第5話 千年樹VS千一年目の竜
馬車の中に残っていた男物のシャツとズボンに着替えたエルフィは、これまた取り残されていた分厚い本を熱心に読みふけっていた。
いろいろあって少しくすんでしまっているが、胸に掛かる金の髪は馬車の揺れにあわせてサラサラと揺れる。
壊れて汚れた馬車の中ではなく、池のほとりの美しい小鳥の遊ぶような風景が、この美少女には似合うのだろうと考えながら、ワシは話しかけた。
「なあ、エルフィ」
「なんですかアッシュくん」
なんだか気安いやりとり。
ワシが——肉体的には、年下だったということに衝撃を受けていたエルフィだったが、『くん付け』で呼ぶことで何かの折り合いをつけたらしい。
「ワシらはいつになったら街に入れるんだ?」
「さあ? カエデ、検問まであとどれくらいなの?」
エルフィが御者台に座るカエデに尋ねる。
ワシとしては、この美しい黒髪をポニーテールにまとめた油断のならない少女が、ワシのいまの体と同じ年齢だという事もかなりの衝撃だったな。
すまし顔のカエデはエルフィの柔らかい感じとは反対の、にごりのない透明な氷のような雰囲気がある。だから、少なくともエルフィと同い年か、もっと上だと思っていた。
「半日はかからないはずです。……アッシュ、そんなに暇なら変わってください。何のために馬車の操縦を教えてあげたと思っているのですか?」
二日も一緒の馬車に揺られれば、他人行儀ではいられない。
「ああ、はいはい」
ワシらはいま、カルラの街に入るため、検問の列に並んで順番待ち中だ。
どうやら各地を旅して回っているらしいこの少女たちは、ワシなんかよりずっと馬車の旅に慣れていた。
今だって普通に進めばとっくに街に入れているはずなのに、どうとも感じていないのかそれぞれ暇つぶしを始めている。御者台から降りたカエデは、あの襲撃でヤった盗賊から剥いできた武器を取り出し、鋭い目つきで眺めるとおもむろに研ぎ始めた。
これまでの道中、ワシは半日で流れる景色に飽きて、この体の使い方を練習したり、二人から怪しまれないていどに情報を聞き出したりしていた。
それでも時間が余って、暇つぶしにカエデから馬車の操作を習ったのだが。
「……ゆっくりしか進まない馬車を操るのは、ワシも得意だしね」
なぜかワシが手綱をとると、馬がゆっくりとしか進んでくれなかったのだ。
これではいつまでたっても街につかないと、しばらくして痺れを切らしたカエデに手綱を取り上げられ、ここまでの御者は彼女が務めている。
少し進んでは止まって微々たる速度で検問に近づき、ワシらの番が回ってきたのはカエデの言ったとおりにやがて夕方になるか、という時間だった。
「次! ……おいおい、どうしたんだこの馬車。なんかあったのか?」
鉄兜に胴体だけの金属甲冑を着て、腰に剣を下げた番兵の質問に、カエデがひょっこり顔を出した。
そして、ワシの耳に一瞬口を寄せて囁く。
「とても疲れたフリをして」
ワシは一瞬訳がわからなかったが、彼女の顔をみてなんとなくどうするのかを察する。いつの間にかカエデの顔には擦り傷に見立てた化粧と、煤がつけられていた。
疲れ切った弱々しい声で彼女は言う。
「どうも、おつかれさまです。道中で盗賊に襲われまして、辛うじて逃げ出してきたんです。街にたどり着けてほんとうによかった」
嘘は言ってないけど、なあ?
