第3話 第二の人生のはじりまりは、空

ばふぉっとから抜け、顔もまつげも鼻毛も凍らせる風にワシはたたき起こされた。


 

「うおおおおおおお!?」


 

  大海のうずしおの中に飲み込まれたと思ったら、大空を墜落していた。どうやらあのどこまでも水面が続く空間は、この大空のさらに上にあったらしい。

 

 このまま落ち続ければ、1分もしないうちに大地に激突する。いくらドラゴンの体が頑丈だと言っても、自分の重さに比例する衝撃を受け止め切る事はできないだろう。そうなれば、とても痛いに違いない。

 

 しかし、大空は竜の縄張りだ。いくらワシが生まれてこの方一度も大空を見たことがなくても、魂に刻まれた竜の本能が空を掴む方法を知っている。ワシは本能に聞いた。

 

 今すぐ羽を広げれば、なんの問題も無い。

 

「……あれ?」

 

 体の芯にあるいくつもの門を操って、背中に魔力を集めていく……が。

 

「ワシの翼はどこだ?」

 

 あってしかるべき感覚が、まったくなかった。

 両手を見る。

 

「わあ、人間の手だぁ」

 

 半分現実逃避的に、小さく白く丸っこくなった両手を背中に回し、確かめる。

 顔を触る。鱗がない、平たい! 尻に尻尾がない!

 

「に、人間になってる〜!?」

 

 体は人間、しかし心は未だドラゴンのまま。

 

「あわわわわッ!?」

 

 悠長に驚いている暇はなかった。ワシは濃く茂った森に墜落し、地面に「逃げるサボテン埴輪」のポーズではんこを押して、土にまみれた。

 

「い……生きてる。生きてるよワシ」

 

 衝撃で頭がクラクラする。一メートルほどの深さまでのめり込んでいたのを、土をかき分けて這い上ると、そこはどこかもわからない森の中。

 ワシの人型が型抜きされたその周囲は、クレーターになってしまっていた。

 

 ワシは土竜もぐらじゃない。けれどもう、竜でもない。しかし、人間なのか?

 

 細く、土に汚れた両手を見る。

 

 白い皮膚には血管が浮いていて、貝殻のように薄く小粒な爪と指先の間には泥が詰まっていた。体を確かめてみれば見た目ははっきり言って貧弱だ。腕や足は棒のように細いし、胴体の太さはそこら辺に転がっている倒木にも届かない。うっかり殺さずに追い返すのに苦労したあの冒険者達と同じ、脆弱な体のようだが。

 

「普通の人間は空から落ちて地面に激突したら、死んでしまうよなぁ」

 

 手を握ったり開いたり、屈伸、背伸びをして見るも、頭を打って痺れている以外にたいした怪我はなかった。

 

 この姿は、創造の女神さまがワシの「冒険者になり、冒険がしたい」という願いをかなえてくれた証拠だろう。では、この人間とは思えない頑丈さはどういうことなのか。

 

 ワシは空を見上げて、神の真意をしばし考えた。

 

 しかし、ワシなんかに神の考えがわかるはずもない。わからないから神は尊いのだとワシは思う。

 

「……とりあえず、服を探さないといけないな」

 

 下を見下ろし、ワシはあてどなく歩き始めた。

 

 できるならば、冒険者らしい麻のシャツに革鎧と革ズボン、編み込みのブーツがほしいところだ。剣もほしい。弓も良いだろう。魔法の杖……は、ワシは魔力を直接操れるからいらないかもな!せっかく冒険者になったのだから! とりあえず、人間の街はどっちだ!?




 森が深すぎてどちらに行けば街に着くのか、さっぱり見当がつかなかった。

 

「困ったなぁ。空が飛べればどっちに何があるのかわかるんだが、翼はもう無いし。人間は飛べないし」

 

 何度も言うが、ワシは竜として生きてきた間、一度も神殿から出たことがなかった。

 

 初めての森歩き。右も左も、さらには東西もわからぬまま、いつか森を抜けるだろうと思って進んでいたが、さすがに不安になってきている。背中や首筋を蚊に食われて痒い。じめっとした空気がまとわりついて気持ち悪い。地面に落ちた小枝が刺さって歩きにくい。思えばこれも冒険ではあるのだろうけど、地味で厭だ。楽しくない。早く抜け出したい。

 

「なにかないか? そういえば、人間って木登りが得意だったな」

 

 神殿守の頃、ワシに挑んできた冒険者の中に神殿の柱に上り、飛び回って切り込んでくるすごいやつがいた。あんな風に木々を飛び回ることはできなくても、てっぺんまで登ることくらいはできるのではないだろうか。

 

「よし、じゃあこの樹に登ってみようか!」

 

 そうすれば、どっちに街があるか見えるだろう。

 

 ガシッと幹に抱きつく。

 

 爪がないからしっかり握らなければ、登れないだろ。

 

