第15話 オークキング討伐行 終点
がっしゃと岩肌にたたきつけられた、血みどろの鎧の男。
ワシはなぜか、暗がりから投げ込まれた彼を目で追うことしかできなかった。
エドだ。助けなければ、冷静な自分が目の前でそう叫んでいるのに、体に靄が掛かったみたいに動かない。
「ッエドワード!」
切羽詰まった女の叫び声が、洞窟の中に響く。
チェータが甲冑の体を引きずって、死んでいるのか生きているのかもわからないエドに近づこうとしていた。
馬鹿なワシは、チェータって女だったのか、なんてどうでもいい事が頭の中でぐるぐる回るだけ。
「アッシュくん! エドさんをこっちに連れてきてください!」
エルフィに発破をかけれてやっと、ワシは動けた。
エドの元まで駆け寄って、割れそうな程、奥歯をかみしめた。近づいて初めて、エドがまだ生きていることがはっきりわかる。左の肘が逆方向に曲がり、細かい裂創と無事なところを見つけるのが難しいほどの擦過傷があった。しかし、細く息がある。
こんなにも傷だらけになりながら、生きているのはエドが強かったからか?
いや、エドをこんな風にした奴が、遊んでいたに違いない。
ワシは傷だらけのエドをチェータの元に運んで、そっと地面に横たえた。
その瞬間、ゴフッとエドが吐血した。
チェータが彼の体にすがりつく。その姿は、とても数百のオークを蹴散らした戦士の姿には見えない。
「エド、ワード! エド、ワードっ! しっか、り、して。エド、ワード!」
「チェータさん! 落ち着いてください! エドさんがこのまま死んじゃっても良いんですか!?」
「いい、わけない、でしょ!」
「なら、すこし退いてください。応急治療ができません!」
甲冑の奥に光る目と、エルフィはまっすぐに見返していた。視線の合わさっていた時間は、数秒だったかも知れない。チェータが身を引き、エドの傍らにエルフィが立つ。魔術を使ったエルフィの治療を、ワシらは固唾をのんで見守る。
それ以外、何もできない。
「カエデ、最初に襲撃された場所に、私の鞄が落ちているはずだから、探してきて!」
「わかりました」
カエデが立ち上がり、よろよろと出口の方へ歩き出した。
「あ、一人じゃ危ないから、ワシも……」
「アッシュには他にやることがあるでしょ! なにバカなこと言ってるのよ!?」
ワシのやるべき事って、なんだ。
「エドさんをあんな風にした化け物が、まだ近くにいるのに! なにぼーっとしてるの!?」
カエデからにらみ付けられて、ようやく気がつく。
ワシらがこんな大変な思いをしているのは、どうしてだった?
大洞窟の奥、明かりもなく、闇が充ちる未踏の場所に、諸悪の根源がいる。エドはそいつにやられた。
ワシがやるべき事は、そいつを倒す事だ。ワシがオークキングを討伐しなければならない。
だって、いまここで、それができるのはワシしかいない。
そう理解した瞬間、腹の底で煮えたぎっていた魔力がスッと収まった。
ズシンッと地響きがした。
「——我が兵達を殺したのはお前か?」
暗闇の中から、現れた大きな影。膨れた腹にワシの胴回りを優に超える腕と脚。鼻息荒く、一歩を踏み出せば、そのたびに地響きがおこる。
その迫力は、たしかにオークの王というだけはあると思った。
その目の前に進み出て、ワシは言う。
「お前の手下を殺したのは、ワシだ」
「お前がか? ぶわははははははは! 笑わせるなぁ! そんな虫のように細い手足で一体何ができる?」
「確かめてみるか?」
ワシは、こぶしを握りしめ、力一杯オークキングの太古のような腹を殴った。
水面を打ったような感覚に驚いたが、もう一発。
「効かんぞ!」
「ぐふっ!?」
オークキングのアッパーが返ってきて、ワシは後退してしまう。ダメージはなかった。しかし、圧倒的に重量が違うことを実感した。踏ん張りが利かない。
まずい。何よりまずいのは、ワシの後ろにはまだエルフィ達がいるということだ。
絶対に後ろには下がれない。ちょっと下がったけど……。
「効かないな」
「ほう……お前、なかなかに頑丈じゃないか。だが、それだけだ。お前はワシに殺され、そこの女二人は、お前に殺された分の兵達を産む、母体となる。未来は変わらない! この国は我がものだ!」
オークキングは興奮した様子を見ていると、頭の芯が冷たくなってくる気がする。本当にそう信じているということを体で表しているのだ。具体的にいうと、股間のものがいきり立って、腰鎧の前垂れを押し上げていた。
しかし、その状態で、こいつはひどく冷静な目でこちらを見てくる。以前倒した、ハイオークとは格が違うのだと言わんばかりに。その態度は自分のことを王であると確信した自信に満ちあふれていた。
ふと思う。ワシはこいつに勝てるのだろうか?
ワシが死ぬことはないだろう。この体は、ドラゴンの頑強さを今もしっかりと保っている。
しかし、本気で暴れたとき、エルフィ達を無事に生き残らせる自信がない。この狭い空間でワシが手加減を忘れると、おそらく洞窟自体が崩落する。
「……どうした。今更怖じ気づいたか?」
では、ワシがこの戦いに勝つにはどうすれば良い?
