第9話 時の代償

 神殿の奥には三つの大きな空間がある。

 

 一つは祭壇の間。もう一つはいろいろな祭具を納めていた倉庫。そして、魔力を豊富に含み決して枯れない泉の間だ。

 

 儂を呼ぶ声は、泉の間から聞こえてきていた。



「サマンドラ?」

 

「ああ、アッシュ。会えてうれしい」


「本当にサマンドラなのか?」


 ぼんやりと光りを放つ泉。そのほとりに、泉に根を下ろした女性が座っていた。

 

 儂が知っているマンドラゴラのサマンドラとは似ても似つかない。

 

 彼女はドライアドだった。

 でも、儂が死んだ時点でサマンドラはドライアドに変身するための卵化さえしていなかったはずだ。

 

「アッシュ。私は確かに、君の知っているサマンドラだよ」

 

「え、でも」

 

「君が亡くなってしまってから、ずいぶん長い時間がたった」

 

「そんなことって」

 

「あたりまえだよ? 一度終わった命が、そんなにすぐに現世に戻ってこれるわけないじゃないか?」

 

 ここにいる森の精【ドライアド】になり得た存在は、儂の知る限り、友達だったマンドラゴラのサマンドラしかいない。もし、どこからか流れてきたドライアドがサマンドラの名を騙っているのだとしても、彼女が地に根を下ろしてしまうほどの時間、ここにいるということには疑いようもない。

 少なくとも、儂が転生するまで何百年も経っているということは確からしい。

 

「ていうか、驚かないんだな。昔のサマンドラなら踊り出してもおかしくない状況だろ」

 

「今の私をみて、そんなことを言うなんて、相変わらずアッシュは意地悪だ」

 

 サマンドラは微笑んで言う。

 

「君がいなくなってからいろいろあってね。うれしいからって踊り出せるほど、私はもう若くないんだよ」

 

「いろいろ?」

 

「アッシュはもう神殿守じゃないんだから、気にする必要はないよ」

 

 確かにそうだ。儂は冒険をするためにこの世界に戻ってきたのだから。

 でも……。

 

「気になるだろ。そんな言い方されたら」

 

「相変わらず、人間になってもお節介やきなドラゴンなんだね」

 

「儂の体感的には、死んで生き返ってから一週間くらいしか経っていないんだ。記憶を無くしたわけでもないのに、そんなにコロッと性格は変えられないだろ」

 

「それもそうだね。じゃあ、何が知りたい?」

 

「儂がいなくなってから何があった? なんで神殿で、しかも儂の死体が、アンデッドなんかになっていたんだ?」

 

 うーん、とサマンドラは首を捻る。

 

「まずひとつ。アッシュ、ここはもう神殿ではないよ」

 

「神殿じゃない?」

 

「アッシュが朽ちてしまってから、次代のドラゴンは生まれなかった。それって、神様がこの神殿を捨てたってことでしょ」

 

「次代のドラゴンが生まれなかったのか?」

 

「生まれてたら、アッシュの死体が残ってるはずないもの」

 

 儂はこの神殿でうまれた。生まれて最初の食事がなんだったのかはしっかり覚えている。朽ち果てた先代の屍肉だ。先代も、その先代もずっとそうやって生きてきた。だから、儂の死体も、儂の死と同時に生まれる次代の神殿守のドラゴンに食われるものだとずっと考えてきた。

 しかし、今灰にしている骨も、担いだ大腿骨も妙に儂の炎に強い。サマンドラの話が本当なら、当たり前かも知れない。自分の炎で焼かれるドラゴンなんていないからな。

 

「そうか、そうだな」

 

「でも、ここはアッシュと過ごした思い出の場所。私が財宝目当ての賊から護らないと」

 

 神殿守のドラゴンの代わりに、サマンドラはここを護ってくれていたらしい。

 じわっと目頭が熱くなる。

 

「じゃあ、あの骨は」

 

「私が魔法で動かしてた。上手だったでしょ」

 

「ああ……でもブレスで壁や柱を壊すのはいただけないな」

 

「う、だって、威圧だけで逃げ出さない人間の冒険者なんて久しぶりだったから。思わず気合いが入っちゃって」

 

 儂は泉を回り込み、サマンドラにゆっくりと近づいていった。

 彼女の視線は横にそれている。

 

「サマンドラ。忘れているなら思い出させてあげよう」

 

「ア、アッシュ?」

 

「悪いことをしたら、まずはごめんなさい、だ」

 

 儂は担いでいた骨を持ち上げて、サマンドラの頭に落とした。

 

「サマンドラ。儂と一緒に冒険の旅に行かないか?」

 

 儂は頭に瘤を作ったサマンドラにそう持ちかける。

 しかし、彼女は首を横に振った。

 

「私はもう、この泉に根を張ってしまったから動けない。もし、ムリに引っこ抜いたりしたら、たちまち枯れてしまうよ」

 

