第27話 狂気はまだ続いていました。

 地上へ出た。

 日の光がありがたい。何もできなかった僕だけが、こうして戻れるなんて世の中って理不尽だ。



 …僕はほんとに、自分は死ぬのだと思った。


 水の力は僕にはどうしようもなかったのだ。

 しかし、そこで頑張ってくれたのが、ホースちゃんたちだ。


 地下水脈に飲み込まれた僕は、なす術無く水に流された。ホースちゃんはそんな僕を飲み込んで、そのまま壁に穴をあけ地中に飛び込んだのだ。ゴートウォームであったホースちゃんは本来、流れのある水の中を泳ぐことも、地中を掘り進むことも、得手ではないのだが、僕の為に頑張ってくれた。

 どのくらいの時間がかかったのかはわからない。しかし、ホースちゃんと愉快な仲間たちは見事にやり遂げてくれた。固い岩や押し固められた堆積層を掘削し、外への扉を開いてくれたのだ。

 800メートルという地下深くから地上に出るまでの間、ホースちゃんたちが砕き飲み込んだ岩や土塊から抽出した空気や栄養分で、僕は生を繋いだ。


 そして僕は、地上に出られたのだ。


 …


 そして、それは僕だけじゃない。きっと、コーネリアさんもシンバルさんも戻っているはずだ。シンバルさんがいれば、地下の迷路で迷うこともないしね。


 僕は一度、思いっきり背伸びをし、深呼吸をした。


 まず、あの高床式小屋に戻ろう。



 ホースちゃんの背に乗って、湖を移動する。水の流れのほとんどない湖面であれば、泳ぐことも苦ではないらしい。


 僕には今いる場所が見当もつかないので、そのあたりホースちゃんにおまかせである。


 移動の間は、どうしてもみんなの事、トンプソンさんの事、バドルさんの事、メイヤーさんの事、ザックさんの事、シンバルさんの事、そしてコーネリアさんの事が嫌でも思い起こされた。


 


 しかし、失くしたものが多すぎだよ。

 今回のミッションはまだ途中だけれども、もう引き上げるしかないよ。僕はホースちゃんの背に、寝転がった。


 師匠の期待は裏切ってしまうけど、しょうがない。しょうがないというか、そんな事どうでもいい。



 島が見えてきた。

 6つ水面から飛び出した島。その向こう側に小屋が見える。


 戻ってきた。


 柱の天辺に乗り上げたところでホースちゃんから降り、高床式小屋に向かって駆けだした。

 僕は相当に浮かれていた。それは、小屋が近づくにつれ、もっともっと高まった。はっきりとわかるほどに、間違いなく小屋には人の気配があったのだ。


 梯子に手をかけた時の高揚感といったら、自分でも笑える位だ。


 僕は梯子を1段、登る。


 ギシと木が擦れる音を立てる。


「…ぁ、…。」


 ミシミシと動きに合わせて小屋が微かに揺れている。


「あっ、…あっ、ぁ、…。」


 また、1段、1段と、僕は梯子を登る。


「…あっ、あん、、んくぅ…あっ、あっ。…」


 僕はアプローチの縁を駆け上がり、玄関の扉を開けた。


「ああぁあぁん、あぁあぁあぁあぁあぁん、いっ、いっ、あん、もっと、もっ、」

「はは、ははは、んぐっ、んぐっ、いぃい?いぃい?」


 コ、コーネリアさんと、シンバルさん?の声が、聞こえる。

 声に合わせて、粘液をすする嫌な音がジュプジュプと耳に残る。小屋に充満している生臭さが、何もわからない僕には何かいやらしいもののように感じられた。


「いいっ、いいっ。あん、もっと、おくに、いぃいぃいっ。あぁん。」

「こぉ?こぉ?んっ、ハハハッ、キスしよっ、キス。」


 奥の部屋には、お互いの唇を重ねあって、抱き合い繋がった2人がいた。


「ハムゥ、ん、んんぅうん、…ん。」


 なんの飾り気もなく、2人はお互いを求めあっていた。


 シンバルさんは一生懸命腰を前後に動かしていた。その度にジュプジュプと音が漏れ、肌を打ち合う音が、リズミカルにタプンタプンと鳴る。


「ん、んん、」


 繋がった2人の唇からは、ときにお互いに舌と舌を絡めあい、またときにお互いの唾液を啜りあう…そんな卑猥な音が漏れていた。


「んんっ、ん、ん、ん、ん、ん、んぁ、」

「いくっ、コーネリア、もうイクよっ。イクっ!イクっ!」

「ん、いいぃいっ、きてっ!きてっ!」


 2人の姿に、僕は少なくない衝撃を受けた。


「ん、おぉぅ。うぅっうっ。」

「んぁ、んんっ!あぁあぁあっ、ぁあっ、あぁ、ぁ。」



 2人は、お互いに求めあって、認めあって、…それが、寂しくて、悔しくて、切なくて、…僕は声が出せなかった。呆っとその場に立ったまま動けなかった。


 その後もしばらく、2人の行為は続いた。




 先に気付いたのは、コーネリアさんだった。


「ユ、ユウキ?…な、なんで…?」



 なんで?


