第4話 エーデルフィとカエデ

 ワシは走り出した。

 聞こえた限り、若い女の子が二人、森の向こうで悪い男達に襲われている。



 とにかく急がないと、手遅れになる!


 そう思って、ワシは力一杯、地面を蹴った。



「え?」



 風が耳もとで鳴り、景色が空を飛んでいるかのように流れていく。


(Q)ちょっと樹の幹にしがみついただけでへし折ってしまうこの体が、本気で走ろうとしたらどうなる?

(A)一歩目からめっちゃ跳ぶ。


 ワシがさっきやってしまった『ファイアーボール(笑)』の射程を跳び越え、その先の森も越える。

 みるみるうちに近づき暴力の様子が見えてくる。倒れた馬車ともがく馬、地面にはそのほかにも幾人か上等そうなハーフプレートの鎧を着た男たちが死体となっている。略奪を働く数人の男達、茂みに引きずり込まれる少女、その子を助けるためか戦うドレス姿の女性が少し離れた場所にいた。

 

 ワシはそのど真ん中にむけてダイブ。

 

「どけどけどけぇ!」

 

 ワシが叫ぶと、ヒャッハーとフィーバーしていた暴漢たちの動きが止まり、上を向いた。



 ——うわっ、止まるなよ!



 あわててワシは身を捻って、誰にも衝突することなく着地を決めた。

 

 今のこの体は大して重くない。人間の年齢として、15さいくらい。少年と青年の間くらいの体格だが、約2キロも跳んできた着地の衝撃は相当なものだったらしい。

 また、地面にクレーターができている。

 

 膝と両拳を地面に突き立てた姿勢から、ワシが立ち上がると、近くで尻餅をついていた薄汚い暴漢の一人が立ち上がりつつ叫んだ。

 

「なんやこのヘンタイ小僧!」

 

 たしかに。ワシってばいま全裸だもんな。あんまり早い速度で動いたから、空気との摩擦で肌が赤くなっているのも、この状況だと興奮しているように見える。

 

 なるほど。でもワシ、めちゃくちゃ冷静なんだが。むしろ少し後悔しているくらいだ。

 

 適当な葉っぱで股間だけでも隠しておけばよかった。

 

 ドラゴンだった頃は知らなかったよ。人前に裸で出るのがこんなにも恥ずかしいなんて……。

 

「通りすがりの冒険者だ!」

 

 とりあえず片手で隠しながら、さび付いてキレなさそうな小剣をむけてくる男に叫ぶ。こういうのは一歩でも退いたら舐められるからな。長かった竜の一生。何度も冒険者と戦ってきたけれど、ちょっと下手にでると調子にのるアホは何人も見てきたからわかるんだ。

 

「は? 冒険者だぁ?」

 

 小剣を向ける男は一瞬きょとんとした表情をして、大声で笑い出した。

 

「こいつぁ滑稽だぜ! 冒険者とか言いながら、武器もねえし、防具もねえ! それでオレらの仕事場に飛び込んできて、なにしようってんだ、ああ?」

 

 ずいっと近づいてくる暴漢。顔に大きな傷あとがあり、けっこう厳つい顔をしている。

 ワシはまあまあ落ち着いてと手をあげた。

 

「その子を茂みに連れ込んでナニをするのかはしらないがムリヤリはよくない。やめるんだ」

 

「かっ! おめぇどっかの貴族の坊ちゃんだな? しかもヘンタイたぁ——」

 

 おそらく、よくしゃべるこの男がここにいる暴漢たちのリーダーなのだろう。

 

「生きてる資格、ねぇんじゃねえか!」

 

 そういうと、スカーフェイスの男は数歩の距離を一瞬で詰めて、小剣を突き出してきた。

 目にとまらぬほどの突きはまっすぐワシのノド元をねらって進んでくる。

 ドラゴンのノド元には、逆鱗がある。この体にはもう無いけれど、その頃のくせで両腕をクロスして防御してしまった。

 

「あ?」

 

 勢いのあった突きはワシの両腕にはさみあげられ軌道がずれた。そして、眉間に突き刺さる、と思ったがやっぱり剣がさびているせいか、ワシの肌には通用しなかったみたいだ。突進力を重たい頭に受けてすこし後退させられた。

 

 しっかりと技術を感じさせる突きだ。

 

 となれば、これだけ近づいて両腕を上に上げさせたのだから、次の連戟で下の急所をねらうのは定石。つまり股間か腿の付け根の関節に蹴りを入れてくるか切り上げがくる。いくら頑丈になっても人間の体の中心が急所であることには変わりない。そう思って思ってワシはすぐさま手を下げた。