番兵は痛々しげな美少女をみて、緩んだ口元を隠すためか口ひげをなでている。
ワシも一応、膝に肘をつけ、背中を丸めて顔がよく見えないようにしてみた。わざとらしく、肩でため息をしてみる。
「そ、そうか。災難だったな。身元を証明するモノの提示と、入街料をひとり2ブローズだ」
「はい、私とあっちのお嬢様の分で……」
カエデは黒ずんで半分に割れた銅貨を6枚、そして身分証だろうカードを2枚、番兵に渡したあと、困ったようにワシをみて笑った。うん、元ドラゴンで、全裸で空から落ちてきたワシが人の国で通じる身分証とか持ってるわけ無いのだ。
縦には首を振れない。
「そっちの煤けた奴のは?」
「あ〜その、彼は山河の民だったらしくて。冒険者になるつもりで山を下りてきたところを偶然、盗賊に襲われた私たちに助太刀してくれたんです。だから」
「ああ、わかった。通ってよし! ただしそっちの奴、ギルドカードを作ったらここの詰め所に戻ってこい。いろいろ訊かなきゃならないことがある。来なきゃ指名手配して冒険者ギルドの資格も剥奪されるからな」
「わかった」
とりあえず、問題が起こらなかったことにほっと胸をなで下ろし、手綱を打つ。
本当にゆっくりと馬車が進み出し。
「おい、さっさと進め!」
あまりのとろさで番兵に怒られた。
ワシには馬車を操作する才能が無いらしい。
北と西を森に、東と南をひろい草原と黄金色の麦畑に囲まれたカルラの街は黄砂色の岩壁で護られている。壁の中の街並みは白い壁と赤茶の瓦屋根で統一されていた。西から東に抜ける大通りには、両端にカラフルなテントを並べて商品を並べる商店が並んでいる。とくに、串焼きや煮込みなどを提供する飯屋が多い。
もうすぐ日没ではあるが、どこも店じまいをすることなく、様々な色の光源を店先にぶら下げてむしろこれからが稼ぎ時だと言う感じだった。
「賑わっているな。あの緑とか赤とかに光っている明かりは魔法なのか?」
両側から旨そうなにおいが攻めてきて、ワシはあっさり白旗をあげる。
再びカエデに手綱を奪われたワシは荷室の中から体を乗りだして、流れていく屋台を目で追っていると後ろからエルフィの控えめな笑い声が聞こえた。
「そんなたいそうなものじゃありません。あれは魔術で光る工芸品の『カンテラ』です。もうじき、ファーバーフェスティバルですからね。どこも祭りにむけて私たちのお腹を空かせようと必死ですよ」
「ファーバーフェステイバル?」
首を傾げれば、今度は隣からワシをうろんな目で見下ろしてくる。
「そんなことも知らないのですか。さっきは適当に言いましたが。アッシュは本当に『山河の民』なのでは?」
「カエデ、そんなこと言っちゃダメ」
「すまん。その『山河の民』ってのもわからない」
ワシの返答にカエデは一瞬キョトンとすると、ばつの悪そうな顔で黙ってしまった。
「……はあ。『山河の民』というのは、文明を受け入れられず、山奥や孤島でひっそりと時代遅れな生活を送っている人たちのことです。未開人とも言います」
うん。あながち間違っていないぞ。ドラゴンの神殿守だったとはいえ、生まれて死ぬまで一度も神殿のそとへでなかったワシは、まさにドラゴン版『山河の民』だろうな。
「なるほど、つまりカエデは今、ワシをバカにしたわけか」
「な、なんですか。言っておきますが、私が故意にバカにしたわけじゃないですよ。アッシュがモノをあまりに知らなすぎなんです。それにさっきのは、何も身分を証明できるモノを持っていないアッシュが悪いんです。『山河の民』だと言えば、すんなり門が通れるんですから。むしろとっさにごまかせた私を誉めてほしいくらいですね」
「たしかにそうだな。ありがとうカエデ」
「なっ——」
普通にお礼を言ったら、なぜかカエデに幽霊でもみたような顔をされた。エルフィも楽しげな笑い声を堪えている。まあ、いいか。なんだか、あの神殿のそとに聴いた、冒険者達のキャンプを思い出す——仲間ってこんな感じなのかね。
「とりあえず、ワシは『冒険者ギルド』という所に行って、カードを作ってもらわないとならないんだよな? 何処にあるんだ?」
「この通りをもう少し行けば、中央広場があります。広場に入って右に見える大きな白い建物が、カルラの役場なのですが、その一階に冒険者ギルドのカルラ支部が入ってますよ。難しいテストとか面接とかはありませんから、行ったらすぐに作ってもらえるはずです」