「ユウキ?お、お前、な、なんで、い、生きてんの?」

「…。」


 コーネリアさんの「なんで?」という言葉が、僕の何かを抉った。


 そう、ついこの前の戦いのときだ。牙王に脇腹辺りをやられて、何かが身体から抜け落ちていったときの、あの感じだ。

 何も感じないんだ。なにか大事なことが起こっているはずなのに、心が、そこに無いんだ。


 そうか、僕はここにいない人間なんだ。

 2人にとっても、僕は、ここにいてはいけない人間なんだ。2人の表情がそう語っていた。



 僕はここにいない。


 だから、何も感じない。…何も感じない。



 何も聞こえなかった。2人の口が動いていたのは何となくわかっていたけれど…。



 気が付いた時には、僕は走っていた。

 とにかく、この場から消えてしまいたかった。

 がむしゃらに走って、島の端まで来た僕は、迷わず湖に飛び込んだ。

 僕は、泳ぎに泳いだ。




 …


 僕ってすごいよね。また発見してしまったよ。こんな時だけどね(泣)。

 風車ってあるじゃない。あれって、風を受けている限りは回り続けるんだよね。これを逆に考えるとさ、風車が回り続けている限りは、風を送り続けるってことだよね。

 これを水中で行うとどうなるだろう。風車、もとい水車は回り続ける限り、水を送り続ける。これは、水中を進む推進力になるのではないだろうか。


 僕はそれほど泳ぎが得意ではないのだけれども、普通に泳ぐのと、魔法を使って、周囲に水の流れを作って、進むのとでは、労力にたいして変わりはないのでした。


 そんなことを考えながら、泳いでいるうちに別の島に着いた。

 誰もいない島だ。



 そこで休憩がてら、水車の開発を試みた。この場ではとりあえずの間に合わせで、僕はそれを氷で試作した。風車の形を元にして、水の中で使いやすいように基本型を小振りに作成し、羽を丸く大きくした。


 とても、良い感じだ。ただ回すだけというのが、シンプルで良い。


 軽く回してやるだけでも、水をきって、走るように速く進む。


 これで僕はどこまででも遠くに行けるし、どこまででも深く潜ることもできる。



 …どこまでも…。




 しかし、そうどこまでもは行けなかった。

 うっすらと湖底が見えてきたと思ったら、300メートルほど進むとそこは、もう足が立つほどの深さになっていたのだ。

 方角でいえば湖の北側ということになる。日は僕の左手側に傾きかけていた。


 ここから、また湿地が続くようだ。地平まで何も遮るものがない。どれほど湿地が続くのかは不明だ。僕が来た東側よりも、こちら北側の湿地の方がメインなのではないだろうか?

 北側の湿地は東側と違い、全く人の手が入っていない。図鑑でしか見たことのない植物でいっぱいだ。


 これが、…これが見たかったんだ、僕は。


 手近な植物を手に取ってみる。手に取るって言っても引き千切ったりしないからね。ただ見るだけ。


 モコモコだ。これは根の部分が食べられるんだ。甘くておいしいんだって。あっ、お米だ。稲穂がある。これを主食にしている国があるっていうけど、稲は栽培がとても難しいんだ。こっちはガンマだな。ガンマの花の蜜は止血剤になるんだ。…面白いの発見、セニとオニセニが並んでる。セニは食べられるけど、オニセニは毒を持っているんだ。お腹痛くなっちゃうんだ。こっちは…。



 東側湿地の近くの丘に群生していた野生のサンチョには、にべもなく断られたけど、みんなお友達になってくれるかな…。なーんてね…。


 ぼろぼろと涙がこぼれた。


 僕は一瞬、涙を堪えようと立ち上がった。


 湖面は、まだ丸い輪郭を保った薄茜色の夕日と、紫色の虹を境にせめぎ合う青い空をそのまま同じに映していた。ところどころには、多種多様の原生植物たちが我が生をと主張するように、そのスクリーンに穴を開けていた。


 止めどもなく涙があふれてきては、こぼれた。

 おあつらえ向きだ。周りには何もないんだ。誰もいない。涙なんか、こぼれるだけこぼれてしまえばいい。…泣きたいだけ、泣けばいい。




 世界がこんなに美しいなんて、知りたくなかった。


 ひとりがこんなに寂しいものなんて知らなければ、きっと知らずに済んだんだ。






…………


……


 それは、何の前触れもなく、僕の両隣にいた。


 色素の薄い青い目と左右に大きく裂けた口のうすら笑みに見下ろされた僕は、ただここで死ぬのだと思った。


 …牙王。


「見ぃつけた。お前にマチガイねぇな?」

「あぁ、ねぇよな。」


 正面を向いたまま、目を動かすことすら僕にはできなかった。しかし、視界の端に入っているそれを、見間違うはずはない。僕は今、あの牙王に左右両側から挟まれているのだ。

 それだけでも恐ろしいというのに、今日はそれだけでは終わらない。


 2人の牙王が体の向きを変え、僕と同じ北の方を向いた。片手を拳骨にして地面に着き礼の姿勢をとる。



 その方向、つまり僕の正面。3つの人影が水面に降り立った。




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