 

「ああ!? てめぇマジで何者だ!? 突いた鍛造のショートソードの方が欠けるなんざ、普通じゃねぇ!」

 

「さあ? その剣がなまくらだったんじゃないか?」

 

「なわけあるか! くそ、傷も無しとか、どうなってんだ!?」

 

 創造神様に頂いたこの冒険者の体がそんなちんけな鉄の剣ごときで傷つくはずがないだろ。とは口にできなかった。正直、ワシもこの体は人間としておかしいと思っているし、この男に正直に話しても、どうせ耳に入らないだろう。それに。

 

「あーちょっとまて、そこの奴、止まれ。ワシの気をそらせばそのうちに連れ去れると思うなよ。見えてるからな」

 

 挑みかかってきたこの男がワシの注意を引いて、仲間が少女を連れ去るなんてさ。

 

「なんの相談もしていなかったのに、ずいぶん手際がいいなぁ」

 

「かっ! 剣が効かねえなら、魔術で殺せば良い! サスペンダ、オープン『閉じ込めろジルヴェストル』!」

 

「魔術? 魔法じゃ——!」

 

 声が出ない。息もできない。でも……あんまり、苦しくないな。

 

 魔術という聞いたこともない技を使った男は、こちらに手のひらを向けたまま、得意げに笑っている。ワシの体の自由を奪った訳でもないのに、なんでそんなに得意げなんだ。もしかして、時間が経ったら聞いてくる系の技なのだろうか。

 なら、止めさせたほうが良いかもしれない。この体はとても頑丈だけど、魔法への耐性がどれほどあるのかは確かめていないから。



 ……呪文を聞いた感じ、ワシがシルフを使役する魔法に似ていたな。



 そう思って、体に充ちた魔力に意識を向けてみれば、口から肺にかけて、緑色の魔力が入り込んでいた。あの男の呪文で『ジルヴェストル』と言っていたのは、シルフの別名だ。ワシ自身、元をたどればサラマンダーから受肉したドラゴンなのだから、魔法と関わる四大妖精の別名ていどがわからないはずもない。

 

「しかし、こんな消えかけのよわよわしいシルフで何がしたいんだ?」

 

 ワシは口に手を突っ込んで、入り込んでいた魔力のかたまりを引っ張り出す。

 

 握りつぶしてやれば、ムリに形成された自我さえない妖精は自然に還った。

 

「チィ、あっさりレジストしやがった。……魔術も効かないってか。化け物め」

 

「失礼な、ワシは人間の冒険者だ」

 

 元ドラゴンだけど。

 

「おい、もういい。ずらかるぞ!」

 

 ワシとにらみ合っていた小剣の男に別の男が声をかける。すると、暴漢たちはばらばらに逃げ出した。だれも反論しない所をみると、あらかじめしっかりと計画してあの少女たちを襲ったということか。ほんとうに段取りがいいなぁ。

 

「おいてめぇ。せいぜい夜道には気をつけるんだな!」

 

「いや、だから、どさくさに紛れてその子を誘拐しようとするなって」

 

 少女を連れ去ろうとしていた男の元に走り込み、腕を掴む。うっかり跳ばないていどのちから加減でのダッシュだったが、秒も掛からず男の元に到着。

 

「——ぃっっっづ!?」

 

 掴んだ男の腕から、ボキッっと骨の折れる音が聞こえた。

 

「あ、すまん」

 

 男は少女を取り落とし、ワシは慌てて男の腕を放す。握りつぶしてはいなかったが、男の腕は変なほうこうに曲がっていた。加減がわからんぞ。

 しかし、男はたいした悲鳴もあげず、ワシと少女を見比べて固まる。

 

「この子は渡さないぞ」

 

 そもそも、この女の子ともう一人、従者らしき女性を助けるためにワシは跳んできたのだ。それ以外はなにを持って行ってもワシはかまわないが、二人はダメだ。

 

「くそっ」

 

 睨みをきかせると、男は諦めて逃げていった。

 

「さて……大丈夫か?」

 

 ワシは足下震える少女に視線をおとす。すると、呆然としていた少女はワシをみてびくっと震えた。おそらくとても上等なドレスだったのだろう浅黄色の衣服はところどころ赤く染まり。スカートや袖が破かれ、脇や太もものきわどい所まで白い肌が見えてしまっている。しかし、顔は赤いが本来艶やかに染まっているはずの手足に血の気が見られない。

 

