第4話 お父さんの林が燃えた

 しつこく誘ってくる転校生に、あたしは七日ほどで折れた。

 別に結婚を前提につきあいましょうとかじゃなくて、

「稲作の仕込みを見せてあげるよ」

 って誘いに乗っただけ。


 ガイニくんは女子どもがいうほど子どもっぽくないし、頭も性格も悪くない。

 なにより、あたしを認めている。

 いまだに一言も口をきかない「あんにゃろ」への当てつけも正直あったけどね。

 ほれほれ、あたしはアメギなんぞ相手にしてないおかげで、こんなにも新鮮な学校生活を送れてますよーだ。


 それでもアメギは魂が抜けたような案配で、授業はすべて上の空。さすがにオズボン先生も病気じゃないかって心配しはじめた。

 しまいにゃ今日なんて、あたしに断りもせずに早退しががったし、もう知らん。


「あれ? これ、うちの林じゃん」

 ガイニくんに誘われて行ってみた先が、子どもの頃から毎日見慣れたクリ林だった。

 一応は村の共同管理なんだけど、この区画の木が老いて枯れかけてからは、手入れをしているのはほとんどあたしのお父さんだけだった。

 村の大人たちがすでに集まっていて、大きな石斧や砂の入った土器をそれぞれ持っている。

 こんなところで何をするのだろう。稲ってキノコみたいに木に植えるものだっけ?


 お父さんもいたけれど、知らない男の人と話しこんでいて声をかけそびれた。

 なんだか不安になった。こんなところに来るべきではなかったと、予感が強まっていた。


「平地に稲を育てるには、立ち枯れの林のあとが、いちばんいいんだ」

 大人たちに説明しながら、彼は枯れ枝をきれいにくみ上げて山をつくる。

 革を縫い合わせた袋から、乾燥キノコの粉末を取り出すと、その上にこんもりとふりかける。

 え、ちょ。なに。

 木の枝を激しくこすりあわせると、火がついた。


「いや……」

 おののき震える誰かの声が聞こえた気がした。


「いやあっ、やめてーっ!」

 胸がはぜるほどの悲痛な叫びが、ほかでもない、あたしの口から飛び出していたことに気づいたときは、もう目のに轟々たる炎と煙が渦巻いていた。


 ばちばち爆ぜていくクリ林の音にまじって、楽しげな子どもの声が聞こえてくる。

 火に照らされ影絵のように浮かび上がる光景。

 とっくに死んだはずの兄や姉、弟や妹たちが、いろいろな年齢のあたしと手をとりあって、とても楽しげに木々の合間を走り、転げ、よじ登っている。


  秋のクリひろい

  ヤマユリの花を数えて印をつけるお手伝い

  夜に光るキノコ

  ぷっくりと太った幼虫

  かごいっぱいのワラビ

  頭をなでてくれるお母さん


 ツタをはぎとり、木の実を拾って、ブドウをかじる。

 それはどれも、あたしと家族との大切な思い出だった。

 すべての楽しかった日々が押し寄せてきて、そして目の前で焼き殺されていくのだ。

「お願い……やめて……やめてください」

 最後は懇願するように、あたしはすすり泣いて叫んでいた。


 よろめくあたしは誰かにぶつかり、そして抱き留められた。

 あれ、アメギだ……。

 いつから?


 こいつは村にいたはずで、さっきまでいなかったよね?

 あたしは夢を見ているのかもしれない。

 耳には泥がつまったように何も聞こえない。


 ああ、息を切らせているのが背中ごしに伝わってくるね。

 走ってここまで来てくれたんだね。


 アメギは、息がつっかえて言葉にならない。あの坂道を一気に駆け上がってきたとわかって、あたしまで苦しくなった。

 それでも彼は何か言おうとして、息が乱れて言葉にならなかった。

 何度も唾を飲み込む。


 アメギは、転校生をにらんでいた。

「てめえ、モス子になにしやがった」

 止めるまもなく手加減なく、握りこんだ拳でガイニくんの右ほおを打ち抜いた。

 あたしはその場に座り込んで、ただ呆然と眺めている。


 おもちゃみたいにくるくるまわってガイニくんはがくりと座り込む。

 両目を白黒させて、何かいいかけた彼は、口のなかをもごもご舌でかきまわし、ぺっと吐き捨てる。

 ねばついた血と一緒に歯が落ちた。ちょうど犬歯だった。

「いいパンチしてるじゃないか、白いの」

 まだ震えているヒザを押さえつけながら、ガイニくんは立ちあがった。

 ちょうど彼の抜けた歯は、「よそ者」を意味する抜歯作法だった。


「はるばる新しいライフスタイルの啓蒙にきたってのに、この仕打ちかい。だから田舎もんだって言われるんだよ」

 あ。ゆっくり近づいたガイニ君の左足が突然はねあがる。

 頭を狙った渾身の蹴りを、アメギはあっさり片手でつかんだ。

「いてぇ、足がちぎれる」

 年中、質の悪い粘土をひねってる握力だ。あれに捕まったら、たまったものじゃあない。

「新しいとか古いとかで、人の思い出に勝手に優劣をつけるんじゃねえ」

 投げ捨てられた転校生は、地面にしたたかに打ちすえられた。

「てめぇは古くなったからって父親や母親を捨てるってのか?」

「なんだとッ?」

 追い打ちを掛けるアメギの言葉に、ガイニ君が激高した。

「貴様に何がわかる! 豊かな森で生まれて、何不自由なく生きてきた貴様なんかにぃッ!」

 触れてはいけない部分に触れてしまったようだった。

 あたしはビエ奈さんの話をぼんやり思い浮かべていた。

「僕は見殺しにしたんじゃないぞ! あれは仕方なかったんだ」

「落ち着けっ、ガイニっ」

 ほとんど羽交い締めの形で、彼の父親が後ろから懸命にとどめている。


「なんだこいつ、逆ギレして」

 怒っていた側のアメギが、あまりの剣幕に気圧されていた。

「待ってくれアメギくん。頼んだのは私だ」

 ようやく今度はあたしのお父さんが割って入った。

「おやじさん?」

「これは焼き畑といって、新しい作物を作るための大切な準備なんだ」

 お父さんの言葉に、あたしの世界は色を失った。

 お父さんから、そんな言葉を聞きたくなかった。

「あんた、それマジで言ってんのか!」

 さすがにアメギはお父さんを殴らなかったけど、あたしはもうわけがわからくなって、このモノクロの息が詰まる世界から抜け出そうと思って、とにかく燃えている世界から遠ざかろうと願って、無我夢中で走り出していた。


「モス子!」

 アメギの声がすぐに遠くなる。

 幼い頃に夕闇が怖くなって、兄たちを追いかけて泣きながら走った村への坂道だ。

 そこをあたしは、いま一人で駆けている。

 兄弟はみんな病気で死んだ。

 クリ林も焼けてしまった。

 お父さんだって味方じゃない。

 あたしはひとりぼっちなんだ。


 そう思ったら家に帰ることもできなくなって走り続けて、とうとう夕暮れの浜辺まで行きついてしまった。

 とにかく遠くに。

 ざぶざぶと遠浅の中に入っていくあたしを、誰かの力強い腕が引き留める。

 駄々をこねてふりほどこうとしたけど、アメギはみじんも離しちゃくれなかったんだよ。

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