 歳を経た森の精はやがて森の一部へと帰る。サマンドラの足が根になって泉に浸かっている様子から、彼女にそのときが迫っていることはわかっていた。

 それでも、せっかく出会えたのだから。儂は、彼女を一人ここに残していくのは、嫌だった。

 

「なにか、手段があるはずだ」

 

「ううん。これが私の運命なんだよアッシュ」

 

「わかっている。でも、ここで諦めたら、儂はきっと後悔するから」

 

「それなら、これを持って行ってよ」

 

 サマンドラが拳を差し出して、開いてみせる。その中には一粒の種が握られていた。

 

「これは?」

 

「私の分身? というか子供かな? これを育ててくれれば、私はこの子の目や耳を通してアッシュの冒険を見ていられるの」

 

 受け取って眺めてみる。丸くなく、星の形をした親指大の種だ。

 

「そうなのか?」

「そうなの」

 

「わかった。でも儂は、サマンドラをいつか冒険に連れ出す。諦めないぞ」

 

 サマンドラは花が咲いたみたいに笑った。彼女を置いていくことに少しだけ罪悪感を覚えながら、儂は神殿をあとにした。




 出たときと同じように、外壁を跳び越えて街に入り、ログワードの入堂亭に戻る。

 街はすっかり寝静まっていた。起きているのは、門番と夜警で街を巡回する兵士、そして儂くらいのものだ。

 しかし、儂は街に入った瞬間、なんだか鼻につくきな臭さを感じていた。

 

「エルフィ、いるか?」

 

 ノックをして、エルフィ達の泊まっている部屋に入る。

 

「……またか」

 

 エルフィもカエデも、誰一人部屋にはいなかった。

 儂は、開いたままの窓から外に飛び出だして、隣家の屋根に登り、耳を澄ませる。

 ドラゴンは、人間よりも圧倒的に五感が優れている。そして、なぜかこの体もその五感を受け継いでいる。



『アッ————エ————テッ!』

「見つけた」


 

 儂は一足飛びに、街の外へと飛んだ。

 着地したのは、街の南西の広場。一昨日儂が焼き払った畑の一つだ。

 賊は、儂と同じように壁を越えて出てきた。

 ぞろぞろと、巣から逃げ出す蟻のように、ロープを使って現れる。

 全員、闇夜に紛れる黒い衣装を身に纏い、その数は18人。

 そのうちの一人が、ひと一人すっぽり入りそうな、大きなズダ袋を背負っていた。中身が暴れているのが見て取れる。

 

「おい、止まれ」

 

「……」

 

「エルフィをかえせ」

 

 儂の言葉に、答えは返ってこなかった。

 

「エルフィをかえせ」

 

 もう一度言ってみた。しかし、答えは返ってこなかった。

 

「最後だぞ。エルフィをかえせ」

 

 儂は持ってきた儂の大腿骨を振りかぶり、歯をきしませる。

 魔力があふれだそうとしていた。

 返事はない。代わりに何か飛んできた。

 拾ってみると、細い針だった。当たり前か。

 

 一歩、踏み込んだ。エルフィを背負っている男の目の前へ。

 

「なに、一人だけ逃げようとしてんだ」

「……いつのまっ!?」

 

 ファイアーフィストを発動し、男の首を掴み上げる。何かしらの魔法かこいつだけ存在感がやたらと薄い。放っておいたら背中のものと一緒に、どこかへ消えそうだったので、しっかり捕まえておかないとな。

 

「ぐぁ!?」

 

 赤熱した手が男の首を焼き、力を込めれば食い込んでいく。

 よっぽど痛いのだろう。暴れた男がエルフィの入った袋を取り落とした。

 儂は男を放り出し、エルフィを袋から出そうとする。

 

「がああああああついぁ……」

 

 地面に転がった男は悲鳴を上げて、すぐ動かなくなった。

 それを見て、賊の仲間は素早く手信号をした。

 

「なんだ、逃げるのか?」

 

 死んだ仲間を担いでじりじりと散ろうとしている賊を見回す。

 

「……いいぞ。逃げても。さっさと行けよ」

 

 煌々と光を放つ手を握ってみる。

 

「早く行け!」

 

 17人の黒ずくめが散っていき、儂の目にも見えなくなってから、儂はエルフィを袋から出した。

 

「エルフィ、大丈夫か?」

 

 縄を解き、猿ぐつわをはずすと、エルフィは勢いよく立ち上がった。

 

「アッシュくん! 大丈夫ですか!?」

 

「いや、それはこっちの台詞だ」

 

「う……ごめんなさい」

 

 寝間気の合わせをかき抱いて、うなだれるエルフィから儂は視線をそらす。

 

「アッシュくん?」




 その後、衛兵を数人引き連れたカエデがやってきた。

 儂は衛兵の詰め所で尋問され、そのままギルドマスターの執務室に連れてこられている。

 

「ふぁ……ねむ」

 

「おい、聴いているのか?」

 

 目の前で筋肉をうならせている、ではなく、小さな肩を怒らせて儂を見下ろすエルフがいた。もちろんロメロだ。

 