「——っ!」

 

 横向きに転がったまま少女はもぞもぞと膝をかかえ、うずめた顔を耳まで赤くしながら動かなくなった。

 

「怪我はないか?」

 

 ワシが膝をついて、目線を下げて尋ねるが反応なし。よくよく観察してみると、わずかに手先が震え、血管が浮いて脈打っているのが見える。

 

「……麻痺毒を盛られているのか? ちょっと待ってろ」

 

 いつ頃からかは、はっきりしないが、竜のときに相手にしてきた冒険者が強力な毒を使って攻めてくるのが定石になった。ワシも多くの毒に苦しめられた記憶がしっかりとこの魂に刻まれている。竜の体にはだいたいどんな毒も効き目がうすいのだが、麻痺毒はなかなか厄介だったのを覚えている。

 

 ワシは少女が連れ込まれそうになっていた森の茂みに踏み込むと、ある植物の葉を探した。

 

「……あった」

 

 50メートルほど分け入ると、少しひらける。そこにはギザギザして細長く、茎が赤紫色をした毒々しい葉を持つ植物が群生していた。

 

 適当な大きさで、色が鮮やかなものを選んで、ひき抜くと。


 

「んぎゃああああああああああ!? 食べないでええええええええええええ! 見逃してえええええええええ! いやああああああああああああああ!」


 

 女性の悲鳴で、抜いた植物の根が泣き叫ぶ。これが、ワシの話し相手だった『マンドラゴラ』だ。なかなか立派なものがとれたな。

 

 マンドラゴラが放つ緋色の魔力を伴った悲鳴は、聞いた者の魂を揺らして崩す効果があるのだが、まあ、ワシには効かん。ドラゴンの魂は、しゃべるニンジンの泣き声で揺らぐほど軽くない。

 しかし、煩いのには変わらないので、ワシの魔力で包んで黙らせた。

 

 ぽろぽろと涙を流しながら「なんでぇ。なんでドラゴンが人間の姿なのぉ。おいしくないよぉ。わたしおいしくないよぉ」と泣きべそをかく。見たところマンドラゴラの姿はなかなか整っていた。土の中で数十年過ごせば、地上に出て立派な『森の妖精』に成長するだろう。

 

 ただ。

 

「安心しろ、ワシはお前のような美人株をまるごと薬にしたりはしない。ちょっと腕一本、その余分なやつをもらい受けたいだけだ。美しい『ドライアド』になるにはじゃまだろう?」

 

 腕が一本多い。このまま成長すれば、これは自らの醜くさに怒り狂い暴れる樹『トレント』になる。マンドラゴラが『ドライアド』になるには神の形に近ければならないが、そうなるとこの一本がじゃまだ。

 

「え、ああ!? ほんとだなにこれぇ! 可愛くない、可愛くないよぉ!?」

 

 ちょうど右肩の上にひょろっと生えた、痩せ細った腕のような根を、反対の手(?)でぺしぺし叩くマンドラゴラ。気づいてしまえば気になるのかうずうずと体(?)を捻って腕を手折ろうとする。

 

「おいおい、やめろ。自分で自分の腕を引きちぎれる訳がないだろう」

 

「や〜だ〜。とって〜、これとって〜」

 

「わかったから暴れるな。変なところまで折ってしまうかも知れない。今のワシはかなりのぶきっちょだからな」

 

「う〜」

 

 大人しくなったマンドラゴラの体を掴む。握りつぶして仕舞わないようにそっと。

 ワシは髪の毛である茎と葉からもう片方の手を放し、三本目の腕をつまんだ。

 

「いくぞ。ちょっと痛むかもしれない」

 

 マンドラゴラに動物のような神経は通っていないが、聞くところによると、どこかを失うと強烈な喪失感があるらしい。神殿の水場にいた知り合いのマンドラゴラはそれを「痛み」だと言っていた。

 

「……がまんする」

 

 目(?)を潤ませてそういったマンドラゴラにワシは頷いて、折った。

 

 そして、食べる。

 

「あ? あぁ〜ない〜痛いよ〜」

 

「土の中に戻れば気にならなくなる」

 

 折った細い根を噛みながら、泣きじゃくるマンドラゴラを土の中に埋め直した。

 

 マンドラゴラの群生地から少し離れる。そして跳んで戻ろうとして、思いとどまった。そこら辺の樹の皮を毟って、腰に巻く。皮を毟った後の樹の幹は『ファイアーボール』にもならないただの魔力の塊でなでて、表面を焼いておいた。こうすれば、病気にはならないだろう。一応隠すべきものを隠したワシは、森を跳び越えて、少女の元へ戻る。今度はクレーターを作らずに着地できたぞ。だんだん、この体の使い方もわかってきたな。

