第6話 黒いプレゼント

 翌日、アメギのやつ学校をサボりやがった。

 あたしが起こしに行かなかったせいで、たぶん一日中寝てたんじゃないかなー。

 なんで起こさなかったかって?

 だってさー、起きて昨日のことをだんだん思い出してきたら、恥ずかしくて顔なんて合わせられないって!

 言葉にならない叫び声をあげて、思わず全力で床を転がりたかったところだけど、なんとか我慢したわー。


 学校がおわったあとも、アメギの様子を見にいかずに、あたしは家でずっと火の番をしていた。

 もの思いにふけりながら、これからのことを漠然と計画立ててたんだよ。


「モス子、お客さんだよ」

 気遣うような母親の声で我に返る。

 ああ、来ちゃったんだね、ガイニくん。

 きみも今日は学校を休んでたね。

 もてあそんでいた麻袋を胸元に入れて、あたしは外に出る。


 家の外で、うなだれ気味にイケメン転校生が立っている。そういう陰のある仕草もカッコいいじゃん。

 はれた口元に薬草をはりつけて、しゃべりにくそうだった。

 どう声をかけたものやらと戸惑っていたら、

「いろいろごめん」

 先に彼から謝ってくれた。おかげであたしもすんなり言葉が出てきた。

「別にいいよ。むしろ、あたしはお父さんに怒ってんだから」

 それじゃあガイニくんが殴られ損だけど、事実だから仕方ない。

「こっちこそ、あのバカが殴っちゃってごめんね。いろいろ気持ちの方も傷つけちゃったみたいだし」

「あれは自分でも無様だったと思ってる。取り乱しすぎたね。でも最後にあんなケンカができて、正直いい思い出になったよ」

 ガイニくんは薄く笑っていた。たぶん負け惜しみじゃないと思う。

「って、最後?」

「僕はまた転校しなくちゃならない」

 彼の足下には、すっかり荷物がまとまっていた。

「いまからこの村を出る。父親たちは先に行ってるから、今日中に追いつかなきゃならない」

 突然すぎる話だった。

「この村は稲作に関心が薄い。いやむしろ、抵抗感すらある」

 あたしが立ち去ったあと、火はすぐ消し止められたらしい。

 そして男達は、あたしのお父さんも含めてみんなが、「この件はなかったことにしてほしい」とガイニくんのお父さんに詫びたのだという。

 別にあたしに遠慮したわけじゃないんだって、仕事にいく前のお父さんが今日の朝そう言ってた。あたしの頭を、子供扱いしてなでながら。

「ごめんね。あたしたちは、林を捨ててまで生きられないんだ。ガイニくんたちは後進的だと思うだろうけど」

 転校生は肩をすくめた。

「時間をかけて説得する余裕はないんだ。もうすぐ春もたけなわ、どの村も一年で最大の採集シーズンが到来する。老若男女の誰もが林に山菜を求め、湖で貝をあさる」

 人手をつかう稲作の準備は、だからそれよりも早く始めなければならない。

「一日でも早く別の村に行かなきゃいけない。これを逃したら、今年一年を棒に振ってしまうから」

 本当はこの村で一年を過ごしたかったな。そんな未練が言葉のはしに感じられた。


「あたしね! あなたに渡すものがあるの」

 お詫びのつもりが、お別れの記念品になっちゃったけど……。

 としんみりしかけたときに、

「おう、帰ってたかモス子」

 雰囲気をぶちこわしにやってきた男が一人。

「アメギ! あんたなんで学校こなかったの」

「うちで説明する。ちょうどいい、転校生も来い」

「僕も?」

「どのみち明日にでも見せるつもりだった」

 興奮を隠さず足早に立ち去ろうとするアメギの腕をとって、あたしは耳打ちする。

「ガイニくん、転校するんだって」

「いつ」

「今から村を出るって」

「ずいぶん早いこった」

 なおさら間に合ってよかったな、とアメギは笑った。

 おいおい、ちょっとは残念そうにするとか、あたしの顔を見て恥ずかしがるとかしろよ。


「今日、一日かけて仕上げた」

 アメギの家の陰にあるものを見て、あたしもガイニくんも言葉がなかった。

「なにこれ」とあたし。

「土偶……だよな」とガイニくん。

 でかい。

 とにかく、でかい。

 あたしの知ってるのは、豊作を祈って畑で割るハンドサイズの土偶とか、どんなに大きくても一抱えあるジャンボ土偶ぐらいだ。それでも、それ一個で村全部の疫病よけにはなる。