 朝っぱらからずいぶんゴージャスな金髪縦ロールを決めたエルフに、儂はいう。

 

「一睡もしていないんだから、あくびくらい良いだろ」

 

「……はぁ。お前、貴族が誘拐された、という事態の重さをわかっていないだろう」

 

「知らない。ていうか、エルフィが誘拐されかけたのは初めてじゃないし」

 

 ロメロは天を仰いで目を覆った。そして、さらに大きなため息を吐く。

 

「まあ、今回は未遂に終わったからいい。だが、気をつけろ。俺の口から、エーデルフィ・アナスタシアの事情について話す事はできないが、二度あることは三度あるからな」

 

「はいはい」

 

「はぁ……もういい、帰っていいぞ」

 

 ロメロの碧眼が細くすがめられて、儂を睨んでいる。が、儂の視線はその後ろ。棚に並べられた鉢植えの植物たちをみていた。

 

「あ、そうだ」

 

「なんだ。俺もたたき起こされたから眠いんだが」

 

 それにしては気合いはいってんな。

 

「エルフのアンタにひとつ訊きたいことがあったんだ」

 

 儂がそういうと、ロメロの細い眉が跳ね上がった。

 

「何を言っているんだ? どこをどう見れば俺がエルフに見える。寝ぼけてるなら本当に早く帰って寝ろ」

 

「いや、さすがにそんな見えすいた幻に惑わされるほど、寝ぼけてはいないよ。ちゃんと、たたき起こされた割には、髪型にも服装にも乱れがないエルフの女の子が、見えてるぞ?」

 

「な、何を言っている!?」

 

 秘密を見破られて、段々と表情がこわばっていくロメロに、儂はサマンドラにもらった星型の種を見せた。

 

「エルフなら、これの育て方を知ってるかと思ってさ」

 

 サマンドラの種をみたロメロの顔が驚愕に染まる。

 

「おまえ、それをどこで手に入れた!?」

 

「北の神殿遺跡に住んでいる古い知り合いのドライアドから預かった」

 

「は?」

 

「冒険に誘ったら、自分はもうあそこに根付いて動けないから、これを持って行って育ててくれってな。親友から預かったモノだし、しっかりと育てたいんだが、儂はあいにく園芸の知識はさっぱりで、ちょっと困ってたんだ」

 

「え?」

 

「森の精の血脈で、森の守護者なんて呼ばれているエルフなら、これの育て方くらいわかるだろ?」

 

「な!? ちょっとまて、理解が追いつかん!? 北の神殿遺跡? あそこには恐ろしいドラゴンが住んでいるんじゃないのか!?」

 

「いや、あそこにはもうドラゴンはいない。いるのはちょっとお調子者だったドライアドだけだ」

「そ、んな」

 

「なにか問題があるのか?」

「大ありだ!」

「そうか、でもまあ、儂には関係ないな」

 

「な!?」

 

 エルフが冒険者をまとめ上げるこの町で、サマンドラに危害を加えることはできまい。

 それに——。

 

「洞窟入り口の柵戸を溶接してきたから、当分は誰も入れないだろう」

 

「おまえ……本当に何者なんだ。次から次へと……」

 

「ん? 通りすがりで、冒険者志望だった山河の民だよ」

 

 ロメロはじーっと儂の顔を見てくる。

 

 ……なんか首の後ろがモヤモヤするな。何が思い出せない?

 

「あ、たしかエルフに熱心に見つめられているときは、惚れられたサインなんだっけ?」

「ち、違う! 何を言っているんだお前は!」

 

 儂はソファから立ち上がり、一気に顔を赤くしたロメロを見下ろした。

 

「まあ、とにかく。あと二、三日も経てばこの町を発つ準備も整うし、儂はそれまでにこの種の育て方がわかれば十分だから、よろしく〜」

 

 眠いので、儂は帰って寝るよ。




 あれから、二日がたった。

 

 馬車も治り、旅支度も整って、いよいよ儂らはカルラを出発しようとしている。

 

「アンティ。達者でね。ちゃんとご飯食べて、しっかり働くんだよ」

 

「お母さん、お父さん……私、行きたくない!」

 

「なに言ってんだ!」

 

「だって〜! 絶対過労死するから! 私まだ死にたくないから!」

 

 後ろで、なんだかぞろぞろと集まるアンティネラの家族が、別れを惜しんでいた。

 一方、儂の目の前には、狐のような目を細める上機嫌な男がいる。

 

「行商人のカルタ・アデヴィッドと申します。いやぁ、まさか銀の冒険者にこんな格安で護衛をしてもらえるなんて、私は幸運ですよ」

 

「アッシュ・フォートロイだ。よろしく頼む」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

 彼の目は、ちらちらと儂らの馬車の屋根に詰まれた竜の骨に向けられていた。

 

「アッシュ、アンティネラさん。そろそろ出発するから乗って。アデヴィッドさん」

「はい、出発しましょう」

 

 このときの儂は、後にあんなおおきな騒動になるだなんて、思いもしなかった。

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