 

「いま、楽にしてやるからな」

 

 ワシは少女の手をとり、その指先にかみつく。

 

「あっ!?」

 

 鼻の奥に錆た鉄の匂いが広がった。

 

 噛んでほぐし魔力で煎じたマンドラゴラの根からは薬効が引き出されている。それを付与されたワシの唾液を少女の血と混ぜた。

 

 しばらくそのまま観察していると、白い肌にうかんでいた青白い血管が消えていく。肌の色づきもどんどん健康的な色に変わっていった。無事、解毒に成功した事を確認してワシは咥えていた指をはなす。

 

 マンドラゴラは単体では強力な毒草だが、ちょっと手を加えてあげればこのように優秀な万能薬となる。一人でさみしい時は話し相手になってくれるし、ほんとうに優秀な植物だよ。

 

「あ……ありがとう」

 

「立てるか?」

 

「……はい」

 

 ワシが手を貸してやれば、手足に活力が戻ってきたのか、少女は苦労せずに立ち上がった。ワシよりも少し身長が高く、なかなか立派な二つの山が、ぽよんと目の前で揺れる。

 

「あの、助けてくれて、ありがとう」

 

 どうやら、肉体的にはワシのほうが若そうだ。精神的には世代が違うほど年下だが。

 

「気にしなくていい。ワシは当然のことをしただけだ。交尾はちゃんと同意の上で行わないと、最後にはだれも幸せにならない」

 

 自分で言って、チクチクと心が痛んだ。身につまされるようなことは覚えがない、というかワシは童貞だったので身に覚えがあるはずがない。なんだろうな。これは。

 

「こ、交尾!?」

 

 そんなワシのモヤモヤはつゆ知らず。少女の顔が真っ赤に爆発する。

 そういえば、この子くらいの年代の冒険者たちは、神殿に入ってくる前のキャンプで盛大に盛っていたな。普通のドラゴンの発情は期間があって、その間は夜も昼もなく雌を追いかけ回す。でもどうやら、人間は期間に関係なく夜になるとやりたくなるタイプらしいとおもっていたのだけど。空をみると、白い太陽はまだ高い位置にあった。

 

 勘違いだったみたいだ。

 

「ところで、君に一つ聞きたいこと——」

 

 まあ、そんなことは今はどうでも良い、と置いておこうとしたら。

 

「エルフィお嬢様!」

 

「あ、カエデ! 無事だったのね! よかった!」

 

「お怪我はありませんか?」

 

「え、ええ、彼に助けてもらったから大丈夫。貴女こそ怪我だらけじゃない」

 

「平気です。鍛えていますから。ところで、この少年は味方ですか。敵ですか?」

 

 突然、後ろから現れた身のこなしが水のようになめらかな従者の女性——カエデにワシは置いてけぼりにされてしまっていた。

 エルフィというらしい少女とワシの間に体を滑り込ませ、カエデは盾となる立ち位置に立つ。

 

「か、カエデ? この人は私を助けてくれたのよ? そんな言い草は」

 

「お嬢様。賊に襲われたところを都合よくヒーローが助けてくれるほど、この世界は優しくありません。人は利がなければ動かないのです。……少しは人を疑う事に慣れてください」

 

 なるほど、カエデはワシをあの暴漢どもと結託していることを疑っているのか。

 あいつら、ワシに敵わないと知ってあっさり引き上げたからなぁ。

 わからんでもない。

 

「カエデとやらのいうとおりだ。ワシは自分の倫理観から外れたことが目の前で行われるのが気に入らなくて君たちをたすけた。あと、迷子なので街までの案内を頼みたい。それと冒険者のパーティーが集められる場所を紹介してほしい。あ、あといくらか謝礼金をくれたら最高だ。とある事情で懐がすっからかんなんでな。ムリにとは言わないが」

 

 なんかヤバそうな状況から助けてあげれば、この程度のことは効いてくれるだろう……と適当な理由を今考えながらワシはしゃべる。カエデに信じてもらうには言い過ぎぐらいがちょうど良い、とたいした根拠もなくそう思う。

 

「君の言うとおり、ワシは利がありそうだから君たちを助けた」

 

 そう、胸を張って宣言した。

 カエデは眉を顰めて油断無くワシを観察している。エルフィはその後ろから手で顔を隠して、指の隙間からワシを覗きみていた。

 