「ふ——、ワシは頭を使うのがあまり得意じゃないんだ。エルフィ! もうちょっと下がってろ!」
「アッシュくん?」
「何をする気だ?」
エルフィ達が距離をとったのを確認している暇はなかった。
地響きと共に、一歩を踏み出していた。
拳を握り込み、ワシは低い体勢をとる。とりあえず、エルフィ達から離れた場所にこいつを連れて行かないことには、話しにならないじゃないか。
「一緒に来てもらうぞ、豚の王!」
「なに?」
ワシは思いっきり、地面を殴りつける。すると、足場に大きな罅が入った。地面を蹴ったワシは弾丸となり、足下を気にしているオークキングの頭に跳び頭突きをかます。
バランスを崩して、背中から倒れていくオークキングの巨体は、地面を割った。
「エルフィ! 後は任せて、キャンプに戻っててくれ!」
「っわかりました! 絶対——帰って——さい!」
振り返ってそういえば、返事が聞こえる。そして、ワシが勝つことを微塵も疑っていない、澄んだ青の瞳が、崩れる瓦礫の向こうに見えた。
かくして、ワシとオークキングとの一騎打ちが始まる。
「この、人間風情が、小癪な!」
「エルフィ達さえいなければ、お前なんか怖くもなんともないんだよ!」
ワシらは落下しながら、殴り合っていた。
足場のない状態では巧く殴れないが、それでも振り抜く手を止めない。ワシはオークキングの皮膚を握り込んで楔とし、吹き飛ばされないようにしている。そのために、手数はワシの方が少ない。
「おい、オークキング! この穴どこまで深いんだ!」
「そんなことワシが知るか、痴れ者め!」
「お前が根城にしてたんだろ! 何で知らないんだよ!?」
「我がこの大洞窟の全容を把握しているだと? なぜ王であるワシがそんなことをしなければならない?」
「なんで、そんなに偉そうなんだよ!?」
「何を馬鹿なことを、我が、王だからだ!」
「意味分かんねぇ!」
そんな感じで罵り合いながら、ワシらは殴り合いつつ落下していた。やがてそれも終わる。
にわかに地面が見えたワシは、オークキングを下敷きにして、地面へと突撃した。ついでに、このまま埋まってしまえと豚腹に拳をたたき込む。
飛び退いて、岩石にめり込んで動かなくなったオークキングを観察していると。
だらりと、たれた手足が動き出す。
なんて頑丈なヤツなんだ。
「ふはは、これで終わりか、人間」
「まだまだ、これからが本番だぞ。豚の王、覚悟しろよ」
まだワシは、魔法を使っていない。
さっきはエルフィ達が近くにいすぎた。パーティが二分された状況と同じだ。
煮え立つ魔力を、ワシは両手に纏う。
「おまえ——人間か?」
「は?」
オークキングの険しい表情に、自分の体をみおろしてみた。滾らせすぎた魔力があふれ出して、全身を覆おうとしていた。どこかで見たことのあるフォルムに、まるで満たされていくかのように魔力のベールが形作られる。魔力のベールはしっかりと燃えているので、今のワシは火だるまのように見えているだろう。
まさかと思って、背中を見れば、懐かしい二枚の竜翼と、長い尻尾もあった。
うん、ドラゴンだな。
なんでこうなっているのかはわからない。でも、多分今のワシは、さっきまでのワシよりも数倍強い気がする。翼があるなら、飛べるんじゃなかろうか?
そう思って、炎の翼になれた感じで魔力を纏わせると、体が数センチ浮遊した。
「なあ、豚の王。今から本気で戦うから、覚悟しろよ」
「面妖な魔法だな。だが、つけあがるな! ワシには神のご加護がある! 神がお認めになったのだ! ワシがこの国を支配する未来は変わらない! つまり、ここで朽ちるのはお前だ、人間!」
オークキングの言葉を聞いて、ワシは考えるよりも早く殴りかかっていた。
やはり、水袋のように衝撃を吸収するオークキングの体には、一切の打撃が効かない。
「我は神に選ばれし王だ! こんなところでぐぁ」
「噂に聞くチャーシューにしてやる」
「なんだそれは!? くそ!」
だけど、魔法は効くみたいだった。とりあえず殴れば、焼ける。オークキングが食えるのかはしらない。このぶにゅぶにゅと揺れる不気味な脂肪の塊が焼いて旨くなるのかも想像がつかないな。あれ、ていうか、あれを食いたいとはさすがのワシでも思えないかも。あまりに脂っこそうだ。ぜったいに胸焼けする。
ところで、さっきあの豚、なんて言っていた? あの方が、こんな魔物に侵略の権利を認める?
ありえないな。ホラを吹くのも大概にしろ。
「……脂肪が厚くて、なかなか火が通らないな」
「ぜぇひゅ、ぜぇひゅ、なんなのだ。なんなのだお前は!?」
ノドを焼いたのか、息の荒いオークキングが蹈鞴をふみ、とどまって叫んだ。
ここは一気に大火力で、殺ろう、そうしよう。
その前に、すっかり余裕のなくなったオークキングの問いに答えてやる。
「元神殿守、聖城竜アッシュ。お前みたいなのにかかわらない、普通に楽しい冒険がしたくて、冒険者をやっている」
「神殿守? 竜、だと?」
「気にしなくていい。どうせすぐ忘れるから」
すでに、オークキングの足下には、ファイアーボール(笑)が転がしてあった。どの方向に飛ばすのかは、ワシが制御できる。今回は火柱を上げよう。
せっかくだから、下を見ろ、と指さしてやる。
——ゴォパアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァ
ドゴォン!
「あ、やば」
オークキングは、両腕と脚の一部だけを残して、灰に変わった。
上を見れば、丸く切り取られた青空が見える。
そして、大洞窟が揺れ、崩落が始まった。
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