがった!?」
「ワシはその子の……護衛をしている冒険者だ。その肩に背負っている麻袋のなかの女の子を取り返しに来た。痛い目に遭いたくなかったら、つべこべ言わずに返せ」
「冒険者だぁ?」
「そうだ」
男はワシを足先から頭のてっぺんまで視線でなぞると、へっと笑った。さっきまでとは打って変わって、かなり余裕の表情でワシを見下してくる。
「おい、冒険者ごっこは余所でやれよ。屋根の上から飛び降りて、ピンピンしてるのはなかなかだが、こんな往来で遊んでたら迷惑だろうが! 俺は仕事で急いでんだからどきな」
「いや、だから」
「失せろってんだよ! くそガキ!」
あ、そうか。ワシの今の格好は、防具も何も身につけていない、シャツと革ズボンだけだから、冒険者だっていっても信じてもらえないのか。そして、この男はワシが落ちてくる様子を見ていなかったから、「屋根から飛び降りた」と思っているわけね。なるほど。どうしよう。
ワシは、なるべく穏便に済ませたいのに。
カエデ曰く、前回の誘拐事件や、オークキング討伐でのワシの戦いぶりからして、かなり自重しないと、ワシがギルドや国から脅威認定され、お尋ね者になってしまうらしい。そうなると普通に、冒険者として冒険を楽しむことができなくなるそうだ。昨日、寝る前にそんな話をされた。
ん? そういえば、カエデとアンティネラはどこだろう。前の襲撃みたいに、さらわれたエルフィを探しているのか。そうだったらいいんだけど。
どうすれば穏便に事を済ますことができるだろうかと、考え込んでいたワシを、男はのけようと手を伸ばした。その時。
「何の騒ぎだ! 道を空けろ!」
ワシらを囲んでいた人垣を割って、騒ぎを聞きつけた兵士が数名やってきた。それをみて、表情を険しくした男が小さく舌打ちをする。
「何事だ!?」
「兵隊さん、この人――」
「何事もなんもねぇぜお巡りさんよぉ! このガキがいちゃもんつけてきやがって、仕事のじゃましやがるんだ! おれはこの荷物を門前で待ってる旦那の所に急いで届けなきゃなんねえのによ! 見た感じ、どっかの商家のボンボンみたいだし、困ってんだよ!」
「ちょっと待て、ワシはお嬢様を――!」
「本当に急いでんだからよぉ! さっさとこの迷惑なガキをつれてってお灸を据えてくれよなぁ!」
大仰な仕草で喚く男にワシの発言が塗りつぶされていく。このまま押し切られるのかと焦ったワシはしかめっ面の兵士に事情を説明しようと声を上げるが、そのたびにじゃまされる。なんだこれ。どうすれば良い?
だれか味方してくれないかなと周囲に視線を向ける。そこであることに気がついた。取り囲む通行人の目が、男曰く騒ぎを起こした迷惑なワシではなく、それを主張する男に向いていて、なんだかはらはらしているようだった。
せっかくなので、利用しようか。
目撃者の商人風な青年をじっと見る。視線に気がついて、彼がこちらをチラ見したとき、ワシは笑いかけてみた。びくっと、肩をふるわせた青年はややあって、声を上げた。
「衛兵さま! その男の言い分ばかり聞いてはダメです! 彼の言い分も聞いてあげなければ、不公平じゃありませんか!?」
「ああ?」
「ひっ」
いいぞ青年!
強面に睨まれてすくみ上がっている青年に内心拍手を送りながら、ワシは衛兵をみた。どことなくカーネルを彷彿とさせる髭の衛兵は、ワシの言葉を待つようにこちらを見ていた。
とりあえず、どこかの商家のボンボンという認識を改めてもらおうと、ワシはギルドカードを引っ張り出した。
「衛兵さん。ワシはBランク冒険者のアッシュ・フォートロイという」
銀色のカードをみて、男と衛兵の目が見開いた。
「実は、ワシが護衛していた貴族の少女が行方不明になっていて、探しているんだ。彼女はなぜか誘拐されやすい身分らしくてな? この男の荷がちょうど十八歳の少女が一人入りそうな大きさで、もしかしてと思って中身を確認させてもらおうとしていたんだ。騒ぎを起こしたことは反省している」
衛兵が険しい表情で男を見る。男は表情をけしていた。渋面でも、誤魔化すような笑みでもなく、無表情だった。
そして、小さく舌打ちをした。
「おいおま――」
「シッ!」
鋭い呼気とともに男が一歩踏み込んでくる。
腰に垂らした上着の裏から、ナイフが飛び出した。
刃がワシの喉元を通って、陽光を反射してきらめく。
「――ごほっ」
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