 そう思っていたときがワシにもありました。


 

 ……ビシッ、ビシッビシッ。

 

「んん?」

 

 傾いていく。

 

「おわわわ!?」


 

 折れた、今のワシの両手で抱えきれないほどぶっとい樹が折れた。

 

「……創造神さまー! この体いったいどうなってるんですかー!?」

 

 人間の体を与えてくださった創造神様にむけて叫ぶ。返事はない。

 

 ただ普通に樹に抱きついて、体が持ち上がる位に力を入れたら、樹をへし折ってしまった。

 

「ど、どうしよう。多分これ、人間として生きていくの、すごく難しくないか?」

 

 この細い腕からどうやってこれほどの怪力を出しているのかはわからない。別に怪力魔法を使っているわけではないし。そうなると、神様に作ってもらったこの体の、力の基準がおかしいのか。でも、神様がそんな単純なミスをするはずがない。

 

「うむ……」

 

 とにかく、普通の人間の冒険者として生きていけるように、この体の性能をどこかで確かめてみないといけないな。

 

「何から確かめよう。腕力は……おいておいて。そうだ。魔法は普通かも知れない! なんたって飛べなかったくらいだからね! よし、試しに『ファイアーボール』でも撃ってみようか! えーと、たしか魔力はこうで、ここをくぐらせて」

 

 ワシは冒険者の使っていた下級魔法の『ファイアーボール』を思い出し、模倣する。ワシは杖持ちの冒険者とは違い、直接に魔力を操れるので、魔法発現のプロセスをいくつかカットした。

 そしてできあがった、魔力紋を手のひらの上に展開。

 

 来た道で安全だとわかっている方向へさし向けた。

 

「炎の精よ。我が魔力を糧に毅炎の狼煙を上げよ。『ファイアーボール』っ!」

 

 呪文は戦闘中で完全には聞き取れなかった部分もあったので、適当だ。しかし、魔力紋の再現率は98%。杖を経由していた経路をカットしたくらいでほとんどいじっていない。これで、冒険者達が使っていたファイアーボールが打てるはず。



 キュウウウウウン……ドパアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!



 そう思っていた時がワシにもありました。……うん、ブレスだこれ!?



 赤も青も越えて白く閃光を放ち、森を突き抜けていく一条のファイアーボール(笑)。

 

 ワシが竜だったころ、つい数時間前神の世界で撃った本気のブレスと比べれば、射程も範囲も見劣りするが、おそらくその辺の成竜には勝っているだろう。

 

「ワシ、本当に冒険者としてやっていけるのだろうか?」

 

 まっすぐ一キロほど焼き開かれた森の向こうを眺めながら、ワシは一抹の不安を覚えた。

 

 この体での加減を覚えなかったら、ワシはきっと冒険者ではなくデストロイヤーになってしまうだろう。うっかり街を消し飛ばしたりしたら、ひょっとするとどこかにいるという魔王に間違えられるかもしれない。冒険者として冒険がしたいのに、それは嫌だ。

 

「まあ、殺さないように加減をするのは竜の時代にさんざん繰り返したことだし、大丈夫。なんとかなるさぁ」

 

 しかしワシ、開き直った。ここでくよくよ考えてもどうにもならないだろう。な?

 

 今はこの森を抜けて街に行くのが重要だ。人間として生きて行くには、人の集まる所にいなければ楽しくない。悪党退治で可愛い雌との出会い、仲間との団欒、そしておいしい食事。これは全部人の街に行かなければ手に入らない物だからな。

 

 とりあえず、切り開いてしまった森の先に何があるか、目をこらし、耳をすます。

 

 この体、どうやら竜のころの性能をそのまま受け継いでいるみたいなので、あの頃できたことは(飛行以外)代替できるのではないか。

 

 左目だけ、ぎゅんと視界が潜り込んで、超望遠になった。片目だけなのは両方で遠目をしたら周りが見えなくなるため危険だからだ。一キロさきに視点を合わせるが、まだ森の木々が広がっていた。

 

 しかし、その先から。

 

 風に乗って人の声が聞こえる。馬のいななき。木材のきしむ音。街道があるようだ。



「けけけ、えれえべっぴんじゃねえか。大人しくしておけば天国につれてってやるからよぉ。暴れんじゃね!」

 

「いやぁああああ! 放して!」

 

「お嬢様! お前ら生きて帰れると思うなよ!」

 

「安心しろよぉ。おめえもすぐにお嬢様の隣にならべてやるからよぉ!」

 

「——っ賊がっぅ」



 ぶつかり合う金属音。雌の悲鳴。ゲスの下品な笑い声。

 

「けしからんな」

 

 眉の間に深く皺が寄る。無理矢理交尾とは誠にけしからん。いくら性欲がたまっても、あれはないだろう。獣以下だ。

 

 ワシは走り出した。



 そして、また加減を間違える。

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