 しかし、いま目の前にあるのは、それらをはるかに超える超弩級サイズ。ほぼ等身大といってもいい。

 誰の等身大かって? みなまで言わすな。


「焼き上がったのはだいぶ前だが、仕上げで行き詰まって、ずっと陰干ししてたってわけだ」

 ガイニ君の様子を見ずとも、ここまで巨大な土偶は、東端の都にもないだろう。

 いや、横にたっぷり膨らんだ太ましい体格は、実物以上のボリューム感がある。

「でかいからって造りが荒いワケじゃないぞ」

 太めのヒモを押しつけて、あるいは普通よりもはるかに荒い布を押しつけて模様を作っている。

 女性像ならではの曲線美は、へらで丹念に削って盛り上げて強調されていた。おかげで胸とか瞳がすごくカッコいいんだけど……現物と比べて美化しすぎだっちゅーの。


 全身を彩るベンガラだけが新しかった。それが昨日のあたしをなぞった記憶を一日かけて反映させたものだと、あたしにはわかった。

 この模様のおかげで、なまめかしいほどのリアリティが像に宿っている。

 模様だけを見つめているとクラクラしてきて、そのまま吸い込まれて土偶に抱きつきたくなる。おそろしいほどの魔力だ。


 そして極めつけが、全身の色だ。素焼き(テラコッタ)特有の赤みがかった茶色ではない。夜を溶かしてぶっかけたように黒くつややかに輝いている。

「黒と赤の配色ってことは、祭事に使う礼器を意識したな」

 ガイニ君の指摘であたしも合点がいった。そうだ、何かに似ていると思ったら、おだんごとか載せる器にそっくりなのだ。

「焼いたあとで何を塗ったんだ」

 この作品に圧倒されて近づけないでいるガイニ君のかわりに、モデルの特権としてあたしが触ってみた。

「あたたかい」

 槍先を棒にくっつけるベタベタの黒い油(土瀝青)よりも、ずっと人間味のある手触りだった。これは……。

「ウルシか」

 ガイニ君がうめいた。

「土器にウルシを塗ったんだな!?」

「そのとおり」

 してやったりという顔だった。

「これが俺からモス子への黒いプレゼントだ」

 へ?

「少々遅れたが、俺の最高傑作だ」


 あたしは――たっぷり数十秒はぽかんとしていた。

 だって、すっごい不意打ちだったし、そもそも黒い贈り物なんてもらったことないし、それになんつーか……普通、儀式用のヒトガタを女の子にプレゼントするかぁ?

「はぁ、ここまで土器ヲタクだったとは」

 うれしさよりも先に、ため息と笑いがこみあげてきたよ。

 季節も選ばず年中こうして土をひねってるのは、平野いっぱいを探してもこいつだけだろう。

「あのなあ。そもそも俺が粘土をいじりはじめたのは、おまえのせいだぞ」

 なんですと。

「大人の土器造りを見て、おまえがマネしはじめたのが五歳のとき。当たり前のように俺をまきこんだっけなあ。お前が喜ぶと思って、俺はシカとかイノシシとか頑張って作った。カエルもクジラもデザインした。いまじゃあこうして村一番の土器狂いってな身分だよ」

 おまえのせいでな、と再び強調する。

「そんなこと……あったっけ?」

 全然記憶にない。

「そんじゃあさ、なんであたしはいま土器つくってないのよ」

「すぐ、やめちまっただろう。あとから始めた俺のほうが上手いってのが許せないってさ」

 ようやく思い出した。

 そう、いつも先に興味を持つのはあたし。後からうまくなるのはアメギ。

 石割りだって、魚の罠づくりだって、この男はすぐにあたしを追い抜いた。

 お姉さんぶってたあたしは悔しいから、また別のことに挑戦して追い抜かされて、最後は粉ひきとか料理といった女子の領分に逃げ込んだってわけよ。

 あーなんか腹立ってきた。ぜんっぜん嬉しくない!

「んじゃなに? この大きな土偶は、あんたの晴れ晴れしい勝利を称えるトロフィーってこと? それとも記念碑?」


「不毛な会話の途中ですまないが」

 あたしがふてくされたのを契機に、ひどい言い草でガイニ君が割り込んだ。

「こんな大きな土偶を、どうやって作ったんだ」

 もっともなご質問。

 彼、あたしの数倍は衝撃受けてたしね。

 なにしろ、へなちょこ扱いしてたこんな田舎で、同年代のやつが前代未聞の土偶を作ったんだから心中おだやかなわけがないっしょ。

「この大きさの土偶なら、もちろん中空だろう」

 軽く叩くと、ごいんごいんと音が響く。

「それでも粘土は相当に分厚くなったはずだ。普通は焼きの途中で割れて崩れるのがオチだろう?」

「まあ、普通はそうだろうな」

 呑気に応じるアメギ。

「だが普通じゃないんだぜ。俺の村にあって、おまえの村にないものが一つある」

 ないものがあるとは、これいかに。転校生君は、要領を得ない顔で首をかしげた。

 もちろんあたしも、なんのことかさっぱりだ。毎日顔を合わせてるってのに、いつのまにそんな奥義を編み出したのよ。

「……ひょっとして粘土か?」

「この村のは最悪だ」

「じゃあ水だ」

「そんなのどこも同じだろう」

「さては、火起こしの名人いるんだな」

「職人なんていねえよ。強いて言えば、この俺が一番のベテランだなあ」

 アメギはあたしの方を見て、同意を求めるように笑った。

 はいはい、きっとそうですよと投げやりに同意する。

「わからん」

 アメギ君が降参した。

「だろうな。だから、転校するはめになった」

 気色ばむ彼を、土器オタクは手で制する。

「教えてやるよ。この村には、あいつがいるんだ」

 アメギが斜に構えた奇妙なポーズで、まっすぐあたしを指さした。

「あたし!?」

「もっと自慢げに胸はってろよ。奇跡を生み出す女神様なんだからな」

 昨晩あたしを崇めるように見ていた両の瞳が、アメギの顔に浮かんでいた。

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