第2話 東からきた転校生
あたしの憂鬱さなんてお構いなしに、クラスは新学期の浮かれ気分で充ち満ちていた。
「モス子、ひっさしぶりー。冬の間なにしてたー?」
同級生オテ美だ。色気づいたのか、ますます顔のイレズミがケバくなっていた。
「お父さんたちと狩りの手伝い」
ぶっきらぼうに答える。
「えー、うっそー。それって女の子のすることじゃないよぉ」
「うち、クリとドングリの林があるから、山菜はあまり採らないんだよね」
「ドングリいいなー。ねえ、またクッキーとか焼いてくんない? わたし干し貝いっぱい持ってくるからさ」
自慢じゃないけれど、あたしの焼くクッキーは学校でも評判がいい。秋にめいいっぱい採取したドングリのアク抜きは完璧だし、隠し味の塩が効いているし、他にも秘密テクニックがいっぱいだ。
「あたし竪穴があったかすぎて、ずっと家で干し肉かじってたら太っちゃったよー」
「あはは、そのほうが女の子っぽくていいよ」
あたしは自嘲気味に、あまり女性的とはいえない筋肉質な二の腕をたたいた。
背も高めだし性格もさばさばしすぎて、この数年間、男子どもにコクられたことなど一度もない。
「そんなん気にしなくていいでしょ。モス子はもう決まった彼氏がいるわけだし」
なんの話だ。
「アメギくんとつきあってるんでしょ?」
あたしは飲みかけのキイチゴジュースを吹き出した。
問いただせば、あたしとアメギは昔っから相思相愛で、結婚の約束までしていると信じられていたらしい。
山奥の村と違って群婚の習慣なんかないから、どの男子もお手つきとして遠慮していたのである。
「あたしが色気のない学校生活を送ってたのは、あいつのせいだったのか~」
とはいえ、あたしが本当に腹立たしかったのは、恋愛ごとに縁がなかった生活に対してではない。
自分の知らないところで誤った諒解が広まっていたこともあるし、よりによってあたしだけがそれを知らなかったってのが特に悔しかった。
「ちがうの?」
悪気もなく小首をかしげている彼女に罪はない。
このやり場のない怒りを、あたしゃあどこに向ければいいっての。
「なんであんな青白い土器ヲタクに、このモス子様が? 自慢じゃないけど、あたしたちすっごく仲が悪いよ」
やけくそ気味にこたえる。
「ねえ、アメギ」
複雑な気持ちで彼の背中に声をかける。
が、アメギは振り向きもしない。
「ね?」
胃もたれのような感覚をこらえて、あたしはクラスメイトに笑ってみせた。
「春休みの間、なにかあったの?」
あたしの主張を信じるどころか、オテ美はかえって心配そうな表情をつくってみせ、
「それとも何もなかったの?」
その瞳だけはあふれんばかりの好奇心をたたえていた。
冬の間はよっぽど世間話に飢えていたのだろう。聞き耳を立てていた女子どもがツグミのようにさえずりはじめた。
「新しもの好きのモス子が、男だけは昔から変わらないってのが、あたしゃあどうにも腑に落ちなくってねえ」
「モス子、いっそあたしとつきあわない」
「だまれ百合」
「あ、ひっどーい」
「それじゃあ今のキミはフリーってことだね」
不意のその一声であれだけ騒がしかった教室が静まった。
すぐ横に、見知らぬ男子が立っていた。全然気づかなかった。
「あなた……どなた?」
「はるか東の村からやってきた転校生さ」
そのあか抜けたしゃべりに、きゃーと黄色い声が沸き立った。
あたしも、いっぱしの女の子だ。まじまじと見入ってしまう。
はぁ~、これが都会の男の子かあって思ったね。感心したね。
もう着ているものからして違うの。あたしたちみたいに繊維で作った網布じゃない。
鹿革のおしゃれな貫頭衣を着こなして、首からさげた玉石のネックレスもすごくカラフル。
あと髪型がキマってる。短く刈って、竹のヘアバンドでアクセントつけてんだけど、ほらうちのクラスの男子って、伸ばし放題とか後ろ髪縛っただけのぶしょったいの多いじゃん? もー清潔感が違うってのよ!
