第5話 月夜の儀式

 よくぞここまで泣き続けられたものだねー。

 わんわん泣いて、めそめそ嗚咽し、うにゃうにゃ愚痴って、それでもアメギはずっと黙ってそばにいてくれた。

 肌がふれるかどうかの微妙な距離で、同じように両足を抱えて座ってくれていた。

 ひとことの会話もなかったけれど、かえってそれが心地よかった。

 たぶんアメギもあたしと同じことで怒っていた。

 彼はあたしの味方だ。


「ありがとう」

 聞こえるかどうかの声であたしがいうと、彼が小さくうなずくのがわかった。

 革袋を模した形の土器が腰で揺れていた。

「あんにゃろに、頭からぶっかけてやれば良かった」

 土器の染料ツボだった。

「作業中におまえの声が聞こえて、夢中で走ってた」

 ありがとう。

 今度は声に出さなかったのに、アメギはわかってくれた。


 すっかり暗くなって、月が真上に来ている。

「月はいいね。じいっと見つめていられるから」

 太陽は横柄で傲慢だ。決して見ることを許さない。

「月はやさしいからな」

「アメギもやさしいね」

 本当は強いのに、それを隠してるってカッコよくない?

「そうか?」

 ふっと笑う気配。


 そういえば、あたしが河で溺れそうになったときも、狩りでやばくなったときも、なぜか助けてくれたのはいつもアメギだった。

「いつも助けられてるね」

「近くにいるからな」

 ほんと、どうしてだろう。子どもの頃の思い出というと、なぜか端っこに必ずこの男が映っている。

 そっか、お隣さんだからだ。だからお互いをよく知っている。

「あたし、アメギの家の秘密も知ってるんだよ」


 一生ぶんを泣きつくして、あたしは干からびたクラゲのように身も心も軽くなっていた。

 月の光を浴びすぎて、心が高揚していた。

 むかし隙間からのぞき見た呪術医の踊りを、あたしは舞った。

 両腕の骨の腕輪がしゃりんしゃりんと乾いた音を立てる。

 月の引力は、操りの糸。

 打ち寄せる波は、太古からのリズム。

 即興も混ぜて、一心不乱に踊った。


 どうしてよりによって、この舞なのか。

 あたしが舞ったのは、お産小屋で覗き見た安産の舞だった。


 子どもが生まれるのは、たいていが夜――とりわけ多いのは満月の夜なんだ。

 こんなにも妖しく美しい光のまんまるを見たがって、赤ちゃんは母親の胎内から這い出してくる。

 月は、命を引き寄せるのだ。


 けれども、この力が強すぎると、母親の命まで引き寄せてしまう。

 子どもを産んで、そのまま死んでしまう母親のどれだけ多いことか。


 月は命を惜しみなく与え、奪う。

 破壊と再生をつかさどる。


 アワを刈ったあとの畑に、新芽が芽吹くように、去った命は、また戻ってくる。

 切れた縄は、またつながる。


 アメギは月の光にあてられたのだろうか。

 舞が終わって、あたしが息をついでいる間も、魅入られたようなトロンとした目でずっと上気したあたしを見ていた。


「どう?」

 一呼吸おいて、

「きれいだ」

 そう応えがあった。

 そんなこと言ってくれたのは初めてだね。


 アメギはツボから細いヘラをとりだした。

 先にはベンガラを溶かした真っ赤な泥。

「おまえを……なぞらせてほしい」

 ヘラを正眼に構えながら、アメギは今まで見せたことがないほど真剣な表情をしていたから、

「うん。いいよ」

 音もたてずにあたしは、月夜に裸身をさらした。


 透明になったあたしを透き通って、満月がアメギの両の瞳に映り込んでいる。

 アメギのヘラが私の額に置かれる。

 出しゃばりな眉間から始まり、黒目がちな眼の回りを念入りに隈取り、ほおをなぞり、小さな口元をかすめて首筋から肩胛骨に朱線が引かれる。

 ヘラがようやく乳房に達すると、赤い輪が幾重にも囲みはじめた。


 あたしの身体がつぎつぎと解体され、肉を失い、赤い曲線に変わっていく。

 耳をすませても、聞こえてくるのは月の息づかいだけ。

 この世界に二人の影はあっても、心は一つだけだった。

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