「さすが、詳しいな。エルフィはお嬢様だから、そう言う身分が高い人間にはどうでも良い情報まで通じてるとは思ってなかった」
「いいえ……ってあれ? 言ってませんでしたか?」
「なにがだ?」
エルフィは胸元から、先ほどカエデから受け取っていたカードを取り出してワシに見せる。
「私もカエデも、冒険者ですから」
色とりどりな屋台のカンテラと夕日のあかね色が差し込む馬車のなか、微笑むエルフィはどこか幻想的で、ワシはなぜか懐かしさを感じていた。
「何でですか! 納得できません!」
味のある深い茶色の重厚なカウンターテーブルをエルフィの小さな拳が叩く。
さすがエルフィ。お嬢様だけあってトンっと軽い音しか鳴らず、むしろその胸元の揺れのほうが迫力がある。男物のシャツをムリヤリ着ているため、そんなに激しく動いたら今にもボタンが弾けそうだ。
それをひとめ見て、小さく舌打ちをしたやつがいた。
「ですから、先ほども申しあげましたとおり、最近、冒険者登録を希望される方の質の低下が問題視されておりまして、本支部では、試験……ふぁ……失礼。試験に合格された方だけを登録させていただいております」
それはカウンターテーブルの向こう側、すこし派手な化粧を施した受付係の職員だった。
黒いベストにアンティネラとネームプレートをつけた受付嬢は、ときたまあくびをこぼしながら、だるそ〜にワシらに対応している。
「そんなこと、これまで巡った支部では欠片も聴いたことがないですよ!」
「どちらからいらしたかは知りませんが、本カルラ支部ではそうなのです。ご理解ください」
まともに取り合うつもりがないのか、爪先を気にしていたアンティネラの視線が、チラリとワシを見て。
「まあ、そちらのひ弱そうな彼をどうしても冒険者にしたいなら、特例で試験を免除することもできますよ」
アンティネラは先ほどとは別人のような、できた笑顔を浮かべた。くりっとして丸かった目が糸のように細く、目尻に紅を少しさした様子が狐や狼を連想させるなぁ、なんてワシは思っていた。
「免除?」
「ええ、冒険者の登録をするのは私たち受付嬢ですから? 私たちには試験を免除できる権限があります。私の眼鏡にかなえば、試験を免除しても良いですけど、ね。そんな実力の持ち主には見えないですし? どうしても、というならそれなりの態度を示してもらわないと。それが大人の常識ですしねぇ」
さすが女狐、回りくどいなぁ。ワシにはけっきょく何が言いたいのかさっぱりわからなかった。受付なのだから、話はもっとわかりやすく端的にしてほしい。
「つまり、普通の手続きをしてもらいたかったら、袖の下を通せ、と? なんですかそれは! このギルドの職員の教育はどうなっているのですか!?」
アンティネラのエルフィが声を荒らげるが、騒ぎを聞きつけてくる人はいなかった。
「騒いでも誰も来ませんよ。他の職員はもう定時で上がってますからぁ。残っているのは当直の私と、ギルドが雇っている冒険者が一人だけですし、彼はこちらの仕事には関わってこないのでぇ。嫌ならまた後日どうぞ?」
身分証がないワシは、宿が部屋をかしてくれないというのだから、はやくギルドカードを手に入れて、ゆっくり眠りたい。
「もう良いよエルフィ。ありがとう」
「アッシュくん!? でも!」
カエデに目で頼んで、エルフィを抑えてもらう。
「アンティネラさん。いくつか聴きたいことがあるのですが?」
「は〜い、手短にどうぞ」
「試験の内容と、合格条件を教えてもらえませんか? ワシはどうやら『山河の民』とこちらで呼ばれている部族の出身で、この国の常識に疎いのです。知識を確かめるテストがあったら、合格する自信は皆無なので、他の生き方を考えるか、勉強する方法を見つけないといけないですからね」
笑顔のアンティネラの目の奥に、賄賂が出せないならさっさと帰れ、と書いてあった。
「へ〜、そうなんですか。まあ、今から本当にやるなら〜冒険者として必要最低限の戦闘力を示すだけで良いですよ? クリアできたら仮の身分証を発行してあげます。他にもいろいろ適性を調べる検査があるんですけど……今日はもう私しかいないので、できませんから。明日またきてくだい」