「モス子さんであってるよね」
そんなイケてる彼は、よりによって他の化粧がうまい子でもなく、いかにも女の子です~っていうふくよかな安産型の女子でもなく、なぜかいちばん大柄で筋肉質なこのあたしの手をとったのですわ。
「アクセサリーのセンスがバツグンに違う。その真珠なんて、クジラの形をしたバロック真珠じゃないか」
「はあ、どうも」
「それに、きみのワイルドな髪型、イネの穂先の芒を思い出させるね」
なにを言ってるんだ、おまえは。
「どう? ぼくとつきあってくれたら、ジャポニカ米の育てかたを教えてあげてもいいんだけどなあ」
「はい?」
なんの話かさっぱりわからなかった。
「よっしゃ、ホームルーム始めるぞ、自分の場所にしっかりあぐらかけー」
会話がこれから進展というところで先生がやってきた。
どうやら去年と同じくオズボン先生が担任らしい。二十の半ばだという年齢で独身でいる変わり者だが、朱色のうずまきで装飾した白い服がばっちり似合ってる。まだまだ若いぞ。まぶしいぞ。
「今日はさっそくだが、転校生を紹介する。お父さんの仕事の都合で、東の大きな入り江の村からやってきたガイニくんだ」
彼のお父さんの仕事は、稲作文化の伝播というやつだった。
ああ、さっき聞いたのはお米の品種の話だったのか。
実は曾々(ひいひい)おじいちゃんの頃にも、南のほうから稲作の指導者が来たって聞いたことがあるよ。
でも林には木の実がたくさんあって、野っぱらには油ののった獣がいて、海では魚や貝が採れる。
めんどうな稲作はまったく根付かず、あきらめた指導者はそのまま東へ行って、そこそこの成果をあげたみたい。
それがいま昔のルートを逆走しているってことなのかな。
もしかしたら別のお米かもしれないけど。なんでもそのときの米は、かなり黒かったっていうから。
「このあたりの村で稲作に興味をもってくれたら、じっくり一年以上かけて滞在します。リーダーは父ですが、もちろんぼくもお手伝いしますよ」
はきはきと話すたびにこぼれる笑顔について、女子がこそこそと話をしている。
あたしの村の男子はほとんどが成人式で犬歯を抜いていたから、歯がそろっているのが逆に「子どもっぽい」と母性本能をくすぐっているようだ。
なんだよ、あたしゃお母さんがわりかよ。
でも、さっきあたしの手を取ったときの彼の目って、釣りたてのマスのようにきれいだった。きゅんと来たっけね。
そんなことを考えていたら、背中をつつかれて、あやうく声をあげそうになる。後ろから縄文字の手紙がまわってきたんだ。
この結びグセはオテ美に決まってる。よくもまあ、こんだけ小さな縄をなえるもんだ。
いわく、
『ちゃんと二月に黒いモノあげたか? モス子がそんなんだからアメギも怒っちゃったんだぞ』
だと。
見当違いもはなはだしいっ。それは好きあってる恋人どうしの習慣だろう!
もしくは、これからおつきあいしましょーとかいう告白系イベントの必須アイテムじゃん。
こういう話がある。村に春を運んでくるのは、黒くて暖かい海流「クロシオ」のおかげだと。
いくら夢見る乙女(コラそこ笑うな)のあたしでも、さすがにそんな迷信を信じちゃいないわよ。
でもでも、その感謝をみんなで共有しようっていうイベントは、さすがに意識するってば。
春のきざしが表れる二月に、好意をもった異性へ黒いものを送る。なんかロマンチックじゃない?
これは、ワカメでもノリでもヤマグリでもいいのよ。伊豆天城産の黒曜石で作ったスクレイパーなんて、高級ブランドに眼がない女どもはイチコロだね。あたしも、ちょうど皮剥ぎに新しいのが欲しいとこだし。
んで、もらった側は、一カ月たっぷり熟考して、今度は白いものを返す。好意の度合いで、プレゼントもしぜんと豪華になるってのは人の情。
そこではたと気がついちゃった。
――あたしって誰からもコクられたことないけど、誰にもコクったこともない?
黒いものをもらった経験もないけど、あたしからあげた記憶もない。
こんちくしょー、あの幼なじみのせい(?)で、あたしは青春の甘酸っぱい体験を知らないまま今日まで過ごしていたのだ。
あたしは縄文字に八つ当たりする。こまかくバラして、自分の怒りと恨みを結び目にこめて、徹底的に細かく編みこんで後ろに返した。
ひゃあという悲鳴がリレーで後ろに遠ざかっていき、教師や他のクラスメイトがいぶかしげな視線を周辺に泳がせた。
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