「とりあえず……」

 

 エルフィの反応がおかしい。

 

「服を着なさい、このヘンタイ!」

 

 ぱさっと、裂けて短くなった樹の皮が風に吹かれて転がっていく。




 それから数分後。

 ワシは襟の隙間から風が入り込む感覚のくすぐったさを味わっていた。

 

 ワシが今着ているのはエルフィが倒したらしい賊の一人から、ちょっと拝借したモノだ。見た目は汚いが、嫌なにおいもせず、案外しっかりした作りになっている。少しばかり大きくて不格好だが、着れないことはない。

 これをみて、やっぱりただの暴漢じゃなかったんだなぁと思ったが、わざわざ事情を詮索する必要も無い、とワシは思う。

 

 まともな人間の格好になって、ワシもほっとしたし。勝てない相手ではないならもう一度襲われてもなんとかなるだろう。

 

 なにより、事情を訊こうとしたら、いつの間にか背後に現れたカエデがスッと腰回りにナイフを突きつけてくるんだ。恐ろしくて訊けやしない。

 

「すみません。盗賊から助けていただいた上に、馬車も直してもらって、馬まで」

 

「いいんだよ。ワシも一度馬車旅というのを経験してみたかったんだ」

 

 ワシは飛んでいるわけでもないのに、そこそこの早さで流れていく景色を眺めながらそう答えた。かたかたと尻から伝わってくる振動がおもしろいな。

 

「それに、馬車は作りが良いのかほとんど壊れていなかったし、馬も無事だったのだから、ワシはほとんど何もしてないぞ?」

 

「そうですね」

 

 馬車の操縦ができるのがカエデだけだったので、御者の選択肢はなかった。だが、彼女はワシとエルフィを二人だけにするのが許容できなかったらしい。もともと壁があったところをワシにぶち抜かせて、シースルーになった御者台からカエデが会話に割り込んでくる。これ、雨が降ってきたらどうするんだろうな?

 

「カエデ! 失礼ですよ!」

 

「すみませんお嬢様」

 

「それに、まだ名乗っていませんでした。私の名前はエーデルフィ・アナスタシア。親しい人はエルフィと呼びます。彼女は私の侍女で、カエデ・コンロン」

 

「ああ、ワシは……アッシュ……フォートロイだ」

 

 ふたりとも名字を名乗ったし必要だと思ったので今でちあげた。聖城竜の古語読みから語感を似せている。

 

「アッシュさん、とお呼びしても? 私はエルフィと呼んでください」

 

「アッシュでいいぞ。エルフィのほうが(肉体年齢は)年上ッぽそうだからな。ワシはこれでも15歳だ」

 

「え?」

 

 エルフィがワシを見たまま固まる。そんなに老けて見えるのか? まあ、確かに中身は苔むしたノーム並みに老けてるがねぇ。

 

 ときを止めたエルフィに変わり、たいして動じていないらしいカエデが振りかえりつつ話しかけてくる。

 

「アッシュ。一番近いカルラの街まで歩いたら三日かかります。その間、あの賊がいつ襲ってくるのかもわかりません。野営道具などの荷物はほとんど奪われてしまって、徒歩での移動は危険極まりなかったので、今回の事には感謝しています」

 

「気にしなくていいぞ……というとほんとうにカエデは切り捨てそうだから、さっき言った条件をいくつか守ってくれればかまわない。特に冒険者として生きて行くにはどうすれば良いのか。ワシは田舎育ちでまったくわからんのでな。どこかのパーティに潜り込んで勉強したい」

 

「承知しました。その様子だと、アッシュは冒険者ではなく、冒険者を志す頭のおかしい田舎貴族の子女といったところですか」

 

「え、おい。それ、誉めてないだろう」

 

「アッシュの立場を的確に掌握しただけです。ですのであまりお嬢様に近づかないでください。ヘンタイの匂いがお嬢様に移ったらどう責任をとるんですか」

 

 言うだけ言うと、カエデは前を向いてしまった。のぞき込むと、そっぽを向くカエデさん。

 

「いや、あれには事情があってだな。好きで裸だったんじゃないのだよ? きいているかい?」

「……」

 

 無視だ。目を合わせさえしない!

 

 不意にガタン、と馬車が揺れて、バランスをくずしたワシは一番端の座席に戻された。

 エルフィはワシの体が自分よりも年下だったことにたいそうな衝撃を受けたのか。空を見つめたまま帰ってこない。



 ……やれやれ、なんだか変な二人を拾ってしまったなぁ。

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