「じゃあ、それで。実力を示せば良いんですよね。何と戦えば良いんですか?」
「ウッドゴーレムです」
……ふむ。
それは、人がすっぽり入る植木鉢から、大きな扇状に広がった幹と枝。その先には人の形に似た大きな実がなっている。
「これがウッドゴーレム?」
「ええ、そうです。うちの支部長が丹精込めて育てた『ウッドゴーレム』です」
アンティネラにつれられて、ワシらはギルドのロビーの隣にある、床に土が敷き詰められた広めな部屋にきていた。
「何言ってるんですか!? これはどう見ても『千年樹ゴーレム』じゃないですか!」
「んん? どう違うんだ?」
しらを切るアンティネラにヒートアップするエルフィを置いておいて、ワシはカエデに尋ねた。ワシが盗賊相手に戦っていた様子を遠くから見ていたらしいカエデは、大してあわてていない。
「すぴ〜」
ていうか、寝てた。立ったまま寝てた。器用だなほんとに。
盗賊に襲われ、傷つきながらこの二日間ほぼ一人で御者を引き受けたカエデは、さすがに限界が来ていたらしい。
「あの、カエデが限界みたいなので、早く終わらせたいんですが?」
「アッシュくんダメです! 『千年樹ゴーレム』は『ウッドゴーレム』の千倍強力な魔術兵器なんです。勇者パーティの訓練や軍対軍の演習でつかわれるようなモノなんですよ!? 相手をするのが一体だけとはいえ、多少腕がある程度ではぜったい勝てません!」
うーん、『魔術』と聴くだけでワシはたいしたことがないと思うんだよなぁ。見た感じ、あの樹ってトレントを人工的に再現しましたって感じだし、たいした魔力を感じないんだよなぁ。
「とりあえず、エルフィはカエデをみててくれ。アンティネラさん。連れが疲れて眠ってしまったので、今すぐ始めてもらって良いですか?」
「もちろん。私も秒で終わってもらえると、非常に、助かるので」
ワシはエルフィの呼ぶ声を無視して前に出る。
アンティネラが持っていたジョウロで植木鉢に水を注ぐと、樹についていた実の一つがみるみるうちに三メートルほどに巨大化した。
「うわ、けっこうデカいな」
「あ、怪我をしても治療費は出せませんのであしからず」
「あ、あなた何を……アッシュくん!」
枝から切り離されて、少し堅そうでいびつな樹皮を形成した巨木人が地面を揺らしながら歩いてくる。夜も深まる時間なのでこの地響きは近所迷惑じゃないか、と思い自分から近づいていった。
うっすらと青く魔力で光るゴーレムの目を見上げ。
「はーやっぱり」
ワシは振り上げられた腕が振り下ろされるのを待った。
「デカい奴と戦うのって、大変なんだな」
引き絞られた弓から矢が放たれるように、丸太のようなゴーレムの腕が豪速で落ちてくる。
ワシはそれをすれすれで避けて、片手で横から掴んだ。ちょっと力を込めれば、指がえぐり込んでフックする。
「これで近くなった」
余った片方の手を指を立てて突き上げれば、人の心臓があるいちにあっさりとめり込んでいった。指先に、ひときわ堅い感触。
さっき見えた通り、心臓の位置に人のこぶし大のコアがあった。ワシはさらに腕を深く突き込んでコアを掴み、握りつぶす。
すると、ゴーレムの体が溶けて、熟れすぎた果実のような甘ったる〜い匂いの液体が降りかかってきた。
「え、え? うそ……」
少し離れたところから、アンティネラのつぶやきが聞こえてくる。
「アッシュくん! 大丈夫!?」
カエデを引きずって、エルフィが走ってくる。
植物の実には真ん中に種があるからもしコアがあるならここだと思ったんだけどまさか壊したら腐って溶けるなんて思ってもみなかった。こんなことになるならファイアーボール(笑)でもブレスでも何でも良いから1発目で焼却しておけばよかったなぁ。ああくさい。
「アッシュくん?」
「あ、ああ怪我はないけど」
呆然とこちらを見ていたアンティネラを見返していう。
「合格で、良いよな?」
「は、はい! はい、もちろんです!?」
そのあと、仮の冒険者カードをもらい、ついでにアンティネラに良い感じの宿を割安で手配をしてもらい、ついていた風呂で汚れを落としたワシらは、泥